02.教会はいつでも開かれている

 人のいない教会の蝋燭に火を灯す。ぼんやりとした柔らかい光の中、マリア像の前の祭壇へ続く階段へ陣取った。正面の扉から入ってくるだろうターゲットを待つには、最適の場所だ。正面に扉を見据え、銀の燭台をひとつ手にした。


「腹減った……」


『お前は……緊張感という言葉を知らないな』


 ぼやく声に苦笑いして、近くに置いた袋からパンを取り出す。硬いがまあ、何もないよりマシだった。スープでもあれば良かったのだが、そこまで高望みはしない。バターを塗ったパンを齧りながら、周囲を見回した。


 この教会に住む司祭たちには部屋を出ないように言い聞かせてきた。今夜は大きな物音がするだろうが、彼らは清められた聖書を手に震えながらやり過ごすだろう。飛び出してくれば足手まといになるので、そっと外から術でドアを縛ったのはオレだけが知っていればいい秘密だ。


 新月なので、外から月光は入ってこない。ただ暗いだけの部屋で、硬いパンを水で流し込んだところで……ようやく一息ついて立ち上がった。


 紫の瞳を細めて睨む扉が、音もなくゆっくりと開く。昼間は軋んだ音を立てる蝶番が沈黙し、なめらかに扉が開いた先には白いシャツの少年がひとり立っていた。


 少し俯いた顔は幼さが残り、まだ保護者が必要な年齢に見える。暗い夜なので瞳の色は分からないが、髪は黒か濃い茶色だろう。じっと待つオレに向け、白い手を差し伸べる。


「今日は、いつもの司祭様と違うのか?」


 小首を傾げる人外の、最初の言葉がそれだった。


 声にあまり感情はなく、淡々と紡がれる。よく通る綺麗な声だと思いながら、首元のカラーに指を入れて緩め、神父服をさばいて近づいた。


 人外の少年は教会内に踏み込もうとしない。清めて作り出した結界に気づいているのだとしたら、かなり能力や地位が高い悪魔の可能性があった。


 手の届く距離まで大胆に歩み寄り、オレはにっこり笑って白い手を取る。ひやりと冷たい手は予想通りで、あきらかに人の体温ではなかった。死人と同じ、ひどく冷たい手に笑みが深まる。


「ああ、彼は入院したからね。こちらへどうぞ」


 招いても少年は迷っているのか、じっとオレの手を見つめていた。紺色……いや、明るい場所で見たら蒼なのか。透き通った瞳が、わずかな光に色を滲ませる。招かれれば中に入れるのが結界の特色だ。閉じ込める機能を優先した結界に、彼は気づいているのか。


「教会はいつでも開かれている……遠慮なくどうぞ」


 再びの促しに、少年はぞくりとするような大人びた顔で笑う。声もない笑みはすべてを承知の上で罠に飛び込む意思表示なのかもしれない。よほど己の能力に自信があるのだと判断し、そっと手を引いて下がった。


 素直に一歩踏み込んだ彼が完全に教会の建物の結界に包まれるまで下がり、静かに手を離す。オレの手が離れた途端、少年は深く息を吐いた。ぐるりと建物を見回し、冷めた声で指摘する。


「あの天窓も、開かれているのか?」


 嵌め殺しの天窓は、高い位置は面倒だからと清めなかったステンドグラスが埋め込まれたものだ。結界の穴を一瞬で見極めた少年に、「へえ、優秀なんだな」と誉め言葉が口をついた。


 通常の祓魔師が使う術とは別系統の力を使うオレの能力は、高位の悪魔であっても気づかれないことが多い。それが悪魔狩りとしての才能のひとつだった。それをあっさりと見抜いたのならば、目の前の少年の使う力が同じような系統であるか。または最高位と呼ばれる地位にいる悪魔なのだろう。


「見抜いたならなおさら、中に入るとマズイのはわかってんだろ?」


「ああ……だが、お前は俺を傷つけることはない」


 断言した少年は蝋燭のそばに歩み寄り、銀で作られた燭台を手に取った。清めた銀製品は魔物の肌を焼く劇薬と同じなのに、彼は平然と振り返る。痛みに顔をしかめる様子もなかった。


 ただ……美しい銀色が徐々に曇っていく。


「…………まいったな」


 ため息が漏れた。


 銀に触れることができ、ましてや痛みを感じない悪魔は一握りだ。最高位の中でもわずか3人ほどだと聞いたことがあった。それほど稀有な能力は、彼が『堕天使』に分類されることを意味している。


 自分の力が及ぶかどうか――見極めるように紫の瞳を細めた。

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