これが現実

『今度の舞台は、泉鏡花の『化鳥』をベースにした物語です。衣装については、鏡花の世界観に則った上で、オリジナルの要素を織り込み、かつ舞台となる金沢らしい要素を取り入れたい、と思いました。そこで、みんなとも相談した上で、加賀友禅の作家さんに私の役の衣装をお願いしたのです』


 へえ、と藍子は目を丸くした。


 四〇代半ばでありながら、肌の色つや良く、若々しいオーラを漂わせている百合マヤ。


 物腰も穏やか、かつ丁寧で、多くの人から好印象を持たれている彼女が、舞台で加賀友禅を着る、というのだ。それは、加賀友禅のPRにも繋がってくる。藍子としては、ワクワクが止まらない。


 同時に、チクリと胸が痛んだ。


 母のお得意さんであった百合マヤが、他の友禅作家に衣装作りの依頼をかけた、ということが、なんだかショックだった。


 もちろん、母に依頼することはできないのだから、他の人に頼まざるをえないのは、わかっている。でも、母の娘である藍子としては、寂しさを禁じ得なかった。


 さて、一体どこの工房の誰が頼まれたんだろう、と思って、テレビに注目していた藍子は、やがて登場した友禅作家の顔を見た瞬間、


「うそ」


 小さな驚きの声を上げた。


『百合マヤが依頼した友禅作家。上条綾汰りょうた。二〇代という年齢にして、早くも友禅作家として独立した、新進気鋭の若手作家である』


 ナレーションが、上条綾汰の紹介を終えたところで、藍子はテレビを消した。


 これ以上、いまの番組を見続ける勇気が無かった。

 軽く動悸が早くなっている。


 正直、百合マヤの仕事を請け負う作家は、誰であってもよかった。悔しいけど、諦めはつく。だけど、彼だけは、認めたくなかった。


 自分の弟――綾汰だけは。


「お母さん。いまの、見てた?」


 箪笥の上に飾ってある写真に、藍子は声をかけた。

 写真には、母を中心に、藍子と綾汰が並んで立っている。藍子が一一歳の頃で、綾汰は五歳の頃だ。二人の子供を両手で抱き寄せながら、母はにっこりと笑っている。

 もう二度と見ることの出来ない、母の笑顔。


「私も頑張ったんだけど、ごめん。すっかり綾汰に追い越されちゃったよ」


 両手を合わせて、拝んだ。


 それは、母の遺影。


 一六年前に亡くなった母は、天国から自分を見守ってくれているのだろうか。見ているのなら、何を考えているのだろうか。


 願わくば、あんまり自分のことを心配せず、この写真のように、ずっと笑顔でいてほしかった。

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