第21話 祝福

 誰も彼もが祝福した。

 勇者と聖女の婚姻を。


 聖女様を罪人扱いする教会ですら、祝いの言葉を投げかけてくる。

 それだけ魔女の存在を脅威に感じている。


 その証と言えるのかもしれない。


 本来なら、こんな形とはいえ、聖女様との婚姻を結べる状況を、

 喜ぶべきなのかもしれない。


 俺は喜べなかった。


 世界の三分の二が消えた。

 そんな危機的状況の中で、誰かの結婚式を催し、祝いの言葉を告げられる。


 ――違和感しか覚えなかった。


 それとも俺がおかしいのだろうか。


 世界の終わりが近いから。

 だから、誰かの幸せを祝福する。


 それが『普通』なのだろうか?


* * *


「勇者様」


 銀色の髪を靡かせて、彼女が振り向いた。

 聖女様の『夫』になる為か、彼女に会うことを誰も咎めはしなかった。


「いらっしゃいませ、勇者様」

「聖女様」


 微笑みをもって、出迎える聖女様。

 その姿が一瞬、別人の姿に見えた。


「……」


 頭を振れば、その幻影はすぐに溶ける筈だった。

 だが、教会は夕暮れ色の道路に、目の前にいる聖女様は、

 黒髪の誰かに見えて仕方がなかった。


「勇者様?」


 幻影が霧散する。

 聖女様の声に追い払われる形で。


「どうかされましたか?」

「……いえ。聖女様」

「はい」

「聖女様はお嫌ではなかったのですか?」

「……嫌、とは?」


「この婚姻がです」


 聖女様がどう考えているのか。

 俺は知らないままだった。


「世界の為とは言え、聖女様は、」

「問題ありません」


 即答だった。


「私は『聖女』ですから」


 この決定に異議はないらしい。


「そう、ですか」

「勇者様はお嫌ですか?」

「え」

「私を妻に娶ること」


 悲しげに、聖女様は顔を俯かせた。


「いえ、嫌とかではなくて……。ただ、」

「ただ?」

「……」


『違和感しか覚えないから』


 そんな理由で納得できることでもなく。

 とはいえ、それ以外に理由なんかなくて。


 どう説明していいのか分からなかった。


「勇者様」


 聖女様はそっと、俺の手を取った。


「大丈夫です」

「聖女様……?」

「心配いりません」


 聖女様は微笑んだ。柔らかく、安心させるような微笑みで、


「全部、うまくいきますから」


 そう言って、俺の手を握り締めた。


* * *


「全部うまくいく、か……」


 聖女様の言葉を思い出す。

 聖女様の微笑みを思い出す。

 聖女様の手のぬくもりを思い出す。


『心配いりません。全部、うまくいきますから』


 彼女の聖女としての力を知っている。

 聖女としての、彼女の言葉が間違っていたことはない。


 なのに、今俺は彼女の言葉を疑っていた。


 彼女だけじゃない。

 魔女を危険視しながら、俺と聖女様の婚姻を早く早くと急かす人達を、


 よく分からなかった。


 式は三日後だと言われた。三分の二も世界を失ったのに。


「……人のこと、言えないだろ」


 俺は自分に悪態をついた。


 彼らを疑う資格なんてない。魔女討伐が一時的に中止された。

 そのことに誰よりも安堵しているのは、


 他でもない俺自身だった。

 そんな奴が違和感だけで、他者を疑うなんて、

 自分勝手もいいところだ。


「……」


 彼女は今、どうしているだろうか?


 ――『彼女』?


 『彼女』とは一体、誰を指して考えているんだ?


『   』


 誰かの声が聞こえた気がした。


「……?」


 今、俺は外を歩いていた。

 夜の中だった。


 月明りだけが、街灯代わりになっていた。


 ――そもそも何故、俺は不用心に夜の中を歩いていたのか。

 まるで覚えていなかった。


 だが、振り返った瞬間、そんな欠落なんてどうでもよくなった。


「……魔女」


 後ろには、黒髪を靡かせる少女が一人、立っていた。

 赤黒い瞳がこちらを見ていた。


 ――夜を切り取ったら、こんな姿になるのだろうか。


 魔女を見た俺はふと、そんなことを考えていた。


「何か、あったのか?」


 言ってから、思わず笑ってしまう。

 世界を滅ぼそうとする相手に向かって、尋ねる言葉じゃない。


 剣士や魔法使いがいれば、彼女に向けて攻撃するに違いない。

 世界中の人間が彼女を敵視している。


 当たり前だ。彼女はそれだけのことをしたのだから。


 なのに、俺は、


「……」


 魔女は何も答えない。いや、違う。


「悪い、話せないんだったな」

「……」

「答えられないなら、別に――」

「……に」

「え?」


「せいじょさまを、ころしに」


 初めて聞いた魔女の声。

 聞いた瞬間、自分の耳を疑った。


「え?」


 思考が停止した。


「せいじょさまを、ころしに、きた、の」


 必死になって声を出していると分かる。

 無理矢理声を発していると分かる。


「なん、で」

「ひつよう、だから」


 全身が震え上がる。


「なんで」

「ひつよう、なの」


 さっきから同じ言葉しか繰り返していない。

 魔女は幾度となく答える。


 魔女の答えは聖女様を殺す理由だった。

 だが、俺が混乱しているのは、全く別の理由だった。


「なんで、」

「だから」

「違う、」


 魔女の言葉を遮って、俺は言った。


「俺が聞きたいのは、」


 初めて聞いた魔女の声。

 その声は間違いない。


「なんで、聖女様の声なんだ……」


 話し方や息遣いは違っても聞き間違えることはない。

 目の前にいる魔女の声は、聖女様のものだった。


「……から」

「え?」

「あのこえは、もともと、」


 次第に声を発する間隔が長くなっていく。

 最後に発した声が伝えてきたのは、


「わたしのもの、だったから」

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