第20話 忘却

 人の名前なんか覚えられなかった。


「『   』」


 例えば、目の前にいる幼馴染の名前さえ、

 どういう名前なのか、全く覚えられなかった。


「オレ、言ったんだ」

「え……」


 ただ、幼馴染であるとは覚えていて、その幼馴染が、


「『   』さんに好きだって」

「!」


 『君』を好きだってことも。


「振られたけどな」

「そう、か」


 なんと言えばいいか分からない。

 ただ込み上げてくる安堵を、喉の奥へと呑み込んだ。


 ――言えない癖に。


「お前は言わないのかよ」

「……何を」

「告白だよ」


 激情を宿した目を向けられ、咄嗟に答えに窮した。


「……言わない」

「なんでだよ」

「言えるわけないだろ」

「なんでだよ、言えよ」


 急かす声に、『俺』は首を振った。


「言えよ」


 言えるわけがない。


「なんで、」


 幼馴染は奥歯を噛み締めて、こちらを睨みつけた。


「オレは、お前が羨ましい」

「……!!」


 一瞬、脳が沸騰した。

 激情に呑まれそうになった。


 ――羨ましい?

 それはこっちのセリフだ。


 何でも持っている幼馴染が羨ましかった。

 もし、『俺』もそんな風にいられたら、


 『君』に好きだと言えたのだろうか?



* * *



「大丈夫か?」


 剣士がこちらを見上げていた。


「……」

「人の顔見た途端、吐いて気を失ったから驚いたぞ」

「……」

「オレってそんなに気持ち悪いか」


 怒っているというよりも、呆れとか心配とか、

 そういった感情が強い気がした。


「……剣士」

「なんだよ?」

「生きてるのか?」


 死んだのに。


「死んでいるように見えるか?」

「……いや」

「悪い夢でも見たのか?」


 ――夢。

 思い出すのは、幼馴染の姿だった。


「……」

「どうした?」

「……いや」


 あの『幼馴染』と剣士は似ても似つかない。

 それでも似ていると感じてしまうのは、声が似ているからだろうか。


「……剣士」

「なんだよ?」

「剣士は聖女様のことが好きなのか?」

「はぁ!?」


 途端、剣士の声がひっくり返った。


「冗談やめろよ。オレにとってあの方は『信仰』の対象だぞ」

「……そうか」

「なんだよ、もしかして恋敵がいたら不安なのか?」


 揶揄うような声だった。


「安心しろよ。オレはお前の恋、応援してるからさ」


 純粋な友情がそこにはあった。


「……」


 何故剣士が聖女様を好きだと思ったのだろうか。

 夢で見た『幼馴染』のせいか。


 そういえば、あの『幼馴染』は、


『オレは、お前が羨ましい』


 今、どうしているだろうか。

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