第4話 王様と友人

 目の前で、この国の偉い人たちが大きな机を挟んで話し合っている。


 それをボクは一番高いところにあるフカフカの椅子に座ってただ眺めていた。


 これがボクのお仕事。


 王様になったボクの、少し退屈なお仕事なんだ。





 ボクは物心がついた頃から母と田舎の人里離れた大きな屋敷で暮らしていて、父の顔を見たことが無かった。


 母になぜ父がいないのか聞いたことがあったが、答えてはくれなかった。


 別に父が欲しかったわけではない。

 優しくて美しい母と2人での生活は穏やかで幸せだったし、毎日おいしいご飯も食べられて嬉しかった。


 ただ、母は働いていなかったし、この大きな屋敷に人が訪ねることもない。それなのにどうやって食べ物を手に入れていたのか不思議に思ったのだ。



 そしてボクが10歳の誕生日を迎えたとき、突然屋敷に大勢の人がやってきた。


 その先頭に立っていたお爺さんが、ボクにむかって言った。


「君はこれからこの国の王様になる。これからはメトロス35世と名乗りなさい」


 そのお爺さんはボクの実の父の弟で、この国の大臣という偉い人だった。


 後に、実の父は王都にいる公爵という貴族の中でも偉い人で、母はその愛人、ボクはその間にできた隠し子だということを王様になってから知った。


 

 屋敷から連れ出される時、お爺さんに「母はどうなるの?」と聞いた。


 お爺さんは「君の母は、君の父の屋敷でまた暮らす」と答えた。


 母はその日、最後までボクのことを見なかった。


 きっと、別れが悲しかったんだと思う。涙を見せたくなかったんだ。


 それ以外、何があるというのだろう。


 ――そうだよね? お母さん……





 王都についてから数日後、大勢の人たちがボクにむかって「メトロス陛下、万歳」と歓声を上げていた。


 ボクの名前は、その日から『メトロス35世』となった。


 それからボクはずっと高い所にあるフカフカの椅子に座り、一言も喋らずに目の前の人たちを観察していた。


 そして分かったことは、彼らは誰も本心を語らない。


 みんな口ではボクを敬っているけど本当は、邪魔者を見るような目か、蔑み憐れむような目でみるかの2つだ。


 だからだろうか。

 ボクは人の目をみることで、人の気持ちが分かるようになった。

 特に、敵意や悪意はすぐに察することができるようになってしまった。





 

 そんな日々が1年ほど続き、ボクは夜に王都の城から逃げ出した。


 幸い、城の使用人たちはボクのいうことを聞いてくれて、変装のための服を用意してくれた。


 上手く城を脱出したボクは城の周りの森を駆け抜け、王都の下町まで逃げた。


 そこで見た光景に、ボクは驚いた。

 夜にもかかわらず煌々と輝く王都の街並み、人の活気が溢れた道並を。


 辺りを見回し、感動しながら歩いていると人にぶつかる。


「おっと……おいおい、こんな時間に子供が出歩いていい所じゃないぞ、ここは。はやく家に帰るんだな、


「あら、可愛らしい坊やね。どこから来たの?」


 倒れそうになったボクを掴んで支えてくれた男の人は、黒くて短い前髪を七三に分けていて、夜にもかかわらず黒い眼鏡をかけていた。

 隣には白い肌に真っ赤な口紅、肩くらいに切り揃えられた綺麗なブラウンの髪、首に黒いチョーカーをつけた綺麗なお姉さん。


「ボク、逃げて来たんだ」


 ボクがそういうと、男の人はしゃがみ込んで黒い眼鏡をずらし、ボクの目を覗き込む。


「……はあ、何か訳ありってことか。悪いがマチルダ、今回のデートはここまでだ」


「またなの? ユーリー」


「こうみえても俺は役人なんだ。この子を放っておくわけにもいけない」


 ユーリと呼ばれた男の人は、鋭い目つきで睨むマチルダというお姉さんの顎を持ち上げて口にキスをした。


 そしたらお姉さんはうっとりとした表情になって、「貸し1つね」といって手を振りながら去っていった。


「……まあ、どっか落ち着いて話せるところにいくか」




 そういって表の通りから外れた人気のない道を進む。

 進んだ先は建物の裏側に囲まれた暗いところで、ポツンと一つの小屋が建っていた。


「俺の秘密基地ってやつだ。男なら持っていて損はない」


 なぜか決め顔で自慢してくるユーリという名のおじさん。

 ボクはずっと疑問に思っていたことを聞いた。


「……おじさん、夜なのに黒い眼鏡してて大丈夫?見づらくないの?」


「おい待て坊主、おじさんってのはもしかして俺のことか?」


「ボク、坊主じゃないよ」


「なんだ? 坊主って言われたことの意趣返しか? いいか、俺はまだ35!お兄さんと呼べ! いいな坊主!!」


 おじさんはボクが"子供扱いされたこと"に怒っていると勘違いしているみたいだ。


「そうじゃなくて、ボクおんな「うるさい! 話を蒸し返すな!!」


 ボクの言葉を掻き消すようにおじさんは叫んだ。


「……まあ、まだ子供には分かんないか、俺の大人の魅力ってやつが。この眼鏡もお洒落だ。いいか? 女はミステリアスな男に惹かる。これはその演出なんだ」


「そうなんだ」


 お城でよく開催される仮面舞踏会の仮面みたいなものなのかな。

 確かに、あそこでよく男の人と女の人が仲良くなっている気がする。


「お前も大人になれば分かる。男はいい女たちに愛されるために生まれたんだとな」


「いい女って、さっきのお姉さん?」


「マチルダか? あれは俺の女の中でも別格だ。それと同じくらいだけどな」


「そうなんだ」


 確かにボクからみてもビックリするくらい綺麗な人だった。

 それにおじさんを睨んだ時、とても冷たい雰囲気で怖かった。


 たぶんボクはあんな風にはなれないかも。

 でもいいや。ボクは母みたいに優しい人になれればいいし、母も綺麗な人だった。



「……そういやお前、名前なんていうんだ」



 どうしよう。王様ってバレたら、お城の人に見つかっちゃう。


「……」


「別に言いたくなければいい。ただ、そんな仕立てのいい服着て日焼けもしてない白い肌の子供なんて『僕は貴族の子です。どうぞ誘拐してください』っていってるようなものだ。……いっておくけど俺は誘拐犯じゃないぞ」


「おじさんは、なんでボクを助けてくれたの?」

 

 おじさんがボクの目をみたとき、ボクもおじさんの目をみていた。


 そこには悪意なんて無くて、何か見返りを求めているような感じでもなかった。


 そんな人を初めて見た。


 どうして他人のボクを見て、助けようとしてくれるんだろう。


「別に大した理由はない。ただ、お前みたいな歳の子供にしては、寂しすぎる目だったから気まぐれで助けようと思っただけだ。あと、お兄さんな」



 ――寂しい? ボクが?


 毎日多くの使用人に囲まれているのに、ボクは寂しさを感じていたの?



「おじさんは、目を見ただけで人の気持ちが分かるの?」


「人の心情を読むのが仕事みたいなもんだ。別に、お前みたいな子供の気持ちを読むなんて誰だってできるがな。あと、お兄さんな」


 そうなんだ。

 この人は、ボクと同じで目で人の気持ちが分かるんだ。


 ――フ、フフ……なんか、嬉しいな。


「おじさん、ありがとう」


「……よし、わかった。どうしてもお兄さんと言いたくないなら、俺のことはユーリーと呼べ。親しい奴からはそう呼ばれている」


「――うん! わかったよ、ユーリー。よかったら、ボクのこと『エステル』って呼んで欲しいな」


 ユーリーはボクを親しい奴といってくれた。

 すごく嬉しい気持ちになった。

 彼には、ボクを"本当の名前"で呼んでほしい――そう思った。


「エステルか、あんまり男らしくない名前だな。そういやお前、何となく女の子っぽい顔してるけど……ま、子供だからか。よろしくな、エステル」


「ボクね、こうやって人と話すの、お母さん以外じゃ初めてなんだ! だからユーリー、困ったことがあったらボクにいってよ。ボク、実は偉い人なんだ! お金だっていっぱいあるんだよ!」


 ユーリーとはこれからもいっぱいお話がしたい。


 そのためにユーリーの力にだってなりたい。


 そう思えるのは、きっとボクにとってユーリーが"親しい人"だからだよね。



「いいことを教えてやる、よく聞けエステル。男なら、友情を金で繋ぎとめようとするな。女もだ。金は"使って消えるもの"だ。友人や愛すべき女は"使う"ものじゃないし、"消えていい"ものじゃない。金で繋ぎとめるってのは、そいつは金に換えられるものだと言ってるのと同じだ」


 ユーリーは、少し怒ったような表情をしていた。


 彼が怒ると、ボクはすごく悲しい気持ちになる。


「ご、ごめんなさい。ゆるして……」


「フッ、なぜ謝る。友人は、友人が間違っているときでも味方になってくれるし、注意もしてくれるものなんだぜ」


 友人。

 ボクとユーリーの関係。

 はじめての、ボクの友人。

 

 ボクは、感極まってユーリーに抱き着いた。


「う、うわぁぁぁぁぁぁぁん」



 その後、ボクとユーリーは小屋の中で他愛も無い話を続けた。

 好きな食べ物だったり、人の悪口だったり、とても楽しい時間を過ごした。


 そして、朝方になってユーリーはボクに「帰るべきだ」といった。

 嫌なことがあったら、いつでもこの小屋に来ていいといってくれた。


 ボクは最後に「ユーリーとまた会いたい」といった。


 ユーリーは「また会えるさ」といって、手を振りながら去っていった。

 








 あの日から1年が過ぎた。

 

 結局、ボクは城を抜け出したことがバレて大臣たちに凄く怒られた。


 だからそれ以降、ボクの部屋の警備が厳重になってあの小屋に行けていない。


 ボクはまた退屈で"寂しい"王様に戻った。


 そしてある日、ボクを王様にした大臣のお爺さんがボクにいった。


「陛下。この国は今、魔獣や魔物に苦しむ人が多くいます。それを解決するには、かの有名な『勇者エリオット』殿をこの国に迎え、ゆくゆくは陛下の"夫"となり、この国を護っていただく他ありません」



 ボクは、会ったことも無い『勇者』と結婚をしなくちゃいけないらしい。


 それを聞いた瞬間、ボクはユーリーのことを思い出した。


 なぜか、どうしようもなく会いたくなった。




 ボクは、その日からボクの部屋を警備する衛兵たちにお金を握らせ、徐々に脱走する準備を始めた。


 ユーリーは「友人は使うものじゃない」といっていたけど、ボクの友人はユーリーだけだ。


 大臣も、使用人も、他の皆すべてボクにとっては"お金"と同じ。



 そして1ヶ月と1週間が過ぎ、再びボクは夜に城を逃げ出した。



(ユーリー、ユーリー!ユーリー!! 会いたい会いたい、会いたい!)



 それだけを思いながら必死に走った。


 そしてあの小屋に辿り着く。


 ボクは期待を込めて小屋の扉を勢いよく開けた。


 そこには、ボクの会いたかった男がいた。


 ――両頬を真っ赤に腫らして、レンズが割れている黒い眼鏡かけたユーリーがそこにいた。


「……ユーリー? ど、どうしたの、その顔」


「驚かせるなよ……入る時はノックくらいしろ、エステル」


 ぱんぱんに腫れた頬を手で押さえながら、ユーリーはボクの名を呼んだ。


(よかった。覚えてくれてた。嬉しい、嬉しい嬉しい嬉しい)



「この顔はな、モテる男の代償ってやつだ」


「代償?」


「女たちに別れを告げてきた。俺は学んだよ。女に別れ話をするときは、左頬をビンタされたら、次は右頬を差し出すべきだとな。じゃないとダメージが偏る」


「……何を言ってるの?」


「俺も年貢の納め時が来たってことだ。男はいつか必ず、一人の女に人生を縛られるときが来る。俺はそれが今だ」


「一人の女……あのマチルダってお姉さん?」


「面白い冗談だ。マチルダにいったら、ビンタで済むわけがない。殺されるだろうな……」


 あの驚くほど綺麗なお姉さんなら、ユーリーを独占できると思った。


 だけど、どうやら違うみたい。

 それどころかあのお姉さんにはまだいってないのか。



「――あら? よく分かってるじゃない。ユーリー」



 小屋の外から聞こえてくる女性の声。


 去年聞いた、マチルダの声にそっくりだった。


「――ッ! マ、マチルダ……なんでここが!」


「愚問ね。私がこの街で知らないことなんて、あると思う? ねぇ、ユーリー。この私が、このままあなたを逃すと、本気でそう思っているの?」


「……」


 ユーリーは赤く腫れた頬が白くなるほど、頭から血の気が引いていた。


 すごく怖がってるみたい。


 ボクが助けてあげないと。


「お姉さん、ユーリーが怖がってます! 帰ってください!」


「その声……去年あった可愛らしい坊やね。誰がこの小屋に入っていったか、先に分かってよかったわ。もしユーリーの連れてきた"あの女"だったら――彼もろとも殺しちゃってたから」


 小屋の扉越しから聞こえてくる声は、とても冷たくて恐ろしい。


 ボクは思わず体を震わせた。


 本能で、体が恐怖を感じているんだ。



「か、帰って! お姉さん、ユーリーのことが好きなんでしょ!? 何で怖がらせるの!」


「……坊や、勘違いしてるわ。私は、彼のことを"好き"なんじゃない。"愛"しているの。どうしようもなく、自分でも抑えられないくらい、苦しいくらい、憎いくらい、あいしているの」


 声が出ない、息苦しい。


 もはやこれは、怒りではなく狂気だ。


 お姉さんは今、狂っているんだ。



「――そこまでにしろ、マチルダ。お前にそれほど愛されるのは男冥利に尽きるが、この子まで巻き込むな……それに、いくら脅されようと考えは変わらない。お前より、"あいつ"を選んだ。後悔はないとは言い切れないが、これも運命だ」




「――――ァ、ア、アハ、アハハハハハハハハハハハハハハハハ」




 ユーリーの言葉に、お姉さんは笑い声とも泣き叫ぶ声とも聞こえる声を出した。


 なぜだろう。あれほど怖いと思ったのに、今は悲しい。ボクは自然と涙が零れた。



「――――キょうハ、カえる。マた、愛まショう」



 その言葉を最後に、小屋の外にあった気配が突然消える。



「エステル、もうマチルダとは関わるな。あいつはこの王都を根城にしている闇組織の女首領だ。子供でも歯向かえば容赦なく殺される」


「……ユーリーは、もうマチルダさんのこと嫌いになったの?」


 なんでこんなこと聞いたんだろう。


 あのお姉さんのことを思うと、胸が苦しい。なんでだろう。


 ――あぁ、そっか。ボクも、ユーリーに拒絶されたらお姉さんと同じになるんだ。


 そんな予感がする。



「愛していたよ。嫌いになれるはずがない。だが、もう俺にマチルダを縛る権利はないんだ」




 違うよ。間違ってる。


 ユーリーは誰かひとりだけのものになっちゃいけないんだよ。


 でも安心して。ボクは友人だ。だから、注意してあげる。


 もっと偉くなって、ユーリーを護ってあげる。注意してあげるよ。


 だって、それが"友人"なんだもんね? そう教えてくれたのは、ユーリーだよ。



 ――フフ、ボク、王様になれてよかった。

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