第45話 霊安室

特任獣医師の説明を聞きながら、小早川とみゆきは、霊安室に横たわるミキの亡骸を見つめていました。

一方の庄五郎は、慣れた手つきで死体検案書の専任監督官欄にサインをしながら、今後の葬儀の手配や段取りを考えていました。

人間と擬人とが共存する世界で、擬人の検死を専門に行うのが特任獣医師の役割で。


「死因は、外傷性ショックによる失血死。時速80キロの車に跳ね飛ばされ、頸部には著しい裂傷が見られる。殆ど皮一枚で繋がってるようなもんだよ。街路樹と路肩には広範囲にわたって血痕が残されていた。可愛そうに」


医師は物静かな語調で言うと、手を合わせてミキの御霊を弔いました。


「まあ、せめてもの救いは、顔には傷がないってことだよ。年頃の娘さんだからね。綺麗なもんだ。あれだってね。聞いたけどさ、司祭を脅迫して人間になったっていうじゃないか。そこまでして憧れていた身体と重たい脳みそを手に入れたっていうのに、皮肉なもんだねえ。彼女は幸せだったのかな。ま、幸せだったんだろうな」


暗に、人間になれて幸福だという推測を正当化しながら言うと、庄五郎の眼にも同調の色が浮かびました。

みゆきは、ミキの身体に出来たアザやキズや打撲痕と、控えめに塗られた紅の色に整合性を見出すことが出来ませんでした。

まさか死ぬなんて・・・当人は思いもしなかったのではないか?

そう思うと、事務的に進められる現実に嫌気がさして、小早川に早口で問いかけました。


「この娘はただの器物。器物が損壊しただけなんですよね」


「そうだ、擬人に人格権はない」


「だけど、どう見たって人間ですよ」


「惑わされるな。俺達は擬人に関わる事件を扱う専門機関だ。注意喚起、警告、身柄確保、保護観察院送致、一時的な感情で突っ走るなよ。少し頭を冷やせ・・・気持ちはわかるけどね、俺だって新人の頃はやり切れなかった。何度も辞めたいって思ったよ」


「どうして辞めなかったんですか?」


「・・・辞めるのなんていつでも出来るからさ、それに、擬人の連中にもしっかりと法律は守ってもらわなきゃダメだろう? それが出来るのは俺達だけなんだから。犠牲者を出さない為にも・・・それに、人間になれて良かったって、どうせなら思ってもらいたいじゃない?」


みゆきは、口達者な小早川にうまく丸め込まれている自分の不甲斐なさを、常日頃から嫌悪していました。用心深くてポーカーフェイス。言葉尻を捉えられることを嫌う小早川の発言は、善にも悪にも取れるどっちつかずの言葉が多く、本心は最後まで判りませんでした。

コンコンと、扉をノックする冷たい音が聞こえて、庄五郎が視線をそちらへ向けて。


「どうぞ」


と、応えると、警察官に連れられたのっぽのお兄ちゃんが伏し目がちに霊安室に入って来ました。

血色のない顔で、ずっと目を閉じたままのその表情には、絶望と慚愧の念が滲んでいました。初めて目にする擬人の被害者遺族に、みゆきは何も言えないでいました。

庄五郎はあえてにっこりと笑って、やさしく言いました。


「ミキさんだと思う。お兄ちゃん、さあ、顔を見てあげてください」


のっぽのお兄ちゃんは、ずっと立ったままでした。

しかし、足が震えているのをみゆきは見逃しませんでした。


「・・・あの・・・俺達・・・」


「ん?」


「・・・そんなつもりじゃなくて・・・あの・・・」


「うんうん」


「あの・・・ただ・・・羨ましくて・・・けど・・・」


「うん・・・うん」


「辛くて・・・」


「うん、わかった」


「猫のままが良かったなって・・・」


「・・・お兄ちゃん、しっかり現実を見てあげてください。ミキさんに語りかけてあげてください、きっと当人も喜ぶはずですから、シャンとなさい! あぶらたにの7つの子! 君達は間違いを犯したかも知れないがもう充分だ。充分ですよ・・・もう・・・」


「・・・はい・・・」


「うん・・・」


「・・・触れてみても?」


「・・・いいですよ」


お兄ちゃんは、人間の死体に触れるのは初めてでした。

恐る恐るミキの枯れ枝のような腕に触れ、魚みたいに冷たくなった感触に驚きながら頬に手を添えると、ミキの厚ぼったい下唇がお兄ちゃんの薬指をかすめました。

紫色の乾き切ったこの唇は、数日前まで笑っていました。

ショートケーキの生クリームが付いていたり、大人の女性の人間になりたいからと、真っ赤なルージュを試し塗りしたり、些細なことで言い争いになって、ぷんすかふくれっ面で口を尖らせていた想い出も、記録や記憶も全部、何もかもが無くなってしまいそうで、それが「死」なのだと思うと、お兄ちゃんの眼からは涙がポロポロポロポロと零れ堕ちてしまいました。

















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