BMM第三試合目 ウッドマンvs.ヘクセン

 根来僧たちが担架で運ばれてゆく中、しわがれた男の悲鳴が客席から上がった。身なりのいい、初老の男が黒服たちに取り押さえられ、なにかを顔面蒼白で訴えている。

「事故加害者だよ。根来僧たちが負けたから、約束どおり処刑される」

「まさかリングの上で?」

「ううん。でも、どこかで。明日の新聞には載るかもね」

「……誰がこんなイベントを主催しているんです? 主催者はいったい……」

 プロモーターに政府がつく、国家規模の問題に関わる試合。個人の復讐に賞金を天秤に掛ける試合。法では罰せぬを、決闘でもって改めて罰するか否か決する試合。そんなものを操っているのはいったい誰なのか――素朴な疑問である。

「主催者なんていないんだよ。そんなものは、いない」

「いない? でも開催されてる」

「こういう問題が起きた、よし決闘で決めよう。たとえばそうなれば超自然的にこの裏マッチは組まれて、情報を伝って観客たちが押し寄せる。ホールの関係者や問題の関係者たちが入場料を徴収して、試合の報酬にする。でもそれは誰かの指示で行われてるとかそういうのじゃないんだ。ここに黒幕なんていないし、東京で起こるあらゆるバーリトゥードマッチに首謀者なんてのもいない。不思議だけどそうなんだよね」

 本当かよそれ、という懐疑に満ちた目で三代目が澪を見据える。

 爆発的に胡散臭い。そんなわけあるか、とは子どもでも思うことである。

 もしもそれが真実だとすれば、人間の闘争本能が生み出した武神――のようなものが闘うことを決意した者たちの運命を決定づけている。そんな神性すら帯びてくる。

「第三試合目ッ! 西方、ウッドマン!」

 なぜ人は戦うのか……

 三代目がこまっしゃくれたことを思考しかけたところで、三試合目の入場がアナウンスされた。

 西側からプロレスラーが登場した。熊が人間に化けたとしか思えない巨体、ヒゲもじゃの顔に光る眼は野獣そのもの。レスリングシューズにはなぜか毛皮が巻かれており、そこまでワイルドっぷりを強調されるとゲップが出そうになるというものだ。げぇーっぷ。

「東方、ヘクセン!」

 東側から登場した野獣の相手は美しい女性だった。ヘクセン、ドイツ語で魔女の意であるが、見た目はどちらかといえば軽装の女騎士である。腰に鞘に収まったショートソードを差している。うしろでくくられたポニーテールの銀髪が、彼女の歩くたびに揺れる。泣きぼくろのある顔は、どこか物憂げで儚い。

「この試合は渋谷プロレスと塩山組の地上げを巡るプロモートです! 渋谷プロレスのウッドマンが負ければ会社は強制立ち退き、塩山組のヘクセンが負ければ組は解散です!」

 ジャパニーズマフィアYAKUZAの存在は知っている。地上げとはつまり、ヤクザのほうから(会社の規模はわからないが)プロレス会社に金を提示した上で交渉を持ち掛けたのだが、それが決裂。じゃあ代理を立てて、真剣やって決めよう。そういう話になったのだろう。

 がああ~と吠えて、ウッドマンが両手を広げた。嘘臭い。演じているな、と三代目は思った。

 そもそもなにがウッドマンなんだろう。ベアーマンとかでよくないか。

 ヘクセンはショートソードを腰のベルトから取り上げ、鞘のまま顔の前に構えた。前傾姿勢というほどではないが、少し前方に体が傾いている気がする。鞘の上のほうを持つ右手が逆手になっている。

 ……違う。

 この構えは決して剣士や騎士が取るものではない。

「はじめいッ!」

 ゴングが鳴って、バーニングムーン・マッチの最終試合が始まった。

 スピードで勝負しそうなヘクセンが一気に間合いを潰すと予想していたが、意外にもふたりはじりじりと間合いを詰め合った。半歩ずつふたりがにじり寄る。

 片やレスリング、片や剣術。どちらも接近しなければ戦いようがないのだから、読み合いながら近づいていくのは必然だろう。

 三代目が深呼吸を五回する内に、ウッドマンとヘクセンが互いの射程圏内に入った。

 この状態がもっとも難しい。闘士にとって虎口ともいうべき局面であり、ここでの立ち回りを失敗した日には目にも当てられない勝負になってゆく。第二試合目の木村鬼雅もかつてここをしくじったから転落せざるをえなかったのだ。

 先手を獲るとは先に手を出すということではない。先に手を出して相手に反撃を許さない、あるいは相手の攻撃を操作できるように仕立てあげる。これは立派な先手である。また、先に手を出されてそれに乗じて反撃して、自分の領域に染め上げる。これも先手の定石であり、いわゆる「後の先」と呼ばれる技術である。

 闘士は向かい合った時点でこの読み合いを、あらゆる要素から計算して感じ取り、肉体でもって制さねばならない。ここで負ければ死ぬ。戦いとはそういうものだ。

「ぼおォッ!」

 先に手を出したのはウッドマンであった。手ではなく足だが。

 大砲が発射されたかのようなインパクトある十六文キックが炸裂した。戦慄すべきは高身長を活かした打点の高さであった。気持ち上向きのキックは顔面を狙っており、軸足の踏み込みも十分。これは食らいたくない。

 ヘクセンが宙返りでウッドマンの攻撃を皮一枚でかわした。タイミングを間違えれば、顎に突っ込まれて最悪死んでいた。鞘に入ったショートソードを構えたまま、ヘクセンが着地した。

「ふんァッ!」

 一歩踏み出て、ウッドマンが左腕をヘクセンに向けてビンタするように振った。当たればリング外まで吹き飛ばされそうな勢いだが、いかんせんテレフォン過ぎる。あれに当たるのは素人くらいのものだろう。

 ヘクセンがその場に膝を折ってしゃがんだ。

 空振ったウッドマンはバランスを崩しながら、そのまま背中をヘクセンの前にさらしてしまった。大袈裟な、ただの喧嘩でも滅多に見られない空振りである。

「あ、バカ」

 真智子が呆れた表情をしながら言った。

 たしかにあの空振り方はバカだ。

 ヘクセンが「ここだ」と言わんばかりに、ついに鞘からショートソードを抜いた。閃光であった。抜いてすぐに切り上げ、つばめ返しにして切り下げた。ウッドマンの背中に大きく赤いXの痕が刻まれた。ヘクセンのショートソードはすでに鞘に収まっていた。

巧妙うまいッ!」

 思わず、三代目が叫んだ。

 抜剣術!

 それも相当の技術で完成された抜剣である。

 鞘から剣を抜いて斬る。これだけでも並々ならざる修練を要するが、ヘクセンのその速度は先の根来僧と比較しても決して見劣りしない。あれは人間の反射神経を遥かに凌駕している。三代目でも見えない斬撃だったのだから、やはり木村のような怪物でなければ見切れはしないであろう。

 そして、斬ったのちに二振り目に入り、鞘に剣を収める。これは西洋の剣では原理的に行い難い。この一連を可能にしたのは日本という国が唯一であり、それが居合抜刀術。刀の反りや鞘の構造などもろもろも含んで完成されたものだ。

 では、今のヘクセンは? それがわからない。ただ巧妙うまいという感想だけが残った。

 圧倒的な技術の差で勝負は決した。そう思った。が――

 斬られながらウッドマンは回り、剣を収めたヘクセンの前に向き直ると、ぐっと力を溜めて解き放つように彼女の顔面に拳を打ち込んだ。なにやらすごい音がホール内に響いた。

 未来からやって来た猫型ロボットとダメな少年の奇想天外な日々を描く日本の漫画を、三代目は思いだした。あれで少年がガキ大将にブン殴られたとき、ああいうふうになっていた。拳が顔面に深々とめり込む、あの漫画的で痛烈な暴力表現そのものである。

 ヘクセンが両手に鞘と剣を握ったまま、リング端まで吹っ飛んだ。

「その構えはよぅ。おれも見たことがある、日本の座頭市っていう映画で。こりゃ居合だなぁと思ったわけだぁ」

 ウッドマンが独り言を、そしてこれまた意外にも理性的な口調で言いながら仰向けになって痙攣けいれんするヘクセンに近づいてゆく。びじゅッとヘクセンの鼻から鮮血が流れ出し、みるみるリングの上を血だまりに変えた。

「だったら初撃はくれてやるしかねぇ。半端じゃないだろうスピードとやり合える気なんてしねぇからよぉ。食らって、そのあとの隙をこっちがいただこうってなぁ。プロレスラーなんだからおれぁ、これくれぇは我慢しなきゃよぉ」

 背中から血を流しながら、彼はヘクセンの前に立った。

 向き合った時点でウッドマンはプランを固めていたのだ。それも実にプロレスらしい、最終的には自分のタフネスで勝負を掛ける作戦に出た。だからあの空振りはあまりに大袈裟で、素人過ぎて見えたのだった。

 真智子が「バカ」と言ったのはウッドマンに対してではなく、まんまと引っ掛かって斬り込みに行ったヘクセンに対してだったのだろう。

 ウッドマンが片足を浮かせる。頭を踏み潰す気だ。

「ヘック、セン」

 ヘクセンが自らの名をつぶやいた。ウッドマンの動きが止まった。

「ヘック、セン。ヘック、セン。ヘック、セン」

「あぶねぇ!」

 ウッドマンが踏み潰しを中断して、うしろに下がった。まるで緊急回避というふうな動きである。

 ヘクセンが立ち上がった。鼻血がどばどばと流れており、彼女の胸元を真っ赤に染め上げている。手にはがっきと鞘とショートソードを握ったまま。

 ――握ったまま?

 違う、ショートソードの持ち方が変わっている。振る気満々の構えだ。いま一歩、ウッドマンが踏み込んでいたら、おそらく致命的な斬撃をもらっていただろう。

「なんだぁ?」

 三代目が目を凝らす。

 ヘクセンの顔がなにかすさまじいものに変容していたからだ。顔面を怪力でブチ殴られたからだとかそういう次元ではなく、もっと根本的になにかが変容していた。彼女の美しい顔のパーツはそのままに、眼は怒った獣のそれとなってギラギラと光り、歯を剥き出しにして笑っている。同じ人間、だが別人。

 凶暴ななにかが目覚めた。

「ヘックセン! ヘックセン!」

 叫びながらヘクセンは、ズボと腰に鞘とショートソードを差し、手拍子を始めた。リングの上を歩きながら自分の名を叫び、手拍子する。まるで観客を盛り上げようとしているようだ。

 異様な気にてられたのか観客席から「ヘックセン、ヘックセン」というコールが溢れて来た。手拍子の音も複数になっている。それらがどんどん大きくなる。目を丸くしている内に、ホール中がヘクセンを呼んでいた。

 血だらけのヘクセンが満足気に、リング中央に立って両手を広げ、首を傾けた。

「嫌になるねぇ。まぁこんなところで戦ってる奴なんだから、こんな背中の傷くれぇじゃあ満足してくれんよなぁ」

「あはーは。こんな血を流したのは久し振りですよ、やりますねウッドマン氏」

 初めてヘクセンが喋った。物腰は低いが、好戦的な表情は変わらない。

「二重人格かい」

「二重人格一歩手前ですが、個人的には戦闘モードだということで納得しています」

「トリガーは?」

「さあ。死が寸前まで迫ったとき。もしくは、おもしろくなってきたときじゃないですかね」

「どちらもだなぁ」

「それはそうですね」

「おっし、来い! ヘクセン!」

「お言葉に甘えて」

 タタタとヘクセンが走った。速くはない。普通の走りだ。

 ウッドマンの間合いに入るかどうかという位置にヘクセンが差し掛かると、ウッドマンが前のめりになって、両腕をにゅうと伸ばした。捕まえて、投げる気らしい。こんな野獣に投げられたらたまったものではない。

 三代目の見解では、ウッドマンは中山の完全上位互換であった。パワーもスピードもタフネスも、なにもかもが中山のステータスを大きく上げた存在。それだけに彼の顔面に叩きこむパンチや投げの威力を思うと、寒気が背筋を走った。

 ザーッとヘクセンがヘッドスライディングをして、ウッドマンの足元に滑り込んだ。なんの反動か、ダンとマットを腹で蹴って、ヘクセンが宙返りした。抜剣しながら。

「ぬおお!?」

 ジグザグにウッドマンの正面を切り裂いていた。深くはないが、宙返りで間合いを作りながら彼女は前後左右ザクザクと剣でウッドマンを斬った。

 ウッドマンが身をかがめて足払いを仕掛けた。ヘクセンが跳ぶ。マットを片手で強く叩いて、ウッドマンが加速しながら起き上がり、パンチの形を作った。人間離れした瞬発力と判断力、バランス感覚だ。

 またしても眼前に迫った拳の前に、ヘクセンは剣を立てた。ウッドマンの拳のど真ん中に刃がめり込む。これでは不足と、ヘクセンが鞘を腰に差して、余った左手を拳が突き刺さった反対側の刃に添えた。

 ショートソードと押し返す左手でもってしてもウッドマンの怪力は止められなかった。またヘクセンの顔面に割れた拳がブチ込まれた。

「ッぷぉォォーッ!」

 ゾッと殴りきったウッドマンの拳から剣が離れた。ヘクセンが剣を握る力をゆるめなかったからだろう。またリング端まで吹っ飛んで、しかし今度は倒れ込まずにヘクセンは剣を鞘に戻した。

「あのまま殴りますか、普通」

「殴るのをやめたら、殺されちゃうだろぉ」

 手首あたりまでベロリと拳が割れていた。強く固定した日本刀の刃に向かって、拳を打ち込んだらきっとそうなる。そんな綺麗な割れ方をしている。

 またタタタとヘクセンが走りだした。

 振りかぶってウッドマンが左のパンチを放った。

「また嘘臭いなぁ」

 当てる気のないパンチに三代目は感じた。

 ヘクセンが普通のスライディングで滑り込む。そして前に出たウッドマンの左足を猛烈な勢いで斬り始めた。スピードが速い分、威力に乏しいのだろう。スピードによる手数で潰す剣である。

 斬り込まれるウッドマンの脚は、外野から見てどんどん削られていくように映った。肉を刎ね飛ばされ、骨を切り詰められている……

「ぐああ」

 ウッドマンが崩れた。ヘクセンが回りながら立ち、切り下げようと動いた。終わらせる気だ。

「立ってくれて、ありがとう」

 鬼の形相で笑いながらウッドマンが言った。痛みを嘲笑あざわらっている。

 ウッドマンは崩れたのではない。崩れるフリをした。

 これには前振りがある。最初と同じ仕掛け、誘う左のパンチを放ち、脚を差し出した。自らの肉体を犠牲にしながら、ヘクセンの行動を縛るのがウッドマンの立ち回り方だった。

 ヘクセンの股に割れた右手を差し込む。左で首を抱え、彼女を逆さまにした。

「ボディスラムッ!!」

 砲丸投げ選手のようなフォームで、ウッドマンがヘクセンを地面に叩きつけた。

 その瞬間、三代目の背筋がピンと伸びたのは、電撃のような衝撃が風となって吹きつけてきたからであった。なんという豪快な一撃。

 ずる……と左足を引きずりながら、ウッドマンが立ち上がろうとしては倒れるヘクセンに近づく。気づけば、リングの上は血だらけだ。

「あっ」

 いきなりウッドマンが膝を突いた。ぐるんと白目を剥いて、前のめりになって倒れた。観客の誰もが呆気に取られて、そのさまを見ていた。なにが起きたのだ。

「鞘で頭を打ったんだ」

 山谷が言った。李に山谷がなんと言ったのか訊く。

 ――鞘で頭を。

 どういうことか考えられるのは、まさにボディスラムでマットにヘクセンを叩きつける瞬間。投げられながら、その実、精妙にヘクセンはウッドマンの頭を鞘で打ち、振盪しんとうせしめていた。それなら変な時差を置いて、ウッドマンがダウンしたのもわかる。

 はは、と三代目が小さく笑う。

 ドラマティックだな。お互いが相手の攻撃を受け切る覚悟を決めて、自身の技を押しつけ合う勝負になったということ。それはドラマティックだ。

 わッと歓声が巻き起こる。ヘクセンの勝利である。会社はヤクザに持って行かれるのが確定したが、いい勝負ではあった。

 倒れたヘクセンがふるふると震えながら、鞘を支えにして立ち上がった。

 黒服のホール関係者がリングの上にのぼり、担架でウッドマンを回収する。血を拭く。ヘクセンに近寄る――

 ヘクセンが接近した関係者をビュッと斬った。深くはないが、浅いわけでもない。血を噴いてひとりが倒れた。あっとほかの黒服たちが反応する。ヘクセンが動き回り、次から次へと斬りつける。

「ちょ、ちょっと! なにしてるんです、あの人!」

「暴走しちゃった?」

「しちゃったって……」

 リングの上を修羅の形相で走り、ショートソードを振るいながら暴れるヘクセン。ぎゃあーと黒服たちが下に転げ落ちる。

 ……変だな。

 喉に魚の骨が刺さったかのような違和感が、ヘクセンのその行動にはあった。暴れた理由はどうでもいいのだが、暴れ方がウッドマンの戦略に似てリアルじゃないのだ。

 観客たちはパニックを起こして騒いでいるが、なにか……そういうショーに見えた。斬られた黒服たちも致命傷ではなかった。そういうブック――

「お願いします!」

 東側通路のほうから声がした。

「え、嫌なんだけど。っていうか私、こんなの見るために日本に遊びに来たわけじゃないし……」

「どうかヘクセンを止めてください!」

「えぇー……」

 男にむりやり手を引かれ、その人物は出て来た。

 裏の怪物たちの中にあって最強。「稀代の夢想家」と呼ばれるその謎多き女が。

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