回転寿司の気持ち

 真智子に連れられ、三代目は大手回転寿司チェーン店「スシゾー」に入店した。

 日本の誇り高き伝統食SUSHIのことは知っていたし、一度は食べてみたいと思っていたのだが、故郷くにで仕入れた情報とこの店の雰囲気には大きな隔たりがあった。

 バカに店内が明るい。もっとしっとりとした照明のはずでは。

 ガヤガヤとやかましい。SUSHIは静寂でもって口に迎え入れるものでは。

 入国検査のようにSUSHIがレーンの上を回っている。手に唾を吐き、ぎゅむぎゅむと魂ごと酢飯を握るねじりハチマキのイナセな老人はどこにいる。

「ハングリー、スシ、ゴー」

 と、なんとか単語をかき集めた真智子の言葉に胸を踊らせたが、それも今では鳴りを潜めて不安だけが強くなっていくばかりだ。

 テーブル席にふたりは向かい合って座った。真智子は神妙そうに腕を組んで沈黙している。

 どうしていいかわからず、三代目は膝に手を置き、ちんまり頭を垂れて座っていた。

「昼に回転寿司ってさー」

 少女の声がした。

「奢りらしいから来たけど」

 セミロングの黒髪に気の強そうな目、制服を着た日本らしい美人がいた。妙な既視感がある。彼女は真智子の隣に座り、じいと三代目を見て「かわいいじゃん」と笑った。

「あの、どちら様ですか?」

 いきなり現れた女性にしどろもどろ質問した。

 前に座る女性ふたりが同じタイミング、同じ角度で首をかしげた。英語が伝わっていないらしい。

「どこ中だよテメー、って言ってるネ」

 男の声がした。

「いや口悪いな! そんなかわいい顔して喧嘩腰だったの!?」

「いきなり呼んで悪かったな、李金印リ・キンイン

「おれは拳法家。通訳屋じゃないヨ」

 三代目の隣に男が座った。つるつる頭の頂点に大量の陰毛を丸めてボンドで貼りつけたような髪、すさまじい青ヒゲをした見るからにヤバそうな男であった。

 李が三代目のほうを向いた。

「あの二代目の息子が、こんなかわいい男の子だなんて驚きだネ」

 ニカーと李が歯を剥いて笑った。全金歯である。しかも歯並びがガタガタで妖怪としか言いようがない。本能的に三代目の睾丸がきゅうと縮こまった。

「あの子は真智子の娘、みおだネ。高校二年、ああ見えて両親の闘士としての血を受け継いだ薙刀使いヨ」

 英語で李が質問の回答を与えてくれた。

 既視感の正体はそれだ。真智子によく似ている。

「あたしの奢りだ、寿司を食ってくれ」

 真智子が言った。

 じゃあ、と李が身を乗り出してレーンに手を伸ばす。

 ああ、もう取っていいのかと三代目もそのあとにつづこうとしたが、ピシャンと激しい音がしたのに驚き、動くのをやめた。李の手の甲を真智子が叩いたのである。

「馬鹿者。なにをしているのだ、貴様」

「なにって、寿司を食ってくれって言ったじゃないのヨ」

「回転寿司というのはだな、玉子からだろう。なにを取ろうとした、貴様? アジか、ん。それは解釈違いだぞ。初手は玉子、それが日本における礼儀だ」

「なに言ってるの、このおばさん」

「李、ママと回転寿司来るの初めて?」

「初めてネ」

「ママは回転寿司になると頭狂うから、おとなしく従ったほうがいいよ」

「あの……」

 話が読めずに、三代目が李に状況説明を求めた。

「真智子サン、頭狂ったらしいヨ」

「頭狂ったの!? え、こんな突然に?」

 意味がわからないが、いきなりキレて早口でなにかを厳しい口調で言っている真智子の姿はたしかに異常である。怪電波にでもやられたのかもしれない。

「めんどくさいネー。澪、タッチパネル貸してヨ。ちゃちゃっと玉子を四皿頼むから――」

「うつけがッ!」

 真智子が顔を真っ赤にして吠えた。

「か、回転寿司で注文だと……しかも初手で? 貴様、ふざけるのは顔だけにしておけ。回転寿司というのはレーンに流れてくるありのままで戦うものだぞ……それをなんだ、自分の好きなネタを注文……? ご、傲慢ごうまんと言わざるをえない……神にでもなったつもりか」

「ちょっと待つネ。じゃあ、ハンバーグやイカ天はどうするネ! あれ基本的には注文しないとレーンに流れてこな――」

「邪ッ!」

「!!」

「李、貴様には失望した。がっかりだ。回転寿司に来て、まさかそんな寿司とも呼べぬ邪道物質に手を出すなど……恥を知れ、黙って光物ひかりものとか食っておけばいいものを……カスめ……」

 話の内容はわからないが、真智子の圧倒的な狂気を感じる。パッと見でキチガイにしか見えない李が完全に引いている。澪も頭を抱えている。

「玉子……来ないヨ……」

「待てばいい。来るまで待てばいいだろう。玉子が来て、やっと回転寿司なのだ。それまではガリを食えばいい。回転寿司の気持ちを汲み取ってやれ」

 真顔でそう言うと、真智子は机の端に置かれたガリ箱を手に取り、小皿に盛って、おのおのに配った。

 つづいて、緑の粉を小さなスプーンに取り、目を光らせて量を計ると慎重に湯呑に入れた。そこにお湯を少しだけ注ぎ混ぜ、全員に配る。

「この配分が一番うまいのだ。湯の量は少なくても、濃さがちょうどいい。回転寿司に合う茶のバランスというやつだ」

 しなくてもいいのに、李が通訳をしてくれる。聞けば聞くほど怖気おぞけが走る。圧倒的な強さと美しさを持っていた真智子が、ただのキチガイだったとわかって絶望を禁じえなかった。

「でさ」

 澪がガリをかじりながら切り出した。

「君はなんで東京に来たの?」

「なにしに来たのだって」

 李を介して、質問を聞き、質問に答えた。

「強くなりたいんです。東京に来たら強い人たちと会えるって聞いて……それでお小遣い全部使って来ました」

「お前ら日本人を全員ブチ殺すためだって」

「マジで!? 野蛮すぎるだろ、この子! え、なんで日本人殺すの?」

「なぜ強くなりたいのっていてるネ」

「親を、二代目を超えるためです。そういう宿命ですから」

「親を殺す前の準備運動だって」

「見た目に反して蛮族すぎる!」

「あと……ぼくは戦うのが好きなんです。それしか才能がないから……恥ずかしい、ですけどね」

「あと、返り血を浴びるのが好きなんだって」

「バーサーカーじゃん! やめて!? 早く強制送還してよ、この子!」

 どうもテンションが合わない。澪のリアクションは大袈裟すぎないだろうか。

 ちゃんと通訳してくれてるのかと不安になって、三代目が横の李を見るが大量のガリを口に押しこんで頬をパンパンにふくらませている。詰め込みすぎて唇から飛び出ている。やはりコイツも狂っている?

「玉子来たぞ! 三代目、エッグ! エッグ!」

 エッグ? 玉子が来たのかと三代目がレーンを見る。長方形に切られた黄色の玉子が海苔のりでもって酢飯と連結させられた寿司が皿に乗って、レーンを流れている。ちょうど四皿ある。

 全員が玉子を取り、自分の前に置いた。やっと食事である。

 イメージとは違ったが、おいしそうだ。空っぽになった腹が玉子の寿司を求めている。

「いただきます」

 真智子のおだやかな号令を見て聞いて、その所作を真似する。

「いただきます」

「あはは、そうそう。上手。いただきます」

 澪が親指を立てて、グッドと言ってくれた。

「醤油、醤油」

 醤油の瓶に李が手を伸ばした。バチィン。また彼は叩かれた。

「なにをしているのだ」

「しょ、醤油ネ……」

「大丈夫か? これ、玉子だぞ……しょ、醤油って……玉子に醤油とかいらんからな……?」

「それは真智子サンの勝手な好みよネ……?」

「いや、一般論の話をしている。というか礼節の話をしている。玉子に顔向けできる食べ方をしろよ、李金印リ・キンイン

「イカレババア」

 ぼそりとつぶやいて李が元の位置に戻った。

 三人が玉子を口に入れたのを確認してから、三代目も玉子を頬張った。

 おいしい。

 温かさは皆無で、冷凍していたものを解凍しました感はするものの、ほのかに酢が混ざった米によく合う。これはいくらでも食べられそうだ。

「つ、次以降は好きなネタを食べて大丈夫だから」

 空気をやわらげようとしたのか、澪がフォローを入れた。

「当たり前ネ! いくら奢りでもこれ以上、変なクソルール押しつけられたら胃に穴が空くヨ!」

「はあ……」

 貴様はわかっていないな……というような非常に見ててイラッとくる諦観の表情を真智子が浮かべた。自分がこんな人に負けたという事実が重くのしかかる。

「久しぶりの複数人回転寿司だから浮かれてるんだと思う。昔、パパと回転寿司で大喧嘩して以来、ママはひとりで回転寿司に行くようになってたから……欲望が暴走しちゃってるっていうか」

「大喧嘩で済んでよかったネ」

「今日のこともパパに言ったら怒ると思うんだよね」

「貴様の父親には内緒だぞ。奴はバカだから話にならん」

「別にチクらないけど、貴様の父親って呼び方はどうにかなんないの」

 話を聞き流しながら三代目はモリモリと寿司を食べる。皿を次から次へと積み上げて、いろんな味を堪能していた。ハマチ、エビ、イカ、つぶ貝、えんがわとどんどん味わってゆく。どれもこれもうまい。

 李がサーモンを取った。醤油の隣の黒い液体に、手を伸ばす。

 ピシャン。バチチィン!

 手の甲を打ち、今度は立て続けに李の頬を真智子がビンタした。がしゃあと李が席に倒れた。

「貴様ァーッ! なにに手を伸ばそうとしたァっ!」

 かつてない剣幕である。

 お次は何事かと戦々恐々としながら、三代目はわさびなすを口に放り込んだ。かっら!

「甘だれだろァっ! 貴様、いま! 甘だれに手を出そうとしただろァーッ!」

「な、なんなのネ! たまには醤油じゃなくて甘だれも――」

「こんな軟弱で脆弱ぜいじゃくなものを使うなァーッ! 甘だれに人権があると思っているのか、貴様ーッ!」

「じっ……人権はないだろうけど……」

李金印リ・キンイン! なにが貴様をそうさせる! なにが貴様をこんな邪道に! 外道に駆り立てる! なぜ道を踏み外した、李金印リ・キンイン!」

「うるせーぞ、ババア!」

 店内が静まり返った。

 レーンを挟んだ反対側のテーブル席に座る若い男たち三人組が、こちらを睨みつけている。レザージャケットにモヒカン。目立つ格好をしているのに今まで目に入らなかったということは三代目たちが入店したあとに来たのだろう。

 寿司屋にいるのにくちゃくちゃとガムを噛む男が、

「あんま騒いでっとレイプしちゃうよ?」

 と言って、ペッとガムを吐いた。レーンを抜けて、スライムのようになったガムの残骸が四人の座るテーブルの真ん中に貼りついた。

 真智子が立ち上がる。

くずどもめ」

 三代目は自分がどういう立場でいるべきか困り果てた。

 真智子は誰かに怒鳴られても仕方なかっただろうし、なんなら絡まれても仕方がない。とはいえ相手も相手で汚すぎる。これはもう双方ともに死ぬべきではないか。

 となると、自分は黙って寿司を食っておくべきだろう。めかぶ長芋納豆軍艦を口に運ぶ。

「ババア、反抗的な目ェしてんじゃねぇぞ」

 モヒカンのひとりがレーンから寿司を一皿取った。えびアボカドだ。

「そいや!」

 パイ投げのように男が寿司を皿ごと、真智子の顔に叩きつけた。皿が割れ、真智子の両目には横になったえびとアボカドが。鼻にはオニオンが。唇にはシャリが引っ付いた。にっこり笑う怪物のようになってしまった。

「わははは! アボカドババアー!」

 どっとモヒカンたちが笑った。

 煮あなごを咀嚼そしゃくしながら、三代目が立った。澪も数の子を食べながら立つ。

 ブッ!

 李が放屁した。

 それを合図に澪と三代目がレーン向こうに正拳を打ち込む。ひとりが吹き飛んだ。ひとりが「おげ」と鳴いて倒れた。

「食べ物を粗末にしてはいけない」

「万死に値する」

 三代目と澪が言った。

「おどれがー!」

 残されたひとりのモヒカンがぴょーんとジャンプした。レーンの上を跳び越え、落ちてくる。三代目がアッパーを放った。男の股間に拳がめり込んだ。打ち抜く。

「おおおッ」

 男は空中でグルグルと回転しながら、廊下にべしゃりと墜落した。

 股間をぎゅっぎゅっと押さえながら痙攣けいれんして、

「よくもまぁおれたちに……こんなひどいことを……リーダーが黙っちゃいないぞ……オメーら殺しにくっからよォ……」

 リーダーという単語が聞き取れた。

 三代目が男の襟首を掴み、持ち上げる。

「リーダー? そいつは強いの?」

「リーダーは強いのかって」

 李がすかさず翻訳する。

「強いぜェ……浅草最強の喧嘩師……パワー・オブ・筋肉。テメーら殺されるぜェ……」

「強いんだって」

「ぼくは三代目ポポアック。カマン」

 実戦に飢えていた。

 真智子に師事しようと思っていたが、ただのイカレかもしれないのでやはり普通にほかの相手が欲しい。ゴロツキどものボス、やってみたい相手である。

「金玉……」

 そう言うと、モヒカン男はぐばぁっと血を吐いて気絶した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る