第19話 暗殺者の襲撃
リーゼロッテはミーナとのデートに大満足のていで、公爵家へ向かう馬車の中は盛り上がっていた。
「本当に美味しかったですわ! 食後のデザートまで洗練されていて、素敵でした!」
「ほんとだね、思わずデザートを追加してしまった」
「ハインリヒ様も、甘いものがお好きなんですね! イメージと違って・・驚きました」
「うん、かなり好きかも」
だって、中味は女の子なんだからね、と眼で語るミーナ。それを理解したリーゼロッテも、嬉しそうにうなづく。
この美しい、憧れの姉弟と秘密を共有することは、なんと刺激的で、そして幸福なのだろうかとリーゼロッテは改めて思う。もちろんその秘密は重く、露見した暁には彼女も何らかの咎を受けずにはいられない性質のものではあるが・・
「全然怖くないわ。脅されようと殺されようとこの秘密を守るの。だって・・この秘密のおかげで、私は夢のような恋をして、そして想い続けていた人と結ばれたのだもの」
ミーナに聞こえないように、リーゼロッテが重たい決心を小さくつぶやいた時、それは起こった。
馬車のキャビンに何かが激しくぶつかる音が二つした後、馬のいななきと護衛のあわてる声が連なる。ミーナが素早くリーゼロッテを床に倒し、かばうように覆いかぶさる。
どうも矢で襲撃されているらしい、ならキャビンから出ようとするのは下策だ、とミーナは冷静に考える。敵はおそらく、有利な位置からこちらを狙っているのだから、驚いて扉を開けて出て行ったら、おあつらえ向きに頭を狙い撃たれるだろう。なら大人しく伏せて時間を稼いでいればいい、王宮から連れて来た護衛は多分役に立たないだろうが、今日は最強のボディガードがついてきているのだから・・必ず守ってくれるはずだと。
一旦冷静に心を決めたものの、見えない敵に狙われている不安は、恐怖をかきたてる。ミーナは従軍経験があるとはいえ、あくまで後方支援要員としてだ。実際に命のやり取りをしたことは、もちろんない。斃れた護衛兵の無念の声、次々と矢が馬車に突き立つ音を聞いてはとても平静ではいられない。もしこれが火矢であったなら、ここに留まっていて良いのか、車外に逃げるべきではなかったか・・次々と悪い想像をしては、扉を開け放ってしまいたい衝動に駆られる。怖い、怖い、怖い・・
それでも辛うじてミーナが暴発しなかったのは、抱き締めていたリーゼロッテの身体の暖かさゆえだ。そうだ、彼女は私以上に不安なのに、こうやって私を信頼して身を任せてくれている。私が落ち着かないと・・
そして突然、キャビンの扉が開き、男の影がのぞいた。ミーナは全身の筋肉をこわばらせ、眼を固くつぶってリーゼロッテだけは守るようにかき抱いた。
「大丈夫かミ・・ハインリヒ!」
そこにはやや慌てた感じのクリフが顔を覗かせていた。それを見てしまったミーナは緊張の糸が切れてクリフに飛びつき、その身体にしがみついて声もなくただ涙を流した。
「すまない、少し対応が遅れてしまった。怖い思いをさせたよね・・もう大丈夫だから、ね。リーゼロッテ様も、よく我慢されましたね」
そうだ、リーゼロッテも怖かったのに、私だけこんなに泣いちゃいけない・・と頭ではわかっているのに、涙は止まらないしクリフからも離れられない。ごめんなさいもう少し、もう少しだけ女の子でいさせて・・結局ミーナが落ち着くまでに、クリフのシャツはびしょびしょに濡れてしまったのだが。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「結局、生きてるのは私が相手した一人だけね。クリフは全員・・五人とも瞬殺しちゃったし。ホントに手加減できない人よね・・捕らえて尋問しなきゃいけないとか、思わないのかしら?」
ニコラはあきれ気味に、お手上げポーズをとる。魔王も倒す勇者の卓越した武勇を、暗殺者とはいえ普通の人間に振るってしまえば、こうなることは自明であるのだが。
「面目ない・・万一があったらとか、思っちゃって」
「まあ、誰かを守ろうとするときだけ本気が出るのがクリフのいいところだから、許してあげるわ」
たまには私のことも守ってもらいたいものだけどね、と聞こえないようにつぶやくニコラである。
「ん・・本当に、ありがとう。クリフ、ニコラ・・みっともないところ見せて、ごめん。あれは忘れて」
まだその眼は充血しているが、ようやっと自分を取り戻したミーナ。いつもにない弱気な振る舞いが余程恥ずかしかったのか、白皙の頬が桜色に染まっている。
「いいのよ。私達だけの時は、甘えてちょうだい」
「良かったです。ハインリヒ様・・いえヴィルヘルミーナ様も女の子なんだって、さっきはほっとしちゃいました、うふっ!」
ニコラとリーゼロッテがフォローを入れ、ようやくミーナも薄く微笑む。いつもの凛とした雰囲気と違う弱々しい姿に少しどきっとして、思わず眼で追ってしまうクリフを、ニコラが寂しげに見ていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「結局、姉さんとリーゼロッテを襲った賊のバックにいる奴は、わからなかったわけなの?」
ハインツは真剣だ。何しろ愛するリーゼロッテが、危険な目にあったのだから。リーゼロッテと「いたして」からというもの、ハインツの思考は常にリーゼロッテを中心に回っている。
「そうなのよ。もちろん暗殺者たちは身バレするようなものは持ってないし、唯一の手掛かりになるはずだった賊の生き残りが、護送中に自殺なんですって・・もう完全に迷宮入りね」
ニコラもあきらめ顔だ。
「護送中の自殺なんてのは、実に怪しいな」
「まあ、グレーと言うより、完全に真っ黒ね。衛士隊の隊長級も、かなりフライブルク侯の手先が入っちゃってるみたいだし・・もう少し時間があれば私達で尋問できたのにね」
「さっさと引き離された感じだったからな・・」
クリフとニコラは、フライブルク侯派が暗殺者を「消した」と判断している。
「逆に言えば、侯にはそいつを消す必要があった・・つまり、刺客を差し向けたのは自分だと言っているようなものね、だけど証拠はないわ」
「ごめん・・私も現実を受け止める、早く元に戻るように努力するわ。このまま私とハインツが入れ替わっていたら、フライブルク侯に秘密を暴露されるのは時間の問題。そしたら私達姉弟の未来も、リーゼロッテの未来も、王国の将来も、真っ暗だし・・ね」
すっかりいつもの冷静な頭脳に戻ったミーナが、重大な決意を口にする。それを聞いたハインツも、深くうなづく。クリフとニコラは視線を交わし合った。
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