第10話 軍務省にて

白馬にまたがるハインリヒ王子・・実はミーナだが・・から一馬身半ほど引いたポジションで、周囲に眼を光らせながら栗毛の馬でついていくクリフ。


若手のエース官僚と、研修生と言う名目で、一緒に軍務省に通う二人である。王宮からついてくる護衛兵を先行させ、ゆっくりと石畳の街路を騎行する。


ミーナの乗馬は基礎がしっかりして、姿勢も安定している。先だつ魔王軍との総力戦においては補給担当官僚として従軍していたというから、おそらくロングライドの経験も豊富なのだろう。馬に負担を掛けない重心の置き方、首や腰が痛まないような乗馬姿勢が身についている。


そして何しろ、馬上の姿が実に凛々しい。短い金髪が風になびくさまは、まるで神馬のたてがみの如く。そのエメラルドの眼は迷いなく前方を見据え、どこまでも白い肌、すっきりした鼻梁ときゅっと引き結んだやや薄めで桜色の唇、神を模した大理石の彫刻に見まごうような、中性的美貌が街ゆく人々の視線を奪っている。


勇者クリフも、本来なら注目を集めてしかるべき重要人物・・であるはずなのだが、これだけ目立つミーナと同行すると、群衆の視線を全く感じない。もちろんその方がクリフにとって好都合なのだが。


軍務省庁舎は、重厚な石造りの建物だ。着くなりミーナは乗馬をつなぐ間も惜しみ、待ち構えている膨大な事務処理に没頭する。ミーナの所属は人事局第一部・・将校の配置や論功行賞を扱うセクションだ。魔王との戦の際には補給局に所属していたはずだが、若手のエースには多くの部署を経験させるという、上層部の方針なのだろうか。


おそらく、二~三年後には軍務省を出て、財務省や総務省などより政治色の強い職務に転じ、将来国を率いる準備をするのだろう・・その頃は王太子としてということかな、とクリフは推測する。上役は部長と次長の二人だけ・・「第一王子」かつ「五俊英」のミーナは、十八歳にしてすでに職位が高いのだ。


一方クリフは軍務省に「研修」に来て、一日目こそ簡単なブリーフィングを受けたものの、あとは放置プレイである。


「勇者様に対して、こちらからお教えするようなおこがましいことはできません。クリフォード様には、どうぞお好きな部門を自由にご覧いただきたい!」


応対した総務局の部長の言葉だ。敬して遠ざけよう、という心境が透けて見える・・というよりあからさまだ。それならばとクリフは日がな一日、ミーナが忙しそうに業務をこなす姿を、感心しつつ見学することにしたのだった。


「クリフ殿、そこまでじっと見つめられるとさすがにやりづらいのだが。せっかく上層部が好きに動き回っていいと言ってるんだから、あちこち見てきたらどうなのだ?」


数日間見られてばかりで辟易した、ミーナの発言である。王子モードにスイッチが切り替わっており、完璧な男言葉だ。


「特に興味のあるところと言ってもな・・」


「クリフ殿、貴方は私を護衛する意味合いで軍務省までついてきてくれているのだろう。それに対しては素直に感謝する、ありがとう。だが執務室にいる限り、私にほぼ危険はないのだ。食事や帰宅の際には一緒にいてもらうが、こうやって仕事している間は、クリフ殿には自由にしてもらいたいのだ」


「・・そうか。わかっているなら、いい。では少し出て来る、昼食の時間には戻る」


なんだ、ミーナもきちんとニコラの意図を察しているのか、さすがにちょっと不自然な「研修」だったからなとクリフはひとりごちる。確かに事務官ばかりの人事局にいる限り危険はなさそうだと判断し、外をぶらつくことにする。


そうは言っても、軍務省は所詮お役所だ。クリフが興味を持てそうなものはほとんどない。あるとすれば・・戦史や軍人列伝にあふれた資料室くらいか。趣味の歴史書に埋もれるのは後日にして、とりあえず中庭の木陰に置かれた木材のベンチに腰掛けて、大きな吐息をつく。何かせかせかした雰囲気の軍務省の中で、ここだけが不思議に落ち着く感じがする空間だ。名前も知らぬ庭木に咲いた瀟洒な白い花が風に揺れているのを、ぼんやりと眺めているクリフなのだった。


「お~い、王女の婿殿は早速サボりか? いいご身分だな」


不意に斜め上から声がして見上げると、そこには暗灰色の髪と明るく陽焼けした肌、やや赤みを帯びた褐色の瞳を持つ男がいる。年の頃は二十代半ばを、少し過ぎているか。


「ああ、未来の義弟どのに邪魔だと追い払われてしまってね。やっぱりお役所なんてところは、平民で脳筋の俺には合わないのかも知れないなあ」


クリフはやや斜に構えた返答をする。とはいえ、機嫌を損ねているわけではない。こういう率直な奴は、結構好きなのだ。


「そう言うなよ、俺もここにいる奴等の中では最下層の身分だが、結構このお役所ってところが好きなんだぜ。ああ、まだ名乗ってなかったな、俺の名前は・・」


「ロベルト・フォン・ノイランズベルク。男爵家の三男にして、名高い『五俊英』の一人だろう?」


「・・油断ならない婿殿だな。なんで俺を知ってるんだ?」


「ああ、ちょっと勉強したからな・・重要人物に限り、だけどな」


そう、ハインツに要人のプロフィールを詰め込みで覚えさせたあの訓練に、クリフも立ち合っていたからだ。ハインツのような超人的記憶力はないから、『五俊英』のような印象的キーマンと、将軍級の制服軍人しか、記憶できなかったのだが。


「俺も重要人物か、それは光栄というべきかな。わかった、俺のことはロベルトと呼んでくれ、婿殿」


「あんたをロベルトと呼ぶ条件は、俺のこともクリフと呼ぶことだぜ、先輩殿」


どちらからともなく笑いが広がる。初対面のはずだが、なぜか通じ合うものを感じる二人であった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る