第13話 笑顔が眩しすぎて

 秋が深まれば日暮れも早まる。だが、昇降口から覗く校庭が真っ暗なのは、それだけのせいじゃない。バケツをひっくり返したような、季節外れの大雨が振りしきっているからだ。


「おう、どーしてくれんだサメ子さん?」


「えへへ。ごめんね。つい盛り上がっちゃってさ」


「だから何度も言ったろ、今日は夕立があるから早く帰ろうって!」


 今日の部室にはオレ達以外にケンゾーしか顔を出さなかった。そして、やることもない。だから早く帰ろうと提案したんだが、サメ子は何をキッカケにしたのかスイッチが入り、マニア向けトークを延々と繰り広げてしまった。


 その結果がこのザマだ。こんな事になるなら、サメ子なんか放置して帰れば良かったと思う。1時間前に下校したゲンゾーと一緒に。


「マジでやべぇな、これ。いつになったら止むんだよ」


「心配しないで。今から迎えを呼ぶから」


「迎え?」


 そう言ってサメ子はスマホを取り出し、誰かと電話し始めた。


「阿波谷さんですか? 佐江子です。今ちょうど帰るところなんでお願いします」


「誰だよアワタニって……」


「5分で来てくれるってさ」


 電話一本で人を呼び出せるとか、さすがはお嬢様だ。オレとは別次元に生きてやがる。


 そう他人事に感じていると、校門の方が明るくなった。2つの目映い光は車のヘッドライトだ。


「すげぇな。電話一本で送迎かよ」


「あんまり近づかないほうが良いかも」


「えっ?」


 物珍しさから表まで出でしまったのだが、それは悪手だった。車は辺りを憚らずに猛スピードで走り、頭と尻を左右に振った。そして後輪を前面に滑らせながら、けたたましい音が鳴らすと共に、横付けになって停まった。


「大丈夫、コータロくん?」


 それは見りゃ分かるだろ。泥だらけだよ泥だらけ。頭から靴までズブ濡れだぞこの野郎。


「いやぁ焦った焦った。お嬢様、汚れてはいませんかぁ?」


 運転席から若い男が降りてきた。その鼻歌でも歌い出しそうな表情がムカつく。


「私は平気だけど……ね」


 そこで男とオレはガッツリ視線が重なった。


「アワ、アワワ、どうしましょう! コレどうしましょう!?」


「とりあえず乗せて、それからタオルをください!」


「ヒィィかしこまりましてぇーーッ!」


「ほら、コータロくんも乗った乗った」


 こうして強引に後部座席へ乗せられた。隣のサメ子が真っ白なタオルを渡してくる。


「ごめんね、汚しちゃって」


「まぁ、今日は金曜だから。土日に洗えばどうにかなるだろ」


「うーん……ちょっとウチに寄っていかない? お風呂も用意してるし、洗濯もやってもらおうよ」


「急に何言ってんだお前」


「良いから良いから。このままじゃ風邪ひいちゃうもん」


 強引にもサメ子は自宅を目指した。コイツの性格上、言い出したら聞かない事は重々に承知している。とりあえず母さんには遅くなるとだけ伝えておいた。


「オレんちとは正反対だな」


 車窓の向こうは見知らぬ景色だ。どうやら隣町に向かっているらしい。やがて住宅街を抜け、緑地に来たかと思うと、塀が視界を阻んだ。それは、行けども行けども果てが見えない。どこまで続いてるんだろう。


「お待たせ。着いたよ」


「へっ……?」


 車が左折すると、その向こうはとんでもない豪邸だった。庭と呼ぶにはあまりにも広いスペースは、屋敷まで相当な距離がある。徐行する車窓から、バラの生け垣やら家庭菜園やらが見え、たまに馬のいななきが聞こえる始末。遠くにうっすら見えるのはテニスコートか。


 サメ子はここが自宅だというが、あまりにも現実離れしていた。何坪あるか知りたいような、聞くのが怖いような気分になる。


「お嬢様、お帰りなさいませ」


 ようやく着いた屋敷では、お婆さんが出迎えてくれた。かなりの高齢だが、背筋のピンと伸びた姿勢が頼もしい。ただ、メイド服なのは何となく違和感を覚えた。


「明堂(めいどう)さん。この子は友達なんだけど、ちょっと汚れちゃって」


「おやまぁ、これは災難でございましたねぇ。湯の用意は出来ておりますゆえ、どうぞこちらへ」


「えっ。本当に風呂入っていいの?」


「もちろん。着替えも出して貰うから行ってきなよ」


「お、おう」


 夢でも見ているのか、それとも狐あたりに化かされてるのか。そんな気分になるくらい、床も壁も調度品も何もかもが別世界だ。例えば赤絨毯。これを汚しでもしたら、一体何百万の騒ぎになるんだろうか。おっかない。


「こちらが殿方の湯処になります。どうぞごゆるりと」


 ゆっくりと言われても。このスパリゾートを貸し切ったような環境、果たしてどこまで楽しめるだろうか。オレの心身は完全に萎縮してしまっている。


「家風呂とは思えないな、これ」


 円形のバスタブは手足が伸ばせるし、お湯は間断なく石像からチョロチョロと溢れ出ていた。ギリシャ神話に出てきそうなお姉さんがツボを抱えていて、そこから出てくるという仕組みだ。


 充分温まったし、全身もキレイに洗えた。だが心の方は強張ってしまい、どうにも状況を楽しめずに居た。


 脱衣所に戻ると、ふんわりとしたバスタオルに、着替えの用意まである。肌触りの滑らかな浴衣、どこからか調達したインナー上下。


「なんだよ、この対応力は……」


 やっぱり生半可な金持ちじゃなさそうだ。外観だけでなく、その内側もヤバい。圧倒された気分で廊下に出ると、例のお婆さんが待ち受けていた。


「お召し物は最優先で対応しておりますので、完了まで今しばらくお待ち願います」


 次に案内してくれたのはラウンジみたいな場所だった。ぶら下がるシャンデリア、ごついテーブルに牛革ソファ、備え付けの暖炉。正直言ってもう眼がしんどい。


「おかえり。気持ちよかった?」


 ソファにはすでに先客が居て、優しく微笑みかけられた。気安い口ぶりだが明らかに初対面だ。さすがにこれ程の美人と面識があったら、絶対に忘れないと思うから。


 背中まで伸びる髪のツヤだとか、瞳の大きさまつ毛の長さ鼻筋が通ってどうのと言葉を並べたところで、この美を表現できやしない。


 たとえるなら、液晶画面から有名女優でも飛び出したかのような。あるいはVR機器でもつけてドラマの世界に飛び込んだかのような、そういった錯覚がある。


「どうしたの。ボンヤリしちゃって」


「あの、どちら様?」


「あはは。やだなぁ、佐江子だよ」


「さ……サメ子なのか!?」


「そうだけど。まだ素顔見せてなかったっけ?」


「あぁ、ゴリッゴリに初めてだよ……」


「驚かせてごめんね。ともかく座ってよ、お茶が冷めちゃうから」


 対面側に促され、とりあえず腰をおろした。もちろんサメ子を直視なんかできず、テーブルの意匠ばかりを見つめるばかりになるのが情けない。


「今日はごめんね、迷惑かけちゃって。制服はあと1時間もすればキレイになるってさ」


「うん、まぁ、こっちこそ風呂とかありがとな」


 調子が狂うなんてもんじゃない。胸の内は大嵐でも迎えたような騒ぎだった。


「ところでさ、明日はヒマかな? 埋め合わせをしたいんだけど」


「明日か……」


 予定はあると言えばある。明るい内にペットボトル一本持って、チャリで知らない道を探検したかったし、夜は夜で動画漁りでもと考えていた。合間にギターも弾くつもりでいる。


 だが口から出たのは正反対のセリフだった。


「割と暇だよ」


「そっかぁ。じゃあ明日、駅で待ち合わせしようよ」


「うん。まぁ、良いけど」


「約束だからね、絶対だよ!」


 視界の端、周辺視野が拾った笑顔は、まさに造形美の頂点と思わせるものだった。


 やっぱり直視はできなくて、紅茶を呷り気味に飲み始める。まだ熱い。胸のうちが騒ぐのも、そのせいだと自分に言い聞かせた。 


 

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