第9話:過去の者たち

「ともかくだ。お前の望みを聞かねば前に進まん。早く。いや、ゆるりとで良いが考えろ」


 引っかかりのない咳が何度か。そうやって狗狼は、菫との間に境界を設けているように見えた。

 素の自分を取り繕うのは人間のようと、親近感に似た思いがする。しかし疎外された気持ちも禁じえない。


「たくさん居たの?」

「む?」

「わたしの前に、生け贄にされた人。女ばかりって」


 尻を床に着けたまま、俯く。同類を求めた自分の浅ましさが恥ずかしかった。


「さて、どれほどだったか。百よりは多いはずだが。二、三年に一人あるかないかだ」

「そんなに」


 想像したよりも桁違いにたくさん居た。思わず顔を上げ、目を見張る。

 その女たちも皆、菫と同じく無理やりに連れてこられたならやりきれない。そういえば北の村では、水害を鎮める為に自ら臨むこともあるとか。


「それほどの数、みんなの望みを叶えるなんて。神さまでも大変でしょ? かわいそうだから、幸せをあげたの?」


 生け贄とされた者に得をさす。という部分が、どうにも理解出来ない。もちろん当事者としては歓迎だが。

 しかしそうすると、対価となった願いはどうなる。それをも叶えるなら、狗狼は丸損とならないか。


「幸せなど、振る舞ったことはない。我の務めは、世のことわりを滑らかに回すこと。なにか一つに肩入れはせんよ」


 鋭い狗の爪を伸ばした、毛むくじゃらの手。形は人間と同じそれを、狗狼は首の後ろへ持っていく。

 ぼりぼりと、音の聞こえるほど強く掻いた。


「理って?」

「ん。弱い者を強い者が食い、いつかそれも草葉の糧となる。水が高きから低きへ行くように、自然と定まった流れのことだ」

「それなら」


 なおさら、菫の懸念するままでないか。雅な衣装の衿を掴み、こんな施しは受けられないと示す。


「ちょいと菫、なにしてんだい!」


 脱ぎ捨てるとでも思ったか、慌てた雲が肩を押さえた。さすがに狗狼を前に、そこまでするつもりはなかったけれど。


「よもやお前。己が贄の役目を果たさねば、村の者に不利益があると案じているのか」

「えっ……」


 問われて咄嗟には、当たり前と感じた。けれども彼の不審げな言いぶりに、自身の声を思い返す。


 ――わたし、東谷のためにって考えてる?

 仲間と信じていた菫を、生け贄とした。どんな事情だか、知りもせぬものを菫一人に背負わせた。

 そんな村人たちを。


「そんなわけない。そんなわけない、けど」

「なんだ」

「わたしの村の景色が、もう見られないなんて嫌だよ」


 師匠たちや、纏め役。進ノ助の顔を思い浮かべれば、恐怖の中にも憤りが混じる。ただ、憎いとだけは思えない。


「人間の考えることはよく分からんな。まあだからこそ、懐かれもするのだろうが」


 それこそ分からぬ言葉を、「なにに」と問う。だが狗狼は「なんでもない」と雲に目を逸らす。

 彼女のことなら納得だが、むしろ懐きかけているのは菫のほうだ。


「お前は生け贄として、この祠へ寄越された。望んでもおらん我のために、お前の道が理から外れたのだ。ゆえに我は、生け贄の望みを叶える」


 村のことと菫のこととは、あくまで別。だから心配は要らないと、狗狼は言った。


「村の障りも、もう払った」


 また首の後ろを掻きながら、やれやれとため息を吐く。どうやら幾分、呆れられたようだ。


「狗狼、ありがとう」

「礼など要らん。分かったなら、もう部屋へ戻れ」


 姿勢を正し、頭を下げる。東谷のためでなく、面倒がらず答えてくれたことに。

 ここまであれこれ問うた者は、例がないのかもしれない。心なしか、疲れて見えた。


 そうすると答え、背を向けた。雲がまた、障子戸を開いてくれている。「じゃあ」と縁から見返ったところで、もう一つ聞くべきことを思い出す。


「狗狼、もう一つ教えて」

「なんだ」

「元居たところへ戻った人は居た?」


 生まれ育った場所へ戻る。他の土地を知らぬ菫には、どうしてもそれ以外の選択肢が思い浮かばない。

 それなら実行した者が居るのかくらい、聞いてみるのも良いだろう。


「居た。しかしそれだけは勧めんよ」


 予想通り。睨むような鋭い視線が向けられた。それでも敢えて「どうして」と問う。退路はないのだと、自分へ言い聞かすために。


「貴族に嫁がせた者が居た。海が見たいと、船に乗せた者も居た。旅の踊り子などは、なにを好き好んだか知らん」


 本当に思うがまま、やりたいことをさせてくれるらしい。狗狼は馬鹿にするが旅の踊り子なんて、聞かなければ永遠に思い付かなかった。


「振る舞ったことがないと言ったのは、幸せなど当人の想い次第だからだ。そういう意味で、送り出した者は皆、幸福に過ごしている」


 狗狼は瞼を閉じ、ときおり顔を動かした。思い浮かべたひとり一人の人生を、なぞるように。

 幾ばくかそうした後、また鋭い視線に戻る。だが先ほどより、悲しげだった。


「元の住処へ戻った者はな、すぐに死んだよ。一人残らずだ」

「分かった、ありがとう」


 平気で居ようと思ったのに、背がぶるっと震える。すぐさま戸を閉めた雲に、菫は抱き留められた。

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