花の夢、咲くころ②


 父の雅晴がマイク片手に、告げる。


「息子の耀平が、私の後継として倉重観光グループの社長に就任したのは既に皆様もご存じだと思いますが、この度、孫の航が、いままで息子の耀平が経営してまいりました『倉重ガラス工房』を引き継ぎ、社長に就任することになりました」


 知ってた知人も幾分がいたようだが、まだ若い航がいよいよ事業を受け持ち若い社長さんとなると知り、驚くどよめきがホールに広がった。

 しかしそれは、やがて『おめでとうございます』という華々しい拍手へと変わっていく。


 カナも壇上の下で娘の千花と一緒に、夫と息子が厳かに一礼をするのをそっと見守っている。

 母の静佳はどこにいるのかと見渡すと、向こう側で既に親しいご婦人たちに囲まれて談笑している。


 まず耀平がマイクを持った。


「倉重の人間となり、義父からなにか事業を興せと言われ起業した会社が『倉重ガラス工房』でした。義妹だった妻の花南が職人だったこともありますが、常々、義父の雅晴と日本の手仕事の素晴らしさに敬意をもつと同時に、その存続の危うさを案じることもよくありました。職人が安心して技術を鍛錬する場所は、それほど多くもなく、廃れやすいものです。その思いもあり、興した会社です。今度は、その意思を、子供のころから叔母であり母親でもあった花南の職人の姿を見守ってきた息子に引き継ぎたいと思います。同時に、倉重観光で社長を務めます私の補佐として観光業に携わり、邁進して参りますので、今後もよろしくお願いいたします」


 夫のスピーチにも皆が拍手を送ってくれる。

 次は航にマイクが渡される。堂々とした姿なのに、やっぱりカナは母親としてドキドキしている。

 千花もカナの隣にいて、そんな父と兄の姿をお喋りもしないで静かに神妙に見守っている。

 カナはすぐそばにいる千花をそっと抱き寄せる。二人でお兄ちゃんが挨拶をする姿を見上げる。


「倉重航です。このたび、父が経営をしておりました『倉重ガラス工房』を引き継ぎました。まだ若輩だと重々承知でございます。皆様からのご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします。思いは父とおなじです。職人を守る仕事をしていきたいと思っています。そして、皆様の手元に、日常を彩る品をお届けしていきたいです。いずれ、父の元でさらなる精進が必要だとはわかっておりますが、ここからを、今後の倉重を支える仕事のスタート地点といたします。よろしくお願いいたします」


 立派な挨拶に、やっぱりカナは思わず涙ぐんでそっとハンカチで目元を押さえてしまっていた。


「お母さん、お父さんもお兄ちゃんもかっこいいね」

「うん……。素敵。さっきまで意地悪だったけど……」


 千花がやっぱりいつものお母さんとホッとしたのか、笑って抱きついてきた。


 挨拶が終わると、雅晴父が『堅苦しいご報告はおわりです! ここからは和気藹々、たのしい誕生日会。食べて飲んでお喋りをしましょう』と明るく言いのけると、会場の空気もほっと和らいできたのをカナは見る。


 だが、会食が始まると、みなが花南のところに集まってくる。


「まあ、花南さん。おめでとうございます。今度は息子さんが工房を支えてくださるんですね。頼もしいですわね」

「おめでとう花南さん。息子さんが職人として大事にしてくださるとの言葉、感激いたしましたよ。航さん、立派な青年になりましたね」

「おめでとう、花南さん……」


 来る人来る人が花南にお祝いの言葉を届けてくれる。

 それにも花南は楚々として「ありがとうございます」と、ひとつひとつ丁寧にお礼を述べる。


 そんなとき、カナはふと思っている。

 私……、ちゃんと社長夫人で、若社長になった息子の母親としてちゃんとここにいられるんだなあと。

 十数年まえの自分からは考えられない状態だった。ただただ、シンプルな服装で汗まみれでガラスだけを見つめていたのに。


 でも。夫の耀平と、その思いを引き継ぐ息子がいなければ。やはりカナは職人を続けていられなかったと思う。

 そして、これからも。夫だけではない、息子だけではない、自分自身も職人としてあの工房を、そして娘として倉重を守っていかねばならないのだ。


 壇上から耀平と航が降りてくると、そこにも人々が集まってお祝いの言葉を届けている。


 気の利く夫が、集まった人々にスパークリングワインを配る姿もあった。ああいうところ、やっぱり義兄さんは心得ているなと感心して遠くからカナも見守っている。


 お父さんとお兄ちゃん、そしてお祖父ちゃんと付き添っていたお祖母ちゃんも加わると、そこには人の輪ができていく。


「わたし、寛人ひろとのところに行ってもいい?」

「うん、いいわよ。ふたりでお食事しなさい」


 千花がきょろきょろと探したのは、ヒロと舞の息子だった。

 ひとつ年上の彼とは幼馴染みで、いつも学校が終わるとガラス工房で一緒に親の仕事が終わるのを待っている仲だった。


 今日はヒロもスーツ姿、舞もドレスアップをしていて、舞の父親の岸田氏も招待客であったので、そこで父娘、婿と一緒に和気藹々と既に会食を始めていた。そこに小学生用のスーツを着て、今日はかっこよくしている寛人がいた。


 彼を見ているとカナも思う。最近、父親のヒロに似てきたなあと……。しかも、吹き竿を持って、父親とガラスを作るなんてこともするようになってきている。将来どうなるかわからないけれど、興味を持ってくれたならやらせてみるのがヒロと舞の方針のようだった。


 裾がふわりと舞うワンピース姿の娘が近づくと、ヒロと舞が歓迎してくれて、寛人と千花が楽しそうに一緒に食事を始めた。

 千花はそこが落ち着くようだった。



 妻で母であるカナのそばから、倉重の男三代の輪へと皆が流れて、ふっと一人になった時だった。


「花南さん。ご無沙汰しております」


 着物姿の老女と付き添っているスーツ姿の初老の男性が近づいてきて、挨拶をしてくれる。


「女将さん」


 岡山の金子女将と、その息子、三男の『ゆずる』だった。

 今日は父と耀平が敢えて招待をしていたのだ。


「お久しぶりでございます。本日は来てくださって、ありがとうございます」


 なのに。金子の女将の瞳がもう濡れていた。


「航さん、ご立派になられて……。このようなお席に来る立場ではありませんのに、お招きに甘えて来てしまいました。本日は、おめでとうございます」

「花南さん、母のために、ありがとうございます」


 おふたりに深々と頭を下げられてしまう。


「豊浦の父と夫の耀平の意向ですから。それに、金子の料亭で、こちらのガラス食器を仕入れてくださっている顧客様なのですから堂々としてくださいませ」


「いつもあなたと耀平さんが気にしてくださるので、ついつい。それにしても、ほんとうに航さんは、忍に……」

「母さん、それ以上は――」


 忍の弟、料理人だという三男の弦が、母親が言いかけたそこを遮った。

 女将もいまはお祖母ちゃまの気持ちになっているのか、うっかりしていたと口をつぐんだが、また涙を流している。


「金子の女将さん。来てくださったんですね。お待ちしておりました!」


 そこへ、航が溌剌とした様子で入ってきたから、しんみりとしていたカナと女将と三男さんはそろってドッキリと驚きの顔を揃えている。


「まあ、航さん。今日はお招き、ありがとうございます。倉重ガラス工房の社長ご就任、おめでとうございます。いつもそちらのお品を使わせていただいているだけの私までご招待くださってお礼申し上げます」


 女将が顧客として楚々と着物姿で一礼をした。

 ほんとうは航とは血縁である叔父のはずの弦もそっと頭を下げてくれる。


「そんな。これからは俺の、えーっと、私のガラス工房になりますから、今後もご贔屓をお願いいたします。女将さん」


 気張らない、いつもの航らしい素がでている愛嬌ある挨拶だったため、やっと女将が楽しそうな微笑みを浮かべてくれた。


「女将さん、いえ、お祖母様。あちらに和菓子がたくさんあるんですよ。俺とお抹茶を持って、そこの庭で月見でもしながら食べませんか」

「え、わたくしなど……」

「今日はお祖母ちゃんが来たら一緒にそうしようと思って、厨房の料理人さんたちに和菓子をいっぱいリクエストしちゃったの俺です」


 凜々しいスーツ姿の、クレバーでクールな眼鏡の青年だったのに。

 お祖母様の目の前では、初めて会ったときのままの少年のような航に戻っている。

 そこはきっと。彼の父親であった忍とは違う雰囲気ではあった。

 それでも金子の女将はまた泣きそうになって顔を伏せている。


「行きましょう。お祖母様。これからも、料理と器のこと、客商売のあれこれ、俺にも厳しく教えてくださいね。俺、ちゃんとした社長になりたいんです」


 航からお祖母様の手を取って、優しく肩をつつんでエスコートしていく。

 やがて、女将も嬉しそうにして歩き出した。

 カナはそれを三男さんと見送る。


 二人きりにされ、カナはふと金子家三男の弦を見る。彼と目が合ったが、二人揃ってハッとする。ともに涙目になっていたのだ。


「わたしたちは、こちらへ、行きましょうか。弦さん」

「そうですね……」


 互いに人目を避けるようにして、涙をともに堪え、ホール会場の外廊下へと出た。

 少し歩いた先にある奥まった場所のソファーへとふたり一緒に腰をかけた。


 こちらも落ち着いた品の良いスーツを着こなす彼が、着物姿のカナにそっと頭を下げてくれる。

 たたずまいが洗練されているのは金子の男、亡くなった忍義兄と兄弟だなといつも思わせてくれる男性だった。


「母のために。ありがとうございました」

「いいえ……。その、どうしても見届けて欲しかったのは、わたしたちのほうなんです」

「顧客として招待を受ける心積もりで参りましたのに……。航君があんな明るく受け入れてくれて。でも、母は嬉しいと思います。だって……航君、あんなに……」


 そこで弦も堪えられなくなったのか、ハンカチで目元を押さえ、今度は躊躇わずに涙を流していた。


「あんなに、兄貴にそっくりで……。生き写しとはこのことでしょうか」


 カナももう涙を浮かべ、おなじようにそっとハンカチで目元を押さえる。


「ほんとうに。成長すればするほど、お兄様にそっくりになっていくので、私も嬉しくもあり、また亡くした時のことを思い返しては胸が痛みます」

「気に病まないというお約束でしょう。兄が守ったからこそ、今日があるのですから」


 また二人一緒に、涙しかでてこなくて黙り込む。


「母があんな嬉しそうに……。今日も一目みられたら満足だと言っていたのに」

「航は最初からそのつもりだったようですよ。今日は金子のお祖母様と一緒にお抹茶をするんだと張り切っていましたから」

「あの時は、大変でしたね。今日のように自然に母を受け入れてくれる日がくるなんて――」


 あの時――とは、航の本当の出生、父親が耀平ではなく、金子の女将の息子が父親だったと知った時のことだった。

 すべての秘密をさらけ出せたわけではないが、父親は航の出生を守ろうとして、脅しにきた男と刺し違えて他界したと説明している。


「いいえ。そちらの女将が毅然として航に『筋』を説いてくださったことで助かったところもあります」


「山中湖で修行をされた芹沢工房の親方さんが、しばらく預かってくれたのですよね」


「はい。航にとって、あそこは実家とは切り離された世界なので……居心地がいいようです。あと、そちらの親方がまた厳しい男性で、こちらも筋を通すことを譲らないお方なので、航も実家の人間ではない大人として聞く耳をもってくれたとかで、気持ちが落ち着いたようです」


「本日は、そちらの親方もいらっしゃっているとお聞きしているのですが……。そちらもあって、出向いてまいりました。母と共にお会いして、ご挨拶とお礼をさせてください」



 今日はそんな目的もあり、密かな関係がある方々も呼び寄せていた。

 航の成長にあたってお世話になった方たちに、航の節目を見届けてほしくて、招待を決めていた。

 父の雅晴もそのつもりで招待をしてはどうかと勧めてくれたのだった。


 だから、カナも素直に頷き、お互いに涙をなんとか乾かしパーティー会場に戻ることにした。


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