【8】凜と咲く(耀平視点)

凜と咲く①

 今年の『ショコラ獲得戦場』は北国。

 耀平はいま、真っ白に染まった運河の街『小樽』にいる。

 今年のバレンタインのスイーツ視察は北国に決定。

 その前に――、仕事だ。


 観光で賑やかな運河から遠ざかり、静かな町の道をゆく。

 懐かしいその道には、少しだけ苦い思い出も、甘やかな熱も思い出す。


 運悪く、この日は風と小雪が舞う日で、耀平は着てきた黒いダウンコートの襟元を閉じ、妻が用意してくれた大袈裟な分厚いマフラーの中へと顔を半分うずめて歩く。


「大袈裟ではなかった。助かった、カナ」


 こんな分厚いマフラー、もたつくし荷物になるし、山口では暑いし、飛行機の中でも邪魔で快速エアポートの中でも暑苦しくて持てあましていたのに。


なに言っているの、兄さん。いまの北海道が一番寒いんだからね。

小樽は海風もあるし、札幌より雪が積もるんだからね!

風の日なんか積もった地面の雪が吹き上がって、地面から吹雪きになるんだからね。

そんな日にあたったらどうするのよ。百メートルも歩けないからね!


 正解だった。北国で三年過ごした妻の言うことが正解だった。


 耀平は吹きすさぶ風に向かいながらも、持てあましていたマフラーがこんなにもぬくもりを保護し、風を防いでくれるなんてと、持たせてくれたカナに感謝しているところ。


 目指すは、カナが修行をしていたガラス工房。

 久しぶりに、カナの師匠であった親方と直接会う約束になっている。


 工房の商品を直に手に取り、眺め、ホテルの食器として仕入れる品定めの出張に来ていた。


 その工房が見えてきた。


 懐かしいな。わけもわからず実家を出て行ってしまったカナが初めて独り立ちをした職場。そして職人としての基礎を叩き込んだ工房。


 たったひとりで必死にガラスを吹いていたまだ若い彼女を思い出す。そして……、久しぶりに会った義妹が、初めて色香を漂わせ女の空気を纏いはじめていたあの『甘やかさ』。


 シンプルな服装だからこそ、際だつ色香と花の匂い。あの時、耀平は自覚した。俺は義妹をいつのまにか……。なのに義妹は、義兄の耀平と二年も一つ屋根の下で暮らしたのに、すっかり忘れたかのように、いやまったく存在していなかったかのようにして、もう地元の男と付き合っていた。


 義妹が子供ではないことぐらいわかっていた。

 豊浦の倉重家で一緒に暮らしている時も、男の匂いを纏って帰宅する夜もあった。

 でも『どうせ俺は義兄だ。姉の夫だった男。義妹が近づけるはずがない、節操というものがあるだろう』と思っていた。


 しかし耀平は、あの時、この小樽で悟ってしまう。

『節操と言い聞かせていたのは俺自身』だったのだと。


 いつしか義妹は自分のそばにいる、いちばん近い女性となっていた。そして、誰にも触れて欲しくない存在になっていた。


 あの時、久しぶりに義妹に会いに行ったあの時。『だめだ、どの男とも一緒になって欲しくない。俺と航のところに戻ってきてくれ!』。必死になって彼女が生きられる場所を作りはじめていた。


 運河沿いから、少し古びた街の片隅にその工房がある。煉瓦造りにしているのは小樽の街の外観に合わせたのだろうか。


「倉重副社長、いらっしゃいませ!」


 事務所を訪ねると、カナの最初の師匠である『遠藤親方』が迎え入れてくれる。


「寒かったでしょう」

「はい、義妹が教えてくれた地吹雪が『これか』といま体験してきました」


 そこで穏やかな遠藤親方があははと珍しく大笑い。


「もう妹さんではないでしょう」


 耀平もハッとする。


「そうでした。いえ……、まだお互いに義兄妹が抜けなくて困っています。それに花南が小樽でお世話になっていた時は義妹でしたから」


「もうすぐ花南の出産から一年。今年も花南から年賀状をもらいましたが、かわいいお嬢様ですね」


「あ、いえ……、ありがとうございます」


 もうすぐ一歳になる娘『千花』のことを言われると、耀平もさすがに照れくさい。


 昔ながらの大きなストーブがある事務所のソファーへと案内をされる。もう顔見知りであり、電話やメールでもやり取りをする事務員女性も『お世話になっております。いらっしゃいませ』と暖かい紅茶を出してくれた。


 遠藤親方と向き合い、今回、ここまで訪ねてきた本題に入る。


「新しい食器をご所望でしたが、おすすめはこちらになります」


 目の前に、デザートボウルやグラスに小皿が並べられる。

 一目見ればわかる。ここの商品はシンプルでありながら、そのラインやフォルムに品がある。


「いいですね。いつも一目で気に入ってしまいます」


 耀平も手にとって眺めた。


「これから夏場の懐石料理にて、涼しげな演出をするのにガラス器は必要です。ですが近年、それとなく洋風の雰囲気を取り入れることもお客受けが良いため、季節問わず演出のためのガラス器を増やしたいと思っていたのです」


「いつもこちらのガラスをご愛用くださいまして、ほんとうに感謝しております。ホテルのディナー、結婚式の披露宴、そして旅館の懐石料理、使用された際のお写真を送ってきてくださいますが、制作した職人達が自分のつくったガラスの行く先を知り、とても励みにしております」


 遠藤親方も、嬉しそうだった。カナがこの工房に来てからのご縁。あの義妹にも品を見る目が備わっていたようで、耀平自身が義妹が世話になっていることを抜きにして気に入ってしまったのだから。


 だがその親方が少しだけ表情を曇らせた。


「ですが、耀平さん。そちらもガラス工房を経営されているのに、自社の商品を使わなくてもよろしいのですか」


「工房それぞれの特徴があります。自社でありますが、萩と山口の工房でも既に特色が異なっています。萩では伝統的なものを、山口は花南と徳永という若い職人が指導しているせいか商品に若さと独創性があります。こちら小樽の工房でしか手に入らない雰囲気もあります。それが欲しいのです」


 もちろん、自社製品も使っていますよと告げる。その上で耀平は、手に持っている丸いフォルムの小さな器をみつめる。


「こちら小樽では、凛とした薄氷のような品を感じさせます。この斜め切り口になっている丸い球体の器。これに貝の刺身など盛りつけましたら海の中を思わせることでしょう」


 やっと遠藤親方がほっとほころぶ笑みを見せてくれる。


「ありがとうございます。今回も耀平さんが品定めに来ると知り、花南の先輩達が試行錯誤、制作したものばかりです」

「そうですね。目移りしてしまいます、今回も」


 お気に入りの工房だけあって、どれもこれも料理長が喜びそうなものばかりで、耀平も料理が思い浮かぶほど心躍るものばかり。


 倉重観光グループが得意先となり、ここの工房職人も、ホテル旅館用品バイヤーとしても動いている耀平の好みをがっつり掴んでくれるようになっている。


 迷いながらも、ひときわ目を惹く切子のデザートボウルを手に取る。

 色ガラスの被せなし、無色透明の切子のもの。無色なのにその切子の模様がとても際だっている。


「この切子もいいですね。細やかな模様の緻密さ、熟練の技が窺えます。華やかな輝きを狙う花南とはまた違う……」

「それは私が……」

「さすがです。やはり師匠ですね。こう見ると、花南はまだなのだと思ってしまいます」


 切子の模様の緻密さ、尖端までの切り込みの美しさ。素晴らしいものだった。


「こちらを頂きます」

「ご入り用の点数をお決めください。追加にて作成します」

「わかりました」


 今回も欲しい品が見つかり、注文数と見積もりの話を親方と煮詰めた。


 ひとしきり商談が終わると、おかわりの紅茶を煎れてくれる。ひといき味わう耀平の目に見える窓には、横に吹きすさぶ吹雪。なのに事務所は暖かく荒れている外とは異なり穏やか。


「花南はきちんと母親をしていますか」


 親方からの問いに、耀平もちょっと笑って答える。


「しております。意外とやるんだなあ……と思っているのですよ」


 親方もそこで笑った。


「意外と、花南のような興味がなさそうだった女性が、きっちりやる母親になったりするんですよね」


「まあ、それでも。ガラスがなければ他のことだってやらない――というかんじはそのままです。ガラスがあるから子育ても頑張ってるというところですかね。ただ、一生懸命であっても、ガラス以外は不器用なのはそのままです」


「あはは、目に見えます。いや、でも、年賀状でいただいた花南の顔がいままで見たこともないいい顔だったので……。しあわせなんだなと。ほんとうに一時期、どうしてそんなことになったのかとハラハラしたものです」


 親方もしみじみとティーカップを傾け、紅茶をひとくち。耀平も何のことを言いたいのかわかってしまったので、言葉が見つからない。


 カナと別れてしまった時、義妹の行方が一時期わからなくなって豊浦の倉重家が騒然としたことがある。


 義妹は『小樽へ行く』と告げていた。山口の家を出て行って数日、そろそろ小樽に落ち着いた頃だろう。親方にまた義妹がお世話になる挨拶をと思って連絡をしたが返答は『ここには来ていない』だった。


 いったいどこへ行ってしまった? 山口の家を追い出しておきながら耀平は『早まった。俺は馬鹿だ』と酷く後悔したのはいうまでもない。きっとどこかでたかをくくっていたのだ。カナを追い出したとして、もう一緒にいられないと言い放っても、頼る場所がそれほど多くない義妹がどこへ行くかなど『小樽しかない、親方の元なら安心だ』と決めつけていたのだ。


 義妹は耀平の怒りの本質をよく捕らえていた。甘えていなかった。だから『小樽は頼ってはいけない』と、本気だったのは義妹のほうだった。


 携帯は解約され、若い頃カナに与えた銀行口座も解約されてしまっていた。連絡手段も金銭的援助を続けようと思っていた手段も断たれた。耀平も狼狽えていたが、カナの母親の静佳は半狂乱になっていた。


 しかしカナはひとつだけ、耀平に気配を残していた。

 小樽の親方に伝言を残していた。


『他の工房を探すとの連絡がありました。落ち着いたら小樽の私のところへ連絡をするから、お義兄さんにはひとりでなんとかやっているから安心して欲しいと……』


その伝言を受けた親方も、花南をきちんと捕まえておかなかったことを気に病んでいた。


『申し訳ありません。お義兄さんが私の工房から花南を強引に連れて帰る手助けをしてしまったので、今回は……花南の気持ちを尊重してしまいました』


 親方に気の毒なことをしたと耀平は苦く噛みしめた。義兄と義妹のいざこざに巻き込んでしまい、こうして気に病むような状態にさせてしまったことを。


『親方にひどいお願いを……、私も義妹もしてしまいました。気に病まないでください。こちらの家の問題です』


『ですが、そちらのお家のことを気にせずとも、いっとき手元に置いていた弟子でもあります。小樽にいる時も妙にひとりでいることにこだわっていたように感じていました。今回こそ、そちらとご縁を切るのではないかと心配です。それに……彼女はそんなに器用ではありません……』


 遠藤親方は独身で子供がいない。職人人生を貫いてきた男だった。カナを見る目が男だったと感じたことはない。むしろ『子供がいたら、このような子がいたかもな』といいたそうな、そういう父親のような懐の深さをいつも感じていたから、耀平も頼ってしまっていたのだといまは思う。


 そんな倉重家の問題を遠い北国から見守ってきてくれた遠藤親方だからこそ。若いカナがようやく母親になったことをしみじみと思ってくれているのが伝わってくる。


「娘の千花も、いつか小樽に連れてくるつもりです。母親が技術を得て、感性を磨いた土地ですから」

「そうですね。楽しみです。お待ちしております」


 そこでまた親方がちょっと躊躇う様子で、耀平の目の前にいくつかの画像をプリントアウトした用紙を並べた。


 どれも見覚えのあるものばかり。


「うちの花南が作った商品ですね」


 画像はすべて、カナが考案して倉重ガラス工房で販売しているものばかりだった。


「そうですね。今年から通販会社での販売も参入されたのですね。そして倉重ガラス工房のオンライン通販で売り出していたものですね」


 出産前に商談があった大手通販会社の申し出で作ったガラスのペンダントトップの画像と、カナが今年のクリスマスともうすぐやってくるバレンタイン用にと考案した切子グラスのキャンドルグラスだった。


「どれも売れているようですね」

「はい。おかげさまで」


「花南らしい商品です。とくにこのキャンドルグラス。切子のグラスの中に、ガラス細工のハートや星が真ん中に浮かぶように透明なジェルワックスを注いだこちらの商品は売り切れて、さらに追加制作したようですね」


「そうです。通販雑誌で倉重ガラス工房が紹介されてから、アクセスがだいぶ増えました」


「やはり、花南は購買客にウケのいいものを考案する。創作としてのセンスもあったようですが、こういう商品としての考案も女性ならではですね。羨ましいものです」


 カナが考案したガラスの星が浮かんで見える透明の切子キャンドルグラスはすぐに売り切れた。追加の要望もあり若干数追加制作したがそれもすぐに【Sold Out】。


 この評判にあやかり、今度はハートが浮かぶキャンドルをバレンタイン用に向けて販売。こちらも先日【Sold Out】となったばかり。


 そんなカナの商品の売れ行きを眺めていたのも親心だったのか、耀平は訝しく思う。だがここでやっと親方が耀平に告げた。


「うちのオーナーが、自分の店で花南の商品を扱いたいと言っております。今度、仕入れの訪問に来たら是非に会いたいと伝えて欲しいと言われているのですが、いかがですか」


 耀平も驚き、目を見開く。


「いえ、しかし……。ここは小樽ですし。小樽には小樽のガラスがありますでしょう」


「この工房のオーナーは、すぐ近くでガラスのセレクトショップを持っています。私どもの製品はそこで売っております。もちろん小樽ガラスとしてです。ですがそのショップではオーナーが見定めた他のガラス製品も置いています。たとえば、ベネチアガラスもお気に入りで置いているぐらいです。その中に、倉重ガラス工房の品も置いてみたいといっています」


 思わぬ商談に耀平は言葉を失うばかり。


「その、突然で。小樽には小樽の……と思っておりましたから」


「ですがガラスの街としての集客力はどこよりもあると思いますよ。いまは海外からの観光客も多いですからね。それにオーナーは花南のこともよく覚えています。うちの工房の出身者ならば余計に置いてみたいと言っているのです。きちんと山口で制作された倉重工房の商品と掲げます。こちらは集客力を持っています。ですが『売れるもの』を創る力を持っているものはなかなかおりません。オーナーは花南のセンスで生まれる商品を欲しているのです」


 一時、迷い。でも……、耀平もそのオーナーの経営するための意向が痛いほどわかってしまう。


「わかりました。こちらこそ有り難いお話しです。是非とお伝えください」


 ほっと胸を撫で下ろした親方が、とてつもなく安心した表情を柔らかに崩した。


「ああ、よかった。では、オーナーに連絡しておきます。本日の夕か明日になるかもしれませんが」

「日程は充分に取っております。大丈夫です」


 こちらのオーナーに痛いところを見抜かれていると思った。

 山口も萩も観光客はいるが静かな街。現地販売は限りがあるから、オンラインと通販、そして気に入ってくれた他地方の小売店へ卸すなど、販売ルートの拡張は欠かせないものだった。


 通販という手を得たが、それもいつまで続くかわからない。この小樽での集客力は非常に魅力的なのは確か。しかもいまは海外の観光客がこの北海道に押し寄せてくるほど。新千歳空港も海外の観光客が非常に多かったことを耀平も思い出す。


 よかった。冬の厳しい季節だと躊躇っていたが、思い切って小樽にやってきて。おもわぬチャンスが転がり込んできた。


 このような商談は耀平がテキパキまとめるが、やはりチャンスはカナのガラスが運んでくる。こうしていつまでも彼女のガラスを支えていきたい。そう思っている。


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