act.2 穂村 信乃


 目の前に光が散った。まるで火花だ。感情と感情、才能と才能が激しくぶつかり合い、そこに生まれた火花が照明さえ上回るほどの輝きを放つ。それは客席に飛び、やがて炎となる。観客たちの心を燃やしていく。

 これが演技だなんて、もう誰も信じていないのではないかと私は思った。



《act.2 穂村ほむら 信乃しの




「“ならば、誰が彼を殺したというのか!”」

 その台詞を聴いた瞬間、ぶるりと震えたのを覚えている。そこには怒りがあった。戸惑いが、悲しみが、切なさが込められていた。劇団spark看板舞台『ため』のワンシーンだ。

 そしてその問い掛けは、最後に主人公へと返ってくる。すべては己が招いたことだと知ってしまう。私は、私の中にある何かを揺さぶられて、泣いた。それももう何年か前の話だ。

「穂村さーん、まだ残りますかぁ?」

「まだ事務仕事があるんです。施錠はしておくので、お気になさらず」

「じゃあお先でーす」

 sparkに所属する団員未満の研究生たちは、のんびりとした挨拶を残して全員帰った。その先輩にあたる劇団員は別室で反省会を終えた後、明日の公演に向けて帰路についているだろう。劇団が所有する、百席にも満たない小さな劇場にはもう私しかいないはずだ。

 私がsparkのスタッフになったきっかけは、あまり格好のいいものじゃない。劇団員募集のオーディションに落ちただけ。落ちて、でも美大卒業見込みの経歴と面接の結果から、卒業を待ってスタッフとして拾われることになった。

(人前で、台詞が言えないのは、致命的)

 あの日、緊張で喉が凍った。だけど言えたとしてどうだっただろう。演技経験も知識もない私が口にする台詞なんて、きっと酷いものだったに違いない。研究生の手伝いで台本を手にとっても、今も変わらず凍るくらいなのだから。

 大学四年の冬。ずっと一緒だった友達と決別し、就職も決まらず、なんだかどうでもいい気持ちで一杯だった。そんな時に観たのが『誰が為』だ。衝撃を受けた私は、馬鹿みたいに泣きながらオーディションに申し込んだ。そうせずにいられなかった。

「……さて、やるかな!」

 事務仕事が残ってるなんていうのは、この場所で一人になりたいだけの嘘だ。用具入れからいそいそとモップを取り出す。掃除なら研究生たちがすでに終わらせていたけれど、昂る気持ちを抑えるにはこれがいい。

「“ならば、誰が彼を殺したというのか……それは他でもない彼自身だったはずだ……友に置いて逝かれた我々は、ただその死をいたむことしか出来ない……”」

 覚えてしまった主人公ウィリアムの台詞を呟きながら手を動かす。舞台を磨く。自分もいつか、ここに立てるだろうか。

 今日は二年ぶりの『誰が為』公演だった。出演したわけでもないのに、まだ胸が高鳴っている。この物語は善意が招いた悲劇だ。その発端が自分だとは、この場面のウィリアムはまだ知らない。だから純粋な感情で叫んでいる。

 そして私は、この劇で必ず古い友人を思い出す。


──信乃ちゃんはいつもそうだよね。


 それは、私にとっては急な出来事だった。子供の頃から仲が良かった友達。そのはずだったのに。


「あたし、あの子が苦手。でも信乃ちゃんはそう聞くと、あたしがあの子と話さなくてもいいようにするでしょ」

「信乃ちゃんはいつもそうだよね。あたし、それが嫌なの」

「もう一緒にいるの、疲れちゃった」


 耳元で蘇る、声。あの言葉。

 どうすれば良かった? 何が正しかった? そうやって自身を疑う前の、彼女のために何でもしてあげたかった気持ちを思い出す。私の中にウィリアムを呼ぶ。

 私はモップをゆっくりと床に置いた。息を深く吸い込む。台詞せりふを自分の言葉として、発する。

「“ならば、誰が彼を殺したというのか!”」

 がらんどうとした空間に、余韻よいんを引きずりながら声が響いた。人や物があればあるほど反響の仕方は変わる。こんな風にウワンと真っ直ぐに跳ね返ってくるのは、私しか居ないからだ。

「……ウィリアムはこの後、最愛の恋人ヘレナから、自分を憎んでいたと告げられる。彼への復讐として目の前で命を絶ったヘレナを追い、自らも死を選ぶ……か」

 『誰が為』に出会うまで、彼女の気持ちがわからず消化出来ないでいた。彼女のためにと思っていた私自身を否定されて困惑し続けていた。でもウィリアムに倣い自分を振り返ってみれば、本当にそれは彼女の為になっていたのかわからない。

 結局、尽くしている自分に満足していた。彼女を見ていなかった。

(私はウィリアム。死を迎えなかっただけのウィリアム。同じだったからこそ、演じられるはずなんだ)

 彼に待っている結末は、悲劇。でも彼は最後に答えを得た。“誰かの為”を装った“自分の為”こそ己の罪であったと気がついた。私にそれを教えてくれた。

 今さら彼女にコンタクトを取ろうとは思わない。だからこそ私はウィリアムを演じることで、ウィリアムになることで、心を昇華したかった。私が前に進む為に、この役が欲しい。

「……だから、人前で演技出来なきゃ駄目なんだけどなぁ」

 研究生にすらなれなかった自分が、随分大きな夢を見るものだ。それでも諦められないから私はここにいる。sparkに所属して、こうして舞台を磨いている。

 モップを再び手に取った。掃除を終わらせよう。

(そしていつか、役者としてここに立とう)

 あの日火花を受けた心は、まだ燃えている。同じ世界へ飛び込みたくて、自分の為にこの道を選んだ。いつか私だけのウィリアムを表現したかったから。

 スポットライトを浴びて、女でもこの役が演じられるんだと思わせるような芝居をするんだ。むしろ言わせるんだ、女だからこそ出来たんだと。


 これは、穂村信乃の舞台だと。

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