その日、戸頃祥子は出会った

@wizard-T

「よう、人殺し」

「よう、人殺し」




 藤森達也君は私、戸頃祥子とごろしょうこをそう呼び付けた。


 女子高生に向かって、こんな言葉をぶつけてくる男がどこにいるんだろう。




 でもそれは、十年前私が藤森君と最後に言葉を交わした時とまったく同じ第一声だった。







 生まれてからずっとニュースなんかめちゃくちゃ見て来て、いろんなスポーツ選手の活躍や、きれいな女優さんの出るドラマや、かわいいアイドルたちの歌番組やバラエティー番組とかいろいろ楽しんで来た。

 そして、ニュース番組でたいてい真っ先に出て来るニュースがあった。


 それは、殺人事件。殺された人が一体何でそんな事になってしまったのか、殺した人の家族は一体どうなるんだろうとか、好き勝手に考えてた。

「ちゃんと見てないならば消すわよ」

 牛乳を口に運んで音声ばかりを聞き流していたあの時の私をぶん殴りたいと思ったことは、一度や二度じゃない。毎日毎日ゴクゴク飲んで、背を伸ばしていい女になりたいとかそんな事ばっかり考えていた。大事な事は何にも考えていなかった。






 そんな私の前で手を大きく振ってこっちへ来いよと促す藤森君の後を、私は黙ってついてくことしかできなかった。

 新品のせいかやけに青く輝いていかめしく見えるけど、実際は三千円前後のスポーツバッグを抱え込みながら走る。

 人殺しと言う単語により目が一気に私に集まり、藤森君を突き抜けて私をにらみ殺そうとしてくる中を私は走る。




 藤森君は何にも言わないで、見えないひもを私の腰か首につけて引きずり回す。背筋は伸びていて、私とはどうあがいても追いつけないほどの差がある。







「お前、俺の言う事はよく聞くんだな」

「…………」

「じゃあ入れよ」


 そのまま私でも名前を知ってる喫茶店に連れ込まれ、座らされた。後生大事そうにスポーツバッグを抱え込みながら付いていく私をちらちら見ながら、藤森君は窓際の席に腕組みをしながら座る。



 もしこれをデートとか呼ぶのならば、それこそよほど人が良いかそれとも腰の入った嫌味のどちらかだろう。どっちかっていうと私の浮気がもつれた結果の別れ話だ。






「こういう店は何年ぶりだよ」

「…………」

「ああ、お前こういう所来れないもんな。おっさんのおごりじゃなきゃよ。で、正直に言えよ。何年ぶりだ」


 同い年だってのに、藤森君は実に元気で若々しい。それに引き換えこっちはもう本当におばさんになってしまった。

 無遠慮としか思えないような藤森君に何も言い返せないまま、時間が流れていく。

 適当に頼むからとか何とか言ってアイスコーヒーを2杯注文する藤森君の前で、私はパーを突き出す事しかできなかった。

 八割ほど嘘のパーだ。



 藤森君の手足はつやつやしていてきれいだった。昔あれほどごつくなるために頑張って来たのに、本当にきれいだった。

 細マッチョって単語を最近しょっちゅう使ってるけど、まさしくそんな感じ。しかも比較対象が私だけになおさら際立つ。照明の節約にもなりそうなぐらいだ。




 やって来たアイスコーヒーに、藤森君はミルクを2杯叩き込む。

 私がブラックのまんま飲もうとすると、藤森君は大きな声で舌打ちをした。


「偉ぶるんじゃねえよ」

「そんな」

「ブラックコーヒーが飲める俺カッコイイとか言うのはもう卒業しとけ、せっかくこの貴重な時間を楽しんでるんだからよ」



 いちいち、藤森君の言葉が刺さって来る。

 藤森君は結局ガムシロップをひとついれた私を見ながら、ミルクの入ったコーヒーをあからさまに音を立ててすすって見せた。


「ったくもう押し黙っちまってよ、十年ぶりの再会なんだからなんか言う事あるだろ」

「あの、お金、払わなくていいんですか」

「当たり前だよ、ったくすっかり老け込んじまいやがって……顔だけはあのまんまのくせにな。って言うかもう少しましな服を着て来いよ」


 確かに藤森君の言う通りだ、顔より先に手足の方が老け込んでるかもしれない。

 体形こそまだましだけど、その代わり手足はもうゴツゴツして荒れ放題。

 どこにこんな女子高生がいるのかわからないってぐらい。まるで工事現場のおじさん。



 肌も化粧なんか全然覚えて来なかったせいかほとんどすっぴん、と言えば体裁はいいけどぶっちゃけ不細工。そして服は体形が変わってないのをいいことに、五年前にその時古稀のおじいさんが買ってくれた色褪せた代物。


 超有名チェーン店だったらからいいけど、敷居の高い店だったら追い返されていたかもしれない。


 だけど、これが私の一張羅だった。



「なんか言い返せよ、十年前みたいに」

「私それほど図々しくないですよ」

「歳月ってのは人を変えるね。いやマジで」

「実際人気あるんでしょう」

「こちとらカミさんがいるっつーのによ……っつーか俺はもうすぐ親父だぜ」


 モテるだろうなと思ったら案の定だった。まあむしろ今までお父さんになってなかったのがおかしいなってお話だから、順当って言うかなんて言うか。

 あの時もそれこそ引く手あまたってのはこういう事なんだろうなってぐらいにはモテまくっていたし、私だってその一員だった。スポーツバッグを抱きかかえるみじめな私を差し置いて、藤森君はいちいちカッコよくコーヒーをすする。



「でも今日はなんでまた」

「テストってやつだよ。俺はこれでもお前の担任だからな。そりゃまあ、雑然としてるから面白れぇとは言えよ、前科者を見るってのは度胸がいるからな」



 人殺しでなければ前科者。まったく容赦のない舌だった。小声で私にしか聞かせないような音量とは言え、それでも二十七歳の男女二人のデートにしてはずいぶんと容赦のない単語を飛ばして来る。


 私が藤森君の家の前を歩いたのは、偶然じゃない。

 どうしても、会わなきゃいけない用件があったから。そしてそれとは別に、私の担任になる事が決まっている藤森君の事を知りたかった。



 

 私はこれから、藤森君、いや藤森先生の生徒になる。先生の事を知らなければまともに教育なんか受けられるとは思えない、そう大叔父さんは言ってた。うん、言ってた。


「あのよ、お前に教師がどんな人間か知って入学やめましただなんて抜かす権利があるっつー訳?力関係って言葉知ってる?」

「知ってます……でも、その」

「その気になればよ、お前ひとり追い出す事なんぞ簡単だぞ。もちろんこっちだってめちゃくちゃ痛い思いするけどな」

「でも大叔父さんが……」

「ああそうかい、存外過保護な爺さんなんだな」


 ミルクコーヒーと化したアイスコーヒーのコップを仰々しく握り、口へと氷を放り込む。そしてなめもせずに噛み砕き、店中にわざわざ大きな音を立て、氷がなくなると財布を取り出してちらちら眺め出す。

 まったくデリカシーのない行動であり、私がまだ半分しか飲んでいない事を承知の上でやってなかったら絶対にモテないだろう。承知だったとしてもそれで好きになるのは難しい。


「お金……出しますけど……」

「俺はそんなに堕ちてねえっつーの。ちゃんと八〇〇円出すよ、って言うか苦いんならもう一杯ぐらいガムシロップ入れろっつーの、砂糖水なんだから」

「そうじゃなくって、これ本当に二年ぶりのコーヒーで、それで五年ぶりの喫茶店だから……」

「それはてめえがよ、俺と同じコーヒーを飲めねえからだろ」


 つまんない反撃だ。さっきは口に出せなかった言葉をあえてお客様に聞かさせてやる事により同情を買おうって言う、非常に安っぽくて少年漫画じみた、って言うか小悪党じみたやり方。

 もちろん簡単にカウンターを喰らい、二発目なんかない私は黙ってコーヒーに逃げるしかなくなってしまう。甘くもないコーヒーを派手な音を立てて一挙にすすり、その上で氷しか入ってないコップをにらみつけた。



 氷は鏡の代わりにもならないで、ただ転がっている。どこにいようがあくまでも氷は氷なんですけどと言いたげに転がり、そのままゆっくりと溶けていく。


 いずれ溶けて水になり、そのまま揮発して行くんだろう。八〇〇円ぐらいなら手元にある。とっとと払うだけ払って、氷みたいに消えてなくなりたかった。


「それでだよ、例のもんはそこにあるのか」

「もちろんです」

「俺はこれでも社会人だ、もちろん法学部じゃねえけど、法学部にいたダチだってできた。そいつ法科大学院通ってようやく簡易裁判所勤務になったらしいけどな、やっぱ俺でも同じ判決下すってさ」



 会計票を持ちながら、藤森君は立つ。

 八枚の百円玉をていねいに並べ、レシートを丁寧に断って頭を下げた。

 社会人の顔をして、社会人の振る舞いをしている。実にカッコいい。




「でさ、気は済んだか?」

「全然済まない……」

「だろうな、俺だって済んでねえんだから」


 大叔父さんの名前を出す事はできたかもしれないけど、そんな風に縋った所でただただみじめなだけ。私は自分の意志で今日会いに行くことに決めた。決めたんだから自分以外誰のせいにもしない。

 私はもう一度藤森君に引きずられるように、後を付いて回った。


「今の職場から歩いて三十分、ほぼそんだけが取り柄のちっけえ2LDKだよ。築四半世紀、ああ四半世紀ってわかるか?」

「二十五年……」

「ああそうだよよくできました。まあ、実際はもう一年経ってるけどな」

「そう……ですか……」

「でよ、お前の職場からは徒歩何分だい」

「二時間……」

「たったのそんだけかい、まあずいぶんと近え所にいたもんだな、ああ怖い怖い」



 徒歩三十分と二時間、合わせれば二時間半。その気になれば会いに行ける距離だった。


 私はその事を知ったのは二ヶ月前だけど、その時にはまだ先立つ物がなかった。いや、その前に知ってたとしてもとてもとても会いに行ける状態じゃなかった私は大事な大事なスポーツバッグを抱え込み、のそのそと付いていく。



「おいバカ!信号を守れ!」

「ご、ごめんなさい!」

「お前じゃねえよ、いちいちおびえやがって、って言うかずいぶんときれいな髪しやがってよ。なんか使ってるだろ人殺し」

「頭洗うのも三日に一回なんだけど」


 青信号で突っ込むトラックに吠える声を聴くだけで、私は小さくなれる。




 人殺し、人殺し、人殺し。




 藤森君はそう連呼しながらも、この人殺し女を連れて行く。

 スポーツバッグの中身と、私の汚い顔と、やけにきれいすぎる髪の毛を見ながら。


「大丈夫だよ、お前が年少組なぐらいだから案外モテるかもしれねえぞ。まあ人殺しだってばれなきゃだけどよ」

「期待してませんから……」


 そんな期待を抱く資格など、十年前になくなっている。


 今こうして人殺しだって連呼される間に、いやされる前からとっくにあきらめていたんだから。

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