第32話 離脱(三)

 念のために階段で三階を目指すことにした。エレベーターというのは待ち伏せするのに最適と聞いた覚えがあったので。手榴弾……いや、あっても使うわけにはいかないんだけどね。……本当にそうだろうか?

 それはともかく階段とは言っても非常階段とか使ったら結局待ち伏せされる危険性がある。重い金属の扉とかがあるからね。つまり普通の階段で……

「何だか騒がしくないか? 僕たちとは関係なく」

「そうみたい。これじゃ、囮になってないわ。派手に行きましょう」

 と、ヴェリンが宣言するけど、せいぜいが階段のど真ん中を登って行くぐらいしか出来ない。集まってくる職員とかもいなかったしね。これは本気で風波が何か仕掛けいるのかも知れない。さて三階に到着したわけだけれど――

「元親。こっちに案内図があったわ……儀礼場……階段がここだから……」

「こっちだな。消防法は大丈夫なのかな? この建物は」

 向かうべき方角の廊下がささくれているんだけど。三階はなるほど儀礼的な雰囲気を作ろうとしているみたいで床の模様もちょっと凝っていた。様々な色の大理石を組み合わせた感じ。照明はクリーム色よりも黄色みが強いタイプだった。僕はちょっと苦手な色合い。ただ夜間の割に明るすぎる……これって、らとこを何処かに連れ出す段取りがあるからなのか、風波が何か仕掛けているのか。

 ただ――

「見張りがいる」

 ヴェリンが、やっぱり廊下の真ん中を歩きながら言わずもがなのことを宣言した。僕に注意を促す、と言うよりも見張りを恫喝しているようにしか見えないな。見張りは二人。別に黒スーツじゃ無くて、グレーとネイビーの……

「も、杜君じゃないか。なぜここに?」

 ネイビーの方からいきなり名前を言われた。誰だ?

「元親、誰?」

「いや、それが……」

 見当がつかない。今まで主にヴェリンが倒してきた職員とあまり変わりがないように思うし。

「何言ってるんだ? らとこの父親だよ」

 ネイビーがそんな事を言い出した。キッパリと言ってしまうが全く覚えてない。あったこと会ったっけ? いや、そんな事よりも……

「じゃあ、らとこに会わせてください。その部屋にいるんでしょ? 友達が訪ねてきたんです。入れてくれますよね?」

「らとこは今忙しいんだ。こんな時間でもあるし――」

「こちらも急ぎの用があるんです。せめて、らとこに確認するぐらいは出来るでしょう? お願いします」

 うん? 何だか勝手に言葉が溢れてくるな。これは僕……かなり怒っているんだろうな。話しながら僕とヴェリンはドンドン近付いて行く。

「か、確認するまでも……」

「確認出来ないって事は、自分が悪いことをしているって自覚はあるんですね。それでも、らとこを差し出そうとしてるんだ。さらには監禁の手伝いもしてるんだ」

「わ、私は親だぞ!! 娘をどう扱おうが、それは家庭内の問題だ!!」

 ああ、時々聞く台詞だね。横にいるヴェリンの怒りが伝わってくるが、僕は何だか冷めてしまった。そして、そのままの感情で父親に告げる。

「……ない」

「何だって!?」

「それじゃ、あなたが父親である

 娘を守ろうとしない父親に存在価値があるんだろうか? それが僕の抱いた、父親の言葉で感じた冷ややかな感情。

 その時、一体僕はどんな顔をしていたんだろう?

 わかることは父親の顔から血の気が引いていったこと。追い詰められたように扉に背中をぶつけていたこと。そして――


「元親! 落ち着いて! 怒るのはもっともだと思うけど!」


 ――気付いたら、見張り二人は足下に倒れていた。

 僕がやった……のか? いや、見かねたヴェリンが……

「カードキーでもう開けてあるわ。その二人の身体を端に寄せて。このまま、らとこ連れだすわよ。それが出来れば、囮も何も必要無いんだし」

 確かにそれもそうだ。僕はヴェリンに向けて、様々な思いを込めてしっかりと頷いて見せた。


 そして乗り込んだ儀礼場。別に床に魔方陣が描かれていたりはしない。ただ床も何もかも真っ白で変な浮遊感があった。その部屋の奥には木製の祭壇――多分――があって、言葉を選ばなければお葬式に似ている気もする。

 それでその祭壇の前には……らとこだよな? ウェーブのかかった長い黒髪と、あちこちから肌色が覗く、決して服としての役目を全うできない和装だった。一番近い格好は巫女服だと思うけど、これを巫女服だなんて言ったら全国の神社から、助走をつけて殴られてしまうに違いない。

「らとこ! 無事なの? 痛いところは?」

 らとこ? ああ、いつものらとこが掛けている眼鏡だ。って事は、ウェーブのかかった髪は三つ編みで――

「元親! ボーッとしてないで、パーカー脱いで!」

 あ、ああ、そうか。ヴェリンに言われて、僕は慌てて竹刀を投げ出してパーカーを脱いだ。その格好じゃ外に連れ出すのも難しいしな。僕はシャツ一枚になるけど問題無いし。らとこの格好の方が問題だ。

「――な、何で、お兄ちゃんが? それに会長も……」

 ようやくのことで、らとこが反応してくれた。今までは呆気にとられていた感じだったけど、ようやく状況を掴んでくれたようだ。ただ、そのらとこの表情に浮かぶのは……戸惑い? ヴェリンはそんな、らとこに構わずに、さらに言い募る。

「助けに来たに決まってるわ。貴女が閉じ込められてるって聞いたのよ。そんなの、助けに来るに決まってるじゃない」

 言いながらヴェリンが僕のパーカーを、らとこに差し出した。

「早くそれを着て。まったくなんて格好なのよ!」

「そ、そうだ。助けに来たんだよ。今なら、外に出られると思う――」

「だ、ダメだよ!」

 僕の言葉を遮ったのは、らとこからの拒否の言葉だった。

「そんな事しちゃダメなの。お父さん、お母さんの言うことは正しくて、それが“正しい人間”なんだって。それを私は教えられてきたの」

 ――ああ。

 そういう想いが、らとこの中にあったのか。僕は全然それに気付かないまま……

「ねぇ、らとこ」

 僕はゆっくりと話しかけた。

「な、何?」

「らとこも、その格好恥ずかしいんだろ? だから僕が部屋に入ってきたことに驚いて、真っ先に僕がいることがイヤだったんだ。そしてね、らとこ。それはきっとんだよ。らとこも、そう思うんだろ?」

「う、うん……それは……」

「でも、らとこにそういう格好するように言ったのもお父さんとお母さんなんだよね。これも正しいと思う? 自分で考えてみて正しい方を選んでみて。両方正しい、なんてことは無いからね」

「…………」

「らとこ。今まで、お父さんお母さんの言ってることも正しかったのかも知れない。それで生活できていたのかも知れない。らとこは真面目で優しいから、それで思い切ったことが出来ないのかも知れない――でもね、らとこ」

 僕はジッとらとこの瞳を見つめる。

「思い切ってやってみれば、案外上手く行くものなんだよ。ここに居るヴェリンなんか、その一番の例だから」

「そうよ、らとこ」

 タイミング良く、ヴェリンからサポート。

「貴女にはまだ伝わっていないと思うけど、私は継承権を放棄したわ」

 その宣言に眼鏡の奥のらとこの瞳が大きく開かれた。ヴェリンはそんならとこを優しく見つめる。

「……それでも何とかなってしまうものよ。こうして、貴女を助けにこれたわけだし。今まで“絶対”と思っていたものから逃れても、世界が終わってしまうわけじゃ無いの。今はただ、貴女の決意が必要なだけ。それだけで――世界は変わるわ」

「変わる……の?」

「大丈夫。なにせ私の世界も変えてしまった元親がいるんだもの。元親がいる限り心配することは無いわ」

 凄くハードルが上がった気がするけど……ここで尻込みしてはいけないことはよくわかっている。僕はらとこに向かって力強く頷いて見せた。

「ただ……」

 そんな状況なのに、ヴェリンの眉根が寄った。

「変わらない方が良いこともあるわ。だからまず、パーカーを着て。話はそれからよ」

「あ……うん」

 なるほど、ここに来てらとこの“押しの弱さ”に本領を発揮させるわけか。これであとは逃げ出すだけ。でも、らとこはよほどおかしな服を着ていたのか、随分手こずっている。おっと背中を向けておかなくちゃ。

「……母体となっているのは儒教コンフューシャニズムなのかしら? 随分、偏った……」

 そんな風にらとこが手こずっている間に、ヴェリンも何だか考え込んでしまっていた。だけど、どっちにしても今は動けないわけで、考え込むぐらいなら問題無い……

「こ、子供が調子に乗って! このまま逃がすとでも思ったのか!」


 ――問題発生。と言うか絶体絶命?

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