Ⅶ ヤケ酒(3)

「ま、近頃はとんとそんな事件も聞かなくなったし、ノスフェル伯爵がヴァンパイアなんてこともあり得んがな……だいたいおまえさん、伯爵は教会にお祈りにだって行くし、ニンニクや唐辛子を使った料理も大好きなんだから、どう考えたってヴァンパイアなわけがあるまいて。仮にもヴァンパイア・ハンターを名乗っとるんなら、おまえさんだって、そのくらいの判断つくじゃろ?」


 続けて老人は説教でもするかのようにストーカーへそう語る。


 しかし、ストーカーは相手を見下すように鼻を鳴らすと、少々自慢げにその問いに答えた。


「フン。これだから素人は困るなあ……あのな、爺さん。本物のヴァンパイアってのはな、十字架も、ニンニクも、聖水も、おまけに心臓に杭刺したって効かないんだぜ?そんなのがヴァンパイアの弱点なんてのは、ど素人が信じてる迷信だよ。め・い・し・ん!」


 それは、ストーカー自身もつい先頃まで心底、信じていたことなのであるが……。


「ほう! そうなのかい!? そりゃ、わしも初耳じゃわい」


 ストーカーの言葉に、老人は目を丸くして驚きの表情を見せる。


「ああ。実際にこの目で見たヴァンパイア・ハンターの俺様が言うんだからな。嘘じゃないさ……いや、もう廃業したからヴァンパイア・ハンターだな……」


 自信満々に語った後、彼は少し淋しそうな表情でそう付け加えた。


「ふーむ。ま、実際に見た人間が言うんじゃから確かなんじゃろうな……それじゃ、銀の弾もやっぱり効かないのかい?」


 だが、そんな彼の呟きを気にかけることもなく、老人はうんうんと頷くと、まるで遠い国の珍しい話でも聞いているかのように興味津々な様子でストーカーへ尋ねる。


「ん? 銀の弾?」


 その思いもよらぬ単語に、初め彼はなんのことだかまるでわからず、怪訝な顔をして首を傾げた。


「銀の弾……っていうと、ああ、銀を鋳て作った鉄砲の弾のことだな。いや、あれはヴァンパイアじゃなくて、人狼ワーウルフに対して使うもんだぜ? 爺さん」


 それから少し考えた後、ようやくその意味を理解すると、再びど素人を見下すが如き態度で、ストーカーは踏ん反り返って言う。


「いや、そうじゃない。銀の弾もヴァンパイアに効くと、わしは子供の頃に親から教わったよ。おまえさんは聞いたことないかい?」


 しかし、老人はパタパタと手を振ると、「違う、違う」というように言い返した。


「そもそも、ヴァンパイアと人狼は全く別の生き物のように語られることもあるがの、土地によっては同一のものと見ている所も多い。例えば、そうじゃの……ギリシアでは、〝ヴリコラカス〟という人狼が死んだ後にヴァンパイアになると云われておる。確か、ウクライナ辺りでもそうじゃったかの? ……それに、ユーゴやスロバニアには〝ヴコドラク〟というヴァンパイアがおるそうじゃが、それは同時に人狼を意味する言葉でもあって、その〝ヴコドラク〟という名前からして、もともとは〝狼の毛皮を着た人〟というような意味合いだったらしいぞ?」


「ほう。爺さん、意外に詳しいな」


 老人の言葉に、ストーカーは意表を突かれたというような感心した顔で言う。


「なあに。わしも無駄に長く生きてるでの。年の功っていうやつじゃよ。ま、そういうわけで、ヴァンパイアも人狼も、つまるところは同じようなもんじゃってことさ」


「んで、ヴァンパイアにも銀の弾が効くってわけか……んでも、爺さん。ヴァンパイア退治に銀の弾を使ったなんて話、俺はこれまで一度も聞いたことないぜ?」


 ストーカーは老人の言いたいことを理解しつつも、ヴァンパイア・ハンターとしての経験則からそれに反論する。


 しかし、老人は彼の疑問に、笑って、こう答えた。


「そりゃおまえさん。銀はなにしろ高価じゃからな。なかなかそんな物、使いたくても貧しい下々のもんにゃあ、使えないのが当り前じゃわい」


「ああ、なるほど。そりゃあ、確かにその通りだ。多少小銭があったって、なるべくなら金をかけずにすませたいってのが最近流行りの合理主義…いや、人の心情ってもんだぜ」


 その答えには、ストーカーも妙にすんなりと納得させられるものがある。


「じゃが、昔から銀にはヴァンパイアや人狼などに限らず、あらゆる悪の存在を滅ぼす力があると云われてきた。以前、旅の錬金術師から聞いたところによれば、なんでも月と狩猟の女神ダイアナの力が銀には宿っておるのじゃそうな。だから、その銀で作った弾ならば、ヴァンパイアだろうがなんだろうが、必ずや倒すことができるて。セルビア人辺りの話じゃ、特に十字架の描かれた銀貨を溶かして作った弾がいいとか云うてたかいのう……」


 老人の話を聞く内に、アルコールで蕩けていたストーカーの顔もみるみる素面しらふの表情へと戻って行く。


「銀の弾……そうか! その手がまだ残ってたか!」


 そして、すっかり酔いの醒めたストーカーはそう叫ぶや、突然、椅子から勢いよく立ち上がった。


「へ…!」


 そんな彼の様子に、縮こまって老人の話に耳を傾けていた左どなりに座る農夫は、驚いて間の抜けた声を上げる。


「ど、どうしたんじゃいきなり……」


 一方、老人も、そしてカウンターの向こうにいる店主や背後のカミーラも、そのいきなりのストーカーの豹変振りに唖然とした顔で彼の方を見つめている。


「おい! 爺さん。ここら辺で一番近い銃火器扱ってる店っていったらどこになる?」


 そんな人々の反応を他所に、立ち上がったストーカーは暗闇に何か一筋の光明を見付けでもしたかのような顔つきで、老人を見下ろしながら尋ねる。


「は? 銃火器? ……あ、ああ、それならこの辺りにはない。となりの大きな町までいかにゃあ…」


 唐突な、なんの脈絡もない質問にポカンと口を開ける老人だったが、数秒後、その意図がわからぬまま一応そう答えた。


「そうか。となり町か……まあ、急げば明日の夕暮れまでには戻ってこれるか……よし!じいさん、ありがとよ。おかげで道が開けたぜ」


 すると、老人の言葉がまだ終るか終らぬかの内に、ストーカーは礼を言って、忙しそうに身支度をし始める。


「一旦は廃業したが、クリストファー・ヴァン・ストーカー、ここにヴァンパイア・ハンター再び開業だぜ! そんじゃな、爺さん。おやじ、ご馳走さん!また金が要り用になったんで、こいつはもらって行くぜ!」


 そして、カウンターの上に置いてあった金貨銀貨のいっぱいに詰まった財布をひっ掴むと、駆け足で店を出て行ってしまう。


「……あ、こら、ちょっとお勘定!」


 それは、瞬く間の出来事であった。


 一瞬、呆気にとられて固まっていたカミーラは、我に返って彼の後を追う。


 しかし、彼女が外に出た時にはもうすでに遅く、一陣の風が吹き抜けるが如くに走り去ったストーカーの姿は、暗い夜の闇の彼方へと消え失せていた。


 今宵は生憎、空一面厚い雲に覆われた、淡い月の光さえも地上に届かぬ漆黒の曇天……この暗闇の中では、どんなに目を凝らそうと彼の姿は見付かるまい。


「こんちくしょぉ~っ! この食い逃げ野郎がぁ~っ! 今度会ったら八つ裂きにしてぇ~! 血を全部吸いつくしてやるからねぇぇぇ~っ!」


 何処いずこかへとストーカーを隠し、ただ静けさだけを残す夜の闇に、そんな恐ろしげなカミーラの脅し文句が虚しく木霊した……。

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