Ⅱ 寝起きドッキリ

 ――ギィィィィィ…。


 あの男が、初めて我が城に姿を現したその日……。


 その日も、心地良い柩の開く音とともに私の夜は愉快に始まる……はずであった。


 私は朝から日没にかけて、柩の中で眠ることを常としている。


 と言っても、私は別に死んではいないので、死体のように柩に納まっていなければならない義理も必要性も特にないのだが、あの遥か遠い日、一度、死んだものと思われて土の下に埋葬されて以来、どうにもベッドで横になるより、このように柩で寝た方が安眠できるのだ。


 あの時の永遠の安らぎを得たような心地良さが癖になったのか、この完全なる闇の暗さと密閉間がなんとも堪らない。


 ヴァンパイアとして生きてはいるが、人間としては一度死んだ身ではあるので、なにかこう、むこう側・・・・の文化というか、あちら側・・・・の雰囲気がしっくりくることは確からしい。


 そうして、私は聞き慣れた柩の蓋の軋む小気味良い音を夢現ゆめうつつの中で耳にする……。


 しかし、ふと考えてみると、私は別に柩を開けたりなどしていない。


 では、なぜ、柩の蓋が勝手に開く?


 そう、思った瞬間!


 ドス…!


「ギャアぁぁぁぁぁーっ!」


 私は胸に突然の激痛を感じ、悲鳴を上げて跳び起きた。


「痛っっっ……」


 何が起こったのかわけもわからず、痛みの走る自分の胸を見てみると、木の杭が心臓のある所の上に突き立てられ、そこに開いた穴からは大量の血が噴き出している。


「な、なんじゃこりゃあ!?」


 その血を拭った手を見つめ、動揺する私の耳に、


「やった…やったぞ! ついにヴァンパイアを見事しとめてやったぞ!」


 今度は興奮する男の声が傍らから聞こえてきたのである。


「だ、誰だお前は!? 他人の家でいったい何をしている!?」


 私はひどく驚いた表情でその声のした方向を見つめ、問い質す。


 そこにいたのは、長い茶色のマントに身を包み、頭にはトラベラーズハットを被った一人の若い男だった。


 物騒にも背中には長い剣を背負っているらしく、その柄と棒状の鍔が右肩の上に覗いている。


 その姿に私は最初、押し込み泥棒か、強盗殺人犯か何かの類かと思った。


 しかし、彼は、


「ハハハハハハ! 死出の旅への土産に教えてやる。俺の名はクリストファー・ヴァン・ストーカー! 現在売り出し中のスーパールーキー・ヴァンパイア・ハンターだ!」


 と、名乗ったのである。


 ヴァンパイア・ハンターとはまた……昨今珍しい、もう絶滅したかと思っていた職種である。その名前に、なんか、往時を忍び、懐かしさノスタルジーさえ感じる……。


 しかし、これで得心がいった。どおりで私の胸に木の杭が刺さっているわけだ。


「今夜、貴様を狩って、これで俺も本物の吸血鬼ヴァンパイアを退治した一人前のヴァンパイア・ハンターだ! ハーハハハハ!」


 そのなんたらストーカーという男は、ようやく現状を理解して呆れ顔を浮かべる私を見下ろし、高らかな笑い声を広い城の中に木霊させている。


「さあ、何か言い残すことはないか?俺の初仕事を記念して、特別サービスで聞いてやるぞ。なんなら、最期の祈りでもしてやろうか?どうだ、遠慮するな?」


 さらに男は勝ち誇ったような顔でそんなことまで言ってくる。


 ……だが、たいそう満足げな彼に申し訳ないが、私は水を注す。


「よいしょ…っと」


 私は胸に刺さった杭を右手で握ると、力を込めてズボっ…と引き抜いてみせる。


 そして、それをコロンと石造りの床に転がすと、白けた目で彼を見つめて言った。


「お喜びのところ悪いんだが、私にはこんなもの効かないよ」


「…………えっ?」


 その予期せぬ言葉に男は一瞬、ポカンとした表情になる。


「……な、なんだ。ただの負け惜しみか。俺はヴァンパイア・ハンターだ。そんなこと言っても、貴様らの弱点はちゃんと知ってるんだぜ」


 だが、すぐにそれを私の嘘だと解釈したらしく、再び自信に満ちた笑みを取り戻すと、瀕死の獲物を見下すような目で嘯いてみせる。


「いや、残念ながら、負け惜しみではなく事実だ」


 しかし、男の勝手な解釈に反し、それはけして嘘ではない。


 無論、出血はするし、多少の痛みは感じるものの、世間でイメージされているヴァンパイアのようにそれで滅することもなければ、無論、普通の人間のように心臓を刺されたくらいで死ぬこともないのである。


「ほらね」


 信じぬ男のために、私はしょうがない、棺の中から悠々と起き上がって見せた。


「がぁ…!?」


 それを見た瞬間、男は口を大きく開け、驚愕の表情で固まる。


「そ、そんなバカな……確かにヴァンパイアは心臓をセイヨウサンザシの木の杭で貫かれれば死ぬはず……」


「あのねえ、確かに巷じゃそう云われているけど、そんなのは迷信の類であって、本当のことじゃないの。ほら、実際、こうして私も無事なわけだし」


 目を大きく見開き、うわ言のように呟く男に、私は駄々をこねる子供を諭すような口調でそんな言葉をかけてやる。


 確かに世間一般では、セイヨウサンザシやトネリコ、ビャクシン、クロウメモドキなどの種類の木で作った杭で心臓を貫けば、ヴァンパイアを倒すことができると云われているのだが、実はそんなもの、ただの迷信なのだ。


 それは現にヴァンパイアである…しかも、たった今、その木の杭で心臓を貫かれたばかりのこの私が言っているのだから、間違いない。


「それに、だいたい君はあまりにも無礼じゃないのかね? 他人の家に勝手に侵入して、寝ている主人の胸に杭を打ち込むなんて、これ、普通に考えたら不法侵入の上に殺人未遂だよ? まあ、私は不死のヴァンパイアだったからよかったけど……っていうかね、君らのそういう、ただヴァンパイアだからってだけで退治しようとするところよくないよ? ヴァンパイアにだって人間を襲うような者もいれば、普通に共存してる者だっているわけだし。この私だって、人を襲って血を吸うようなことはしてないんだからね!」


 私は浮かんでくる文句をそのままつらつらと彼に述べる。


 目を覚ましてから少し経ち、意識がはっきりしてくるにつれて、なんだかこの非常識な男の行動に怒りが込み上げてきたようだ。


「あ~あ、これじゃ、せっかくの服が台無しだ……」


 不快げな皺を眉間に刻みながら、私は穴が空き、血で赤黒く染められた自らの白いシャツを引っ張ってみせる。


 そうなのだ……いきなり心地よく眠っているところを心臓に杭を打ち込まれて起こされ、しかも、服を一つダメにされたのである。


 これは頭にくるのも当然であろう。


 先程も言ったように、心臓に杭を刺されたくらいでは死にはしないが、それでも身体に傷をつけられるのでちょっとは痛い。


 何もヴァンパイアだからって、鋼のようにどんな攻撃にも傷つかない、無敵の肉体だったりするわけではなく、傷つくし、出血もするし、痛みも人間ほどではないが感じるのだ。ただちょっと、人間よりかは回復力が高いがために大事に至らぬだけである。


 また、身体はすぐに治るからともかくとしても、着ている服はこのように穴を開けられてしまってはどうしようもない。それに血液は付くとなかなか洗っても落ちないのだ。


 まったくもって迷惑千万な話である。


「そうか……きっと、杭の刺さり方が浅くて、心臓まで達してなかったんだな。なら、もう一度、今度はこの剣で……」


 しかし、男は人の話を聞いちゃあいない。


 今さっき、私がちゃんと「そんなの迷信だ」と説明してあげたのにも関わらず、再びそんな勝手な解釈を下すと、背中に背負った長剣の柄に手をかけ、またしても私の胸を串刺しにしようとしてくるのである。


 セイヨウサンザシなどの木の杭と同じように、教会で祝福された剣などで心臓を貫いてもヴァンパイアを倒せると巷の迷信では云われているので、おそらく今度はそれをしようという腹積りなのだろう。


 その無礼極まりない態度に、最悪な目覚めによる寝起きの悪さとも相まって、遂に私の堪忍袋の緒は切れた。


 ギュッ…。


 私は棺桶から足を踏み出すと、男の襟首をむんずと摑む。


「えっ…」


 そして、突然のことに目を丸くする男の反応など無視して、そのまま一気に、大きな窓枠目指して彼を放り投げたのだった。


 ガシャァァァァーン…!


 男は窓枠ごとガラスをぶち破って屋外へと飛んで行く。


 私の外見はひょろっとした痩せ型で、若干、非力な印象ではあるが、こう見えてもヴァンパイアなので、そんじゃそこらの人間なんかより遥かに力は強いのだ。


「ギャァァァァァ~…」


 落下する男の悲鳴が徐々に遠ざかっていく……。


 この部屋は三階にあるので、結構、地面まで距離があると思うが、あんな無礼者の心配、私がしてやる筋合いはない。


「ハァ……この服じゃ街に出かけられんな。まったく、迷惑なことを……なんか、今夜は外出する気も失せた。風呂にでも入って、ゆっくり過ごすかな」


 私は不機嫌な顔で壊れた窓枠を眺めながら、そう呟いて、この身体にべっとりと付いた血を洗い流すためにバスルームへと向かった。


 これが彼、クリストファー・ヴァン・ストーカーと私との、その後数日間に及ぶ奇妙な関係の発端となる最初の出会いであった……。


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