Ⅰ 吸血鬼(1)

 冷たく、凍えるほどに冴えわたった青白い月の輝く静かな夜……。


 鋸の歯のように険しく切り立った高い岩山が、月明かりに悪魔のような黒い影を地面に映している。


 一見、荒涼とした風景ではあるが、岩山の麓にはこんもりとした緑がおい茂り、昼間に見るならば、風光明媚な土地ではあるのであろう。


 ただし、夜に見る豊かな緑の森は、その豊かな枝葉ゆえ、より一層、深い闇に包まれ、その闇の中からは凶暴な狼の雄叫びが先程から聞こえている。


 そこは明るく日の照っている時間とは違う、夜の闇が支配する空間である。

 

 そんな岩と森に囲まれた大地の片隅……山の麓を少し登った、辺りを見渡せるような小高い位置まで、曲がりくねった舗装もされていない田舎道が森の木々の間を縫うように続いている。


 そして、闇に満たされた木々のトンネルを抜けたその先には―古めかしい、悪くいえば少し朽ち気味の、石でできた大きな城が一棟建っていた。


 実際には、いつ頃建てられたものなのだろうか?今だに重い甲冑を着た中世の騎士が城内に籠もって勇敢な戦いを続けてでもいそうな、そんな古(いにしえ)のロマンを掻き立ててくれる古風な石造りの城郭である。


 壁も、床も、天井も、何もかもが石でできた城の中は、石が何も感じず、何も考えない冷徹な精神を持ち合わせているのと同じように、蒼く澄んだ夜気に冷やされる石肌そのままの、神聖ささえ感じるほどの冷たい静けさによって支配されていた。


 ギィィィィィ……。


 その冷たい石造りの静寂に満たされた古城の一室に、今夜も木が軋むような甲高い乾いた音が木霊する。


 それは、重く大きな木でできた柩の蓋がゆっくりと開く音だ。そう……私が目覚める時の音である。


 私は柩の蓋を押し開けると、暗く、冷たく、心地よい夜気の中へ大きく毛伸びをする。


 こうしたよく眠って目覚めた時の爽快感というのは、きっと、人間が朝目覚めた時に感じるそれと同じものであろう。


 ちなみに人間が曇りよりも朝日が輝く良いお天気の日の方を好むように、私達もどんよりと重く垂れ込めた曇天の夜よりも、きれいな月が輝く、青白い夜空の晩の方が清々しくて好きだ。


「さてと。今夜も夜の街にくり出すかな」


 私はそう独り言を呟くと、我が自慢のベッドである小洒落た木彫の棺桶を抜け出し、フロッグコートの掛けてあるクローゼットの方へと向かう。


 夜の街にくり出すと行っても、別に人間を襲って血を吸ったりとか、そんな野蛮なことをするためではない。


 今日こんにち、そうしたことをするのは我が種族でも極々一部の者達だけである。その大部分は病院などに行って血液をもらい、それで喉の渇きを癒しているのだ。かく言うわたしもそうである。


 私の名前はアレクサンドル・D・ノスフェル伯爵。このノスフェル城の主にして、不死の存在――吸血鬼ヴァンパイアである。


 吸血鬼ヴァンパイア……それは文字通り、人間の血をその生きる糧とし、剣で刺されたり、銃で撃たれるなど、通常、人が死ぬような行為でもけして死ぬことのない、いわゆる〝不死者〟である。


 現在、世間一般では〝ヴァンパイア〟などと称されているが、私の住むここルーマニアでは、〝ストリゴイ〟や〝ノスフェラトゥ〟、〝モロイ〟なんていう名で伝統的に呼ばれていた。


 他にも我らの同族が散らばる東欧~バルカン半島、北欧などでは、その土地々〃によって様々な呼称がある。


 例えば、ブルガリアの〝ウポウル〟、ユーゴ・スロバニアの〝ヴコドラク〟、スロバキアの〝ネラプシ〟、ポーランドの〝ウピオル〟、ロシアの〝ウピル〟、デンマークの〝マーラ〟、ドイツの〝ドッペルジュガー〟などなど…挙げれば切りがない。


 また、我らの同族なのか、それともまた別の系譜ででもあるのか、東洋や新大陸にも我らと同じように血を吸い、滅多なことでは死なない者が存在するらしいという話を以前、あちらへ旅した者の口から聞いたことがある。そうすると、私達には聞き慣れない、また向こうの土地での呼び名というのも存在するのであろう……。


 と、まあ、そんな風に様々な名で呼び称されている我々であるが、最近ではもう、ほぼ完全に〝ヴァンパイア〟という一つの言葉が、正式名称もしくは学名のように使われていると言っても過言ではあるまい。


 この〝ヴァンパイア〈Vampire〉〟という呼称が広く我々のことを指し示す言葉として定着し出したのは18世紀の中頃からのことだ。


 その頃、東欧諸国では、蘇った死体が人間を襲うというヴァンパイア絡みの事件が多発し、ヨーロッパ全土に一大ヴァンパイア・ブームとでもいうべき騒ぎが沸き起こっていたのだが、そんな中、そうした事件を扱った検死報告書や新聞記事で、ハンガリーで我らをいうところの〝ヴァムピール〈Vampir〉〟という言葉が使用され、どうやらその英語読みが、我らの代表的な呼称として定着していったようである。


 そして、今では〝ヴァンパイア〟と聞けば、幼い子供でも〝人を襲って血を吸う、恐ろしい不死身の魔物〟をすぐに想像するくらいまでに、この言葉は市民権を得たというわけだ。


 しかし、先程も言ったように、我が種族が必要とする血液については、現在、買ったり、病院でもらってくるなどの合法的な手段で事が足りるので、何も昔のように人間を襲って生血を吸うようなことはしていない。


 言ってみれば、すべての人間が必要にかられて狩りをしなくとも食料が手に入るのと同じである。何も苦労して狩りなどせずとも、楽に手に入る方法が他にあるのならば、その方がいいに決まっている。


 本題に戻るが、だから、夜、街に行くというのは、散歩というかまあ、遊びに行くだけのことなのだ。

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