白紙
「……」
「人魚姫」の物語の中。
ぎっ ぎっ ぎっ
アンヌがブランクをボートに乗せ、海の上を案内しているのです。
笑顔でボートを漕ぐアンヌと、上の空で向かいに座っているブランク。
「……」
ボートの動きが止まりました。アンヌが身を乗り出して下に広がる海を指差します。
「……」
ぼんやりしたまま、けれどアンヌの指を追って海面に顔を向けるブランク。表情こそないけれど、他者の言葉やジェスチャーは理解しているようで、それに応じた行動をとってくれるのです。
「……」
アンヌが身を乗り出したまま海をもう数回指差すと、ブランクも真似をして海を覗き込みました。
「……」
やはり何も言わず。ボートの縁に手をかけて、色とりどりの魚達が空を飛ぶように泳いでいる様子を、ただひたすらにじーっと。
「……」
「……」
どう思っているんだろう、ちょっとは興味を持ってくれているのかな……
アンヌがそう思いながら見つめていたら。
ちゃぽ
小さな水音。
ブランクが、片方の手を海に入れたのです。
ちゃぽ
続いてもう一方の手も。
ぱちゃ ぱちゃ
そのまま、両手を水中をかき回すようにゆっくりと動かし始めました。
「!」
ブランクが自分から行動を起こしたのは初めてでした。
「……」
嬉しくなって、アンヌも真似をして両手を海に入れてぱちゃぱちゃとはしゃぎました。
「……」
二人共言葉は何も発しませんでしたが。
ブランクはしばし、そうしてアンヌと過ごしました。
「い、いやー、おかしいですぜー。普段なら大漁なんですぜー……」
「
釣り竿を掴んだ
ブランクに焼き魚でもごちそうしようと、張り切って釣りを始めたのに全く魚が釣れないのです。さらには、太郎の隣に立つブランクも海の方を見ておらず、太郎に背を向ける形でそっぽを向いてしまっているのです。興味がないのでしょうか。
違うことの方が喜んでくれますかね…… と釣りを諦めることにし、太郎はブランクの背中に声をかけました。
「ブランク殿、あの…… あれ?」
ブランクの視線を追った太郎は、地面に何か光る物が落ちているのに気が付き…… ようやく魚が釣れなかった理由を理解しました。
落ちていたのは、餌を付けた釣り針だったのです。
「……」
釣り糸を海から引き上げてみました。糸の先には何も付いていませんでした。知らないうちに取れて、あそこに落ちてしまっていたようでした。
「………………」
「………………」
沈黙が、流れました。
太郎はうっかりさんなのです。どれくらいうっかりさんなのかというと、竜宮城のあまりの楽しさに家に帰るのを忘れてしまったり、開けてはいけないと言われていた玉手箱を開けてしまったくらいです。
「……釣り針取れてるけどいいのかなと思って見ててくれたんですね。ありがとうございます」
恥ずかしく思いつつも苦笑いで言うと、ブランクはしゃがんで釣り針を拾い上げてくれました。
「美味しいですか?」
数十分後、そんな一幕がありつつも無事に釣りを終えた太郎は、木の枝に挿して焚き火で焼いた魚を頬張るブランクに尋ねていました。
「……」
感想は述べませんでしたが、残さず食べたブランクでした。
「さーて、来てもらったはいいけど何しようか……」
「オオカミ少年」の物語の中。
とりあえずブランクを自宅に案内はしたものの、喜んでもらえそうなことが思いつかず悩むコスタス。
「どうしようかねー、うーん…… あれ?」
はっと顔を上げると、目の前の椅子におとなしく座っていたはずのブランクの姿がありません。
「え!? ちょっ、ちょっと!?」
慌てて家中を探し回りましたが、見つかりませんでした。
行方不明になってしまったら大変だ。というか、まさかもう消滅してしまったんじゃ……
「ブランクさん! ブランクさーん!」
パニックになりそうになりながら家を飛び出し、辺りを見回して…… ほっ、と胸を撫で下ろしました。
ブランクは、倉庫の入口付近で何かを見下ろしてぼーっと立っていました。
「びっくりしたあ。何してるの?」
その足元を見て、コスタスは動きを止めました。
開かれた大きな布の袋。中には羊の毛がいっぱい詰まっています。
コスタスがかつてかわいがっていた羊達。あの子達を忘れないため、そして自分を責め続けるために今でも大切に保管し、時々眺めている羊毛。
「……」
ブランクは、袋の中を見つめたまま動きません。
「……ちょっと、触ってみる?」
コスタスがそっと話しかけ、お手本のように羊毛を触ってみせると、ブランクも真似をして触れ始めました。
「ふわふわでしょ? この毛ね、ぼくの羊達の中で一番の大食いだった子のなんだよ。ふふ、本当すごかったな、あの食べっぷりは」
続けてコスタスは、倉庫の中に他にもたくさんある袋に目をやりました。
「あと、この袋の子はすごく賢くてね。あと、この子は……」
袋を開ける度に、個々の羊達に関する記憶が次々に蘇りました。悲しみでも自責の念でもなく、どこか明るい気持ちと共に思い出せました。
ブランクは聞いているのかいないのかわからない態度で、羊毛を触り続けていました。
「そこ石あるからな。ゆっくり足上げて…… そうそう。よし、しばらくは平坦だからそんなに心配しなくていいぞ」
「卑怯なコウモリ」の物語の中。
エレーニはブランクに洞窟の中を案内していました。
やはり真っ暗な中では見えないらしく、エレーニの胴体を片手で軽く掴み、もう一方の手を壁伝いにして一歩一歩慎重に歩いています。
暗くても目が見えるエレーニはブランクの方を見た後ろ向きの状態のまま飛んでいました。
洞窟の外の世界の方が明るくてブランクにとって安全なのでしょうが、それだとエレーニにとっては危険なのです。「卑怯者」は、獣達や鳥達に何をされるか分かりませんから。
ブランクが怪我をしないように注意をしつつ、洞窟だからこその経験をさせてあげようと思いました。
湧き水の流れる音。
こもったカビの匂い。
ごつごつした岩の手触り。
そして、闇の心地よさを。
「どうだ?」
「……」
暗闇の中で目立つ白い服と髪の持ち主からは何の応えもありません。
それでも、ガイドとはぐれまい、けれど力を入れすぎて潰すまいとしてか優しい力で掴んでくれていることに、エレーニは気付いていました。
「絶対に
「蜘蛛の糸」の物語の中。
来る前にカンダタに怖い顔でそう言われたので、ブランクは忠実に従っていました。
玉のように真っ白な蓮の花がたくさん咲いた、水晶のように綺麗な池の縁に寝転んで、花の香りを嗅いだり花を眺めたり、またはただひたすらにぼんやりして過ごしていました。
時折、池の水を覗き込みました。
あまりにも綺麗に澄んだ池の水を通して、何万kmも遥か下にある世界が見えました。
ブランクが今寝転がっているのとは真逆の、あまりにも惨たらしい世界。どこを見渡しても真っ暗で、光っているのは鋭い針でできた山だけ。どす黒い血の川が流れる、何一つ希望のない世界。
けれどブランクは、その世界から時折誰かの視線を感じました。たまたま上を向いた、という感じではなく、意志を持って様子を伺おうとしている、そんな視線を。
「……」
池から顔を上げてふと正面を見ると、目と鼻の先に浮かぶ蓮の葉の上に、小さな蜘蛛が乗っていました。その頭部は、まるであの酷い世界を見下ろすように下に向けられていました。
「……」
ブランクは、そんな蜘蛛をぼんやりと視界に捉え続けていました。
「すごいね。このダンジョンクリアできたなんて」
「赤ずきん」の物語の中。
ゲームのBGMが響き渡る中、ルイーズはブランクの頭を撫でていました。
少し教えただけなのに、ブランクはルイーズが目を瞠るほどの手さばきでゲームをプレイしていったのです。ルイーズが教えていなかった技の出し方まで自分で発見しながら。
先にブランクを迎えていたみんなから「ブランクは自分から行動できるようになってきた」という話は聞いていましたが本当のようです。
もしかしたら、まっさらだからこそ飲み込みが早いのかもしれないとも思いました。
(まっさら、かあ……)
自分の存在を失ってしまい、他者に変身し続けている
一体どんな気分なのでしょうか。本来なら一番良く理解できるはずの存在のことがわからないなんて。ブランクもそんな状態にあるのでしょうか。だとしたらやはり、心細くなったりはしないのでしょうか。
もしかしたら、瓜子姫はそんな自分と似た境遇にあるブランクに親近感を抱き、だからこそ名前を付けたりみんなの物語に招待しようと言い出したりしたのでしょうか。
勝手な想像なのは百も承知ですが……
ダンジョンをクリアしたことを告げる無音のメッセージ画面から目を背けず、ぼんやりしているブランクに気付き、ルイーズは慌てて話しかけました。
「じゃあさ、次のダンジョン行ってみようか?」
一旦テーブルに置かれていたブランクの右手が、再び画面に伸ばされました。
思えば瓜子姫以外でルイーズの部屋にこんなに長くいてくれているお客さんも初めてです。今はとりあえず自分なりに歓迎しようと思いました。
再び、気分を高揚させるBGMが響き始めました。
「ヒッヒヒ、まあ何もない村だけどぶらぶらしてみよっか」
「瓜子姫」の物語の中。
気配だけの状態だとどこにいるか気付いてもらえないだろうと、ルイーズの姿を借りた瓜子姫は、そう言ってブランクと手を繋いで散歩をしていました。
「良かったねー。ゲームで大活躍したんだって? ルイーズちゃん楽しかったってよ、ヒヒヒ!」
ルイーズの姿になったことで得たルイーズの記憶と思考をブランクに伝えます。相変わらず特に反応を示さないブランク。
「ヒヒヒヒヒ! そういえばね、この先にお馬さんがいるお家があるんだ。見に行ってみよう…… か……」
瓜子姫の歩く速さが少し遅くなりました。前からとある老夫婦が歩いてきたのです。どこか悲しげな表情で、支え合うようにして歩いているその二人は…… 瓜子姫を育ててくれた、両親にほかなりませんでした。
「……」
瓜子姫は立ち止まりました。ブランクもそれに合わせて歩みを止めます。
ゆっくり歩いてきた両親は…… そんな二人の横を通り過ぎました。まるで他人であるかのように、一瞥もくれることもなく。我が子であると、気付くこともなく。
「……ん?」
両親がだいぶ遠くに行ってもなお無言で立ち尽くしていた瓜子姫のブラウスの袖が引っ張られました。引っ張った手の主の顔に目をやります。何の表情もありませんでしたが、確かに瓜子姫と目が合いました。
「……ごめん、何でもないよ。お馬さんのところ行こっか、ヒヒヒ!」
何事もなかったかのように、瓜子姫は歩き出しました。
「お馬さんかわいかったねー! 楽しんでくれたかな? ヒヒヒヒヒ!」
タイムリミットが迫り、ブランクがそろそろ「瓜子姫」の物語を出て「人魚姫」に行かなければならない時刻になりました。
「『空欄』や『白紙』なら、いつか何か書いてもらえるかもしれないから」などと言っておきながら、リジェクティッドの物語が書いてもらえる確率は高いわけではないことは、瓜子姫にも本当は分かっていました。
けれど、その高くない確率の出来事が起こってほしいと…… あの時、密かに願ったのです。
「あ、そうだ! 失礼だけどちょっとだけ見せてもらっちゃおっかな、ヒッヒヒー!」
言うが早いが、瓜子姫はブランクに変身しました。今ならもしかしたら、何かを読み取れるかもしれないと思ったのです。
ブランクの記憶と思考は、この前見た時と同じようにそのほとんどが靄のようなもので覆われて読み取れませんでした。
けれど。そんな中にも比較的靄の薄い記憶が散見されました。今日瓜子姫と過ごした記憶や、他のバッドエンドの主人公達と過ごした記憶でした。
覚えててくれてる。自分達はこの子に何かを残すことができてる。
そのことに何だか胸が温かくなった…… その時でした。
突然、思考の中に靄のかかっていない、やたらとはっきりしたものが現れました。
?
瓜子姫が戸惑っている間にも、明瞭な思考は次々と頭に浮かび続けていきます。ブランクが瓜子姫とも他のみんなとも経験していないであろうことに関する思考までもが、どんどんと。
これって……
瓜子姫は、あの時の自分の願いが叶うことを確信しました。
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