epilogue

 瓜子姫うりこひめは、何も教えてくれません。




 ゲームは大好き。でも本当は外に出たい。自分の内にある好奇心を満たしたい。実際に外出しなければ体験できないことをしたい。けれど幸せになってはいけないから。

 自室から出ることを自ら禁止していたため、ライブラリにも行けず、以前は自分以外の物語に関する知識がほとんどなかったルイーズ。

 けれど、あの日突然部屋に現れた瓜子姫がちょくちょくライブラリから本をたくさん持ってきてくれるようになったため、ようやく他の物語を勉強できるようになりました。

 

 ある時、「これ好きだと思う、ヒヒヒッ」と差し出された絵本が「赤ずきん」でした。

 自分の話なら嫌になるほど知ってるのに…… と思いつつ読んでみたら、最後には赤ずきんもおばあちゃんも救われるという、自分が体験したのとは違うストーリーでした。

 

 「読者」の世界では、昔から伝わる物語を改変してしまうことについて否定的な声もあります。教訓をちゃんと伝えるために、そのままの形で継承していくべきだという声があります。それはその通りかもしれません。

 けれど、ルイーズは自分ではない「赤ずきん」の存在がとても嬉しかったのです。

 まるで誰かが「赤ずきん」の幸せを願ってくれたように思えたから。

 だからこそ、いつも心の中でお守りのように自分を支え続けてくれているゲルデと、その物語を絶対に救わなければならず、また瓜子姫もルイーズ自身も死なずに帰らなければならなかったのです。

 世界に絶望した「読者」によって生み出される敵―センサーから。




 「読者」は生きていく上で、しばしば絶望に陥ります。

 辛いことや悲しいこと、苦しいことがあると、すぐ側にあるはずの幸福に気付くことができず、その感情でいっぱいになります。

 そんな時に思ってしまうのです。

 「幸せなんて、どこにもないんだ」と。

 そうして、意識の一番深いところで自分でも気付かないうちにこう感じるのです。

「かつて読んだハッピーエンドの物語。あんなものはみんなインチキだ。存在しない夢や希望を抱かせるなんて。

 許せない。消えてほしい」

 そんな思いが積もり積もって、センサーという形を成すのです。


 誰かの考えた物語そのものは、現実にあったことではありません。そう考えると、確かに嘘であると言えるでしょう。

 けれど、物語が現実の世界に示し続けてきた夢も希望も、与え続けてきた影響も、決して嘘ではありません。

 ハッピーエンドに限った話ではなく、バッドエンドもそうです。

 「読者」に、傷付いた人に寄り添う気持ちや、不幸を回避する方法を教え、導いてくれるのです。

 だから、ハッピーエンドの物語を、場合によってはバッドエンドの物語までをも消し去るセンサーを許してはならないのです。

 もしもどうしても受け入れられない物語があったなら、怒ってもいい。二度と読まなくてもいい。

 けれどセンサーのように最初から全く存在しなかったことにしてしまったら、誰かがそこから学んだ、感じた何かを消し去ってしまう。それだけは防がなければならないのです。

 



「ん…… ! ルイーズちゃんっ、お顔! 大丈夫!?」

 色とりどりの花びらが舞い踊る中、抱き締められていた腕から顔を上げたゲルデは、激しくヒビが入り真っ黒になっている頭部のタブレットに悲鳴を上げました。

「痛くないのっ!?」

「……大丈夫。何ともないよ。さっきはありがとう」

「本当にっ!?」

「うん」

「そ、それなら良かった……」

 安堵したゲルデは、今度はルイーズの傍らの猟師を見上げました。


「あなたがうりちゃんなんだね」

 ルイーズは驚きました。先程の小声の会話が聞こえたはずはないのに言い当てたのですから。

「ほお、こりゃ鋭いな、がっはっはっ!」

「ルイーズちゃんみたいな、すごい人なんでしょ?」

「さあ? どうかねえ? がっはっはっ!」

「……ゲルデちゃん。お化けはもうみんな退治したよ。だから、もう大丈夫」

 ルイーズの穏やかな声を聞いたゲルデはくすり、と笑って言いました。

「ルイーズちゃん、瓜ちゃん。助けてくれて本当にありがとう」

 ルイーズは、もう何度も読んだ「赤ずきん」の最後のページの挿絵を思い返しました。ゲルデをあんな風な笑顔にすることが、できたのでしょうか。見えないことをもどかしく感じました。


「……どういたしまして。……あたし達ね、もう帰らなきゃいけないの」

「え? ちょっとおばあちゃんちでゆっくりしてけばいいのに」

「そうしたいのもやまやまだが、他にも助けなきゃいけない奴がいるもんでねえ。がっはっはっ!」

「そっか。それならしょうがないか…… じゃあさっ、また今度遊びにおいでよっ!」


 ―あたし達は、二度と会えない方がいいんだよ―


 タブレットを壊されて良かったかも。万万が一顔に出てしまったら嘘に気付かれてしまうかもしれないから。

 ぐっ、と堪えて、ルイーズは守れない約束をしました。

「ありがとう。いつかまたね」

 ようやくゲルデを抱き締めていた腕を離すと、その腕をがっしりとした骨太の手が掴んでくれたのが分かりました。

 引っ張って立ち上がらせてもらい、そのまま歩き出します。


 背中にまだ視線を感じつつ、歩きながら言い残しました。

「お幸せに」

 少し遅れて、先導してくれている骨太の手の持ち主の低い声もこう言いました。

「お幸せに」


 数分歩いていたら、見えていなかった目の前がぱあああっと明るくなって……

 自室に、壊れたロボットと瓜子姫が現れていました。

 瓜ちゃんのことだから、まずは「今日もお疲れ様だったねー、ヒヒヒッ!」と声をかけてくれるかな…… とルイーズが思ったのと、瓜子姫が両手でルイーズの両頬を包み込んだのは同時でした。

「なっ……」

「痛いね。こんなに痛いの我慢してたんだね。ヒヒヒッ」

 まだ残っている、センサーに頭突きをされた時の痛み。頭巾を脱がせ、癒そうとするかのように、壊れ物に触れるかのような優しい手付きでそっと顔全体を撫でてくれる瓜子姫。

「……」

 ルイーズは、机上に置かれた真っ暗なタブレットに映る自分の姿を横目で確認しました。


 年の頃は十代初めくらい。

 被っていたものを脱いだことで顕になった、ウェーブのかかった焦げ茶でセミロングの髪。

 いずれも白いレースがあしらわれた、白いブラウスと黒いキュロット。

 輝きを失った、クヌギのどんぐりのようなくりっとした灰色の目。

 正面を向いて立っている、いわゆる立ち耳。

 そして、笑ったら真っ白な歯をむき出して耳の近くまで達するくらい吊り上がるであろう、大きな口。


 瓜子姫にそっくりな。いいえ、瓜子姫がいつもそっくりに真似ている、ルイーズの姿。



 

 あれだけたくさんの本を持ってきてくれたのに、その中に「瓜子姫」は一冊もなく、本人の口からも「瓜子姫」がどんな物語なのか聞いたことはありませんでした。

 辛い思い出を語りたくはないのかもしれません。

 ずっと孤独に過ごしていた日々の中に現れてくれた人のことを詳しく知りたいと思うのは自然な感情で、それは瓜子姫も分かっていたはずなのに。

 

 ネットが発達し始めた頃、自分で「瓜子姫」について検索してみたルイーズは首を傾げました。一番に見つけたあらすじが、「瓜子姫はあまんじゃくによって木に吊るされたけれど、最後には助けられる」というハッピーエンドでしたから。


 ハッピーエンドなら、どうして瓜ちゃんは…… もしかして。

 もっと詳しく調べてみて、「瓜子姫」は地域によってストーリーが違うということ、そして中には残酷なバッドエンドのものがあると分かりました。


 読んでみて、少し自分と似ているかもしれないと思いました。

 死んでしまうことはもちろん、誰かを信じすぎてしまったことも、悪役が誰かに成りすましたことも、誰もそれに気付かなかったことも。

 



 PCの画面を凝視していたら、背後に気配を感じました。

 確かにそこに存在してはいる。けれど、見ることも声を聞くことも触れることもできない。

 あるのは、ただ気配だけ。敏感な者が周囲に相当神経を張り巡らせていないと気付けない、弱々しい気配だけ。


 ……調べてたの、バレちゃうな。

 そう思いつつ、ルイーズはいつものように気配の名前を呼びました。

「瓜ちゃん」

「ヒヒヒヒヒーッ! ルイーズちゃーんっ!」

 呼ばれた気配―瓜子姫は、たちまちルイーズにそっくりの姿になって現れ、ルイーズそっくりの声で叫びました。

 そうして、やはりルイーズが自分のことを調べていたのに気付きつつも、何も教えてくれませんでした。自分に関することを。

 本当はどんな容姿でどんな性格で、何が好きなのかも、バッドエンドを迎えてどんな気持ちだったのかも、何も。




 ルイーズは、想像するしかありません。


 もしかしたら、瓜子姫はあまんじゃくに殺されてもなお諦めず、魂だけで家に戻ったのではないでしょうか。

 けれど、そこで見たのは。自分になりすましたあまんじゃくが「瓜子姫」としてみんなに祝われている姿。

 本物の瓜子姫はここにいるのに、誰も分かってくれないという残酷な事実。


 そんなことに直面して…… 自分が誰だか分からなくなってしまったのではないでしょうか。

 あそこに瓜子姫がいて、みんな普通に瓜子姫を祝福していて、じゃあ自分は瓜子姫ではないのではないか。じゃあ自分は誰なんだろうと。

 小鳥は告発してくれたけれど、それは犯行現場を目撃していたからであり、あまんじゃくが自分に化けていると気付いてくれたわけではないのではないかという疑念さえ抱き。

 そうして悩んでいるうちにどんどん頭が混乱してきて、遂に自分の生前の姿も喋り方も性格も思い出せなくなって。

 誰でもない、誰にも誰かと認識されないただの気配として存在するしかなくなって。

 あまつさえ得た能力が、「見たことがある生物に変身でき、変身している間はその生物の記憶と思考をまるごとコピーできる」という、自分を殺したあまんじゃくによく似たもので。


 これもまた想像ですが、瓜子姫は人知れず様々な物語を訪れては、誰かに存在を認識してもらおうとしてきたのではないでしょうか。自身でも見失ってしまった自分を、誰かに見つけてもらいたかったのではないでしょうか。

 それはきっともう、いくつもいくつも。ひょっとしたら、気の遠くなるほどの数の物語を。

 誰も気配に気付いてくれず、けれどまた別の物語、別の物語へと。

 そうしてどれくらい経った頃だったのか、ペローの「赤ずきん」を訪れたのではないでしょうか。

 そして、やっと見つけてもらえて…… 救われた気持ちになれたのかも、しれません。




 ルイーズは、瓜子姫がどんな姿でも見付けられます。あの日感じたのと同じ気配の持ち主が瓜子姫だからです。

 斧の扱いに長けた木こりの姿で切り株やウサギの姿のセンサーを殺していたのも、大きな木の姿で鹿の姿のセンサーを押し潰したのも、銃やハサミを使える猟師の姿でオオカミに化けたセンサーから守ってくれたのも分かりました。

 ルイーズには、もう二度と大事な人を見間違えない自信があります。


 けれど、気配が分からなくても瓜子姫に気付く方法はあります。瓜子姫は、どんな姿でも常に笑っているのです。

 どんなに笑えない状況でも、変身した生物と同じ笑い方でずっとずっと笑い続けています。


 ルイーズは初め、苦しすぎてしまったからだと思っていました。誰も自分を見てくれない寂しさの中、無理にでも笑っていないと正気を失ってしまいそうだからではないか、と。けれど、最近は少し違う風にも考え始めてきていました。

 瓜子姫は、ルイーズに変身している間はルイーズの全ての記憶と思考を保有している。遥か昔、ルイーズがバッドエンドに陥る前。平和に明るく楽しく暮らしていた頃の記憶と思考も持ち合わせている。


 バッドエンドの辛さで、豊かな表情の作り方も明るい性格も忘れてしまったルイーズに教えてくれているのではないでしょうか。

 「あなたも本当は、こんな風に笑えるんだよ」と。




 もし、もしそうだとしたら、瓜ちゃん。

 どうしてそんなに優しいの?


 全ては瓜子姫を勝手に理想化したルイーズの妄想に過ぎないかもしれません。

 瓜子姫はもしかしたら、ルイーズを哀れんでいるだけだったり、蔑んでいたりするのかもしれません。

 どうなのか分かりません。瓜子姫本人が何も教えてくれないのですから。ルイーズがこんな風に思いを巡らせているのが筒抜けになっているにも関わらず、まるで何も知らないように接してくるだけですから。

 というより、瓜子姫本人も自分の考えていることが理解できていないのかもしれませんから。




 それでも。

 オオカミに騙されて以来、誰も信じられなくなっていた自分の元に度々現れてくれて、様々な物語を教えてくれて。

 チャプターを組んで、一緒に戦ってくれて、いつも危なくなると助けてくれて。

 今も自分と同じように痛いにも関わらず、自分と同じ姿のまま、顔を擦り続けてくれている瓜子姫を。

 ルイーズは、信じたいと思っています。


 いつかなれるでしょうか。自分に喜びを与えてくれた相手を、全力で守れる優しい人に。




 痛みが引いてきました。瓜子姫は、まだ鏡に映ったようにルイーズと同じ姿のままです。


 ……あたしは、笑っちゃいけないと思ってた。笑顔は幸せの証だから。

 でも、いいよね? あたし既にすごく不幸だから、ちょっとくらいいいよね?

 きっとあなたも見たいと思ってくれてる…… よね、瓜ちゃん?


 ルイーズの思考を読んだ瓜子姫は、笑いを絶やさないまま顔を撫でる手を止めました。

 ルイーズは一体いつぶりにか、口の両端をそっと吊り上げます。

 ゆっくりと口を開いて歯を少し見せて……

 やがて小さな部屋に、小さな笑い声が聞こえました。


「ヒヒヒ」



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