第6話 意識②


その赤い光の方へとスーパーカブのヘッドライトで照らしつつ近付いて見てみると、その建物はまさに直方体の形をしていた。

外壁にベランダやエアコンの冷却器などもなく、のっぺりしたコンクリートの壁面が上から下まで続いており、小さな窓が4つずつ縦横に等間隔に並んでいることから、恐らく4階建の建物だと思われた。

そして弱々しい赤い光へと近付くと、そこにはドアがあり、どうやらそこが建物の入口と思われた。

その入口にはこう書かれていた。

『国立人間拡張研究所』


それを眺めていると、ナギがハナの右肩に飛び乗った。

「ふーむ、国立人間拡張研究所ねぇ。なぜか電気が通っているみたいだし、窓ガラスもドアも壊されていないようだから、ちょっと入ってみようか」

「そうだね、ハナ。でも、入れるのかなぁ。結構入口が頑丈そうだけど……」

ナギは入口を見遣りながら言った。

確かにナギの言う通り、その入口は鋼鉄製の開戸のようであり、あけるのに非常に苦労をしそうな重さに見えた。


「まぁやってみるよ」

と言って、ハナが両手をかけると、突然『ドアロックを解除します』と、発音に違和感のある電子音声が聞こえてきた。

落ち着いた女性の声のように聞こえた。

ハナは突然の音声にパッと両手を離してドアから離れたが、カチャリというドアロックの解除音の他には何も聞こえなかったため、再度ドアノブに両手をかけて力を込めた。

すると、ドアは重たいながらも徐々に開いていった。


ハナはドアが余りに重たくて大きく開けられなかったため、薄く開いたドアからサッと研究所の中に入った。

するとその目の前にももう1枚鋼鉄製の同じようなドアが出現した。

そうハナが認識すると同時に、入ってきたドアが閉じてしまい、錠の閉まるガキリという音が響き渡り、さらに内部の空気を外へと送り出す空調が回り出す音がした。

ハナは突然のことに困惑しつつ、目の前のドアと通ってきたドアの両方のドアノブを動かして見たが、どちらもロックがかかっており全くビクともしなかった。

どうやらハナとナギはドアとドアの間の狭い空間に閉じ込められてしまったようだった。

「やばいやばい、どうしよう」とハナは焦りつつ、前後のドアノブを動かし続けるが全く動かない。

天井を確認しても、空調用の金網のような小さな隙間があるだけで、他に抜け穴らしきものはなく、また床もつるんとした白色の特徴の無いもので、こちらにも抜け穴らしきものはなかった。

空調が動き続ける重低音の不穏な音だけが狭い空間に響き渡っていた。


『ご心配なく、「霧」の解毒をしているだけですので』

電子音声が再び響いた。やはり発音に若干の違和感があるため、人間が喋っている訳では無いようだった。

『もう少々お待ち下さい』

ハナとナギは固まったまま顔を見合わせた。

「そんなことを言われても……」

とハナは呟いたが、ドアノブは動かず、他に動きそうな部分や抜け穴はないと確認してしまっているため、仕方なく電子音声に言われた通りにそのまま待つことにした。

ハナとナギは空調の重低音に満たされた狭い空間の中で、じっと数分待っていると、唐突にその重低音が止まった。

すると、カチャリというロック解除の音と共に『それではお進み下さい』という電子音声が聞こえてきた。


ハナとナギは再度顔を見合わせた後、正面の扉に目を向け、ドアノブを力いっぱい引いた。

鋼鉄製のドアの重みがハナの手に伝わってきた。

2枚目のドアを開けてその建物の内部に入ると、白を基調とした廊下が現れ、目の前に小柄なロボットが立っていた。

そして、これまでに聞こえてきた電子音声と同じ声色で言った。

「ようこそ、国立人間拡張研究所へ。私はイヴと言います。以後、お見知り置きを」

「……私はハナ。この右肩にいるオウムがナギ。宜しく……お願いします……」


ハナはイヴの見た目をまじまじと見つめてしまっていた。

イヴは身長が140cm程度の非常に小柄な女性をモチーフに製作されたようだったが、両手の他に細かい作業が可能な無骨なロボットアームが2本背中から生えており、さらに足は上下動の際のクッション性を高めるためか、馬の後ろ足のような形態になっていた。

恐らく研究所内の階段を何度も上下動する想定で製作されたものと推測された。

人間と動物と機械が渾然一体となり、イヴはかなり不気味で不可思議な造形となっていた。


また、廊下の片側の壁には窓が等間隔に4つ並んでおり、さらに反対側にはいくつもの引き戸が等間隔で並んでおり、まさに研究所の部屋が並んでいるものと思われた。

室内は白を基調としたもので、まるで病院内にいるかのような錯覚を受けるものだった。


「イヴさん……、ここは、何なの……?」

「イヴで良いですよ。ここはその名の通り、人間の拡張エンハンスを研究する国の機関です。人間の拡張エンハンスとは主に2種類あり、客観的な身体機能の拡張と主観的な意識の拡張が挙げられます。身体機能の拡張とは、かつては義肢装具の研究を主にされていましたが、現在、と言っても『霧』の発生前までですが、人間が生まれ持たない身体機能の獲得を研究していました。その研究結果を応用して私の背中から生えている腕や、この脚が作成されています。一方で主観的な意識の拡張とは、人間が本来は知覚しえない事物を知覚するための研究であって、例えば拡張現実をメガネに映す技術や、センサーチップを脳内に埋め込むこともこれに含まれます。その他にも現実の身体感覚を全て一旦遮断した上で、脳内の記憶にある仮想的な『現実』世界で五感を電気的・疑似的に刺激し、それに対する脳の反応を読み取ることで、記憶通りの『現実』の世界でまさに現実同様に生活できる、という技術も『霧』の直前の完成しております。これも主観的な意識の拡張と言えるでしょう。もちろん『現実』の世界だけでなく、魔法のある世界やファンタジーな世界も脳内で作ろうと思えば可能ですが、まだ残念ながら技術がその段階には至っておりません。この仮想的な『現実』世界で五感に擬似的な刺激を与え、脳の反応を読み取る技術は、体験した職員曰く、通常の3Dゴーグルによる仮想現実とはリアリティが全くの別物なのだそうで、まごうことなき『現実』《リアル》と言っても良いものだったそうですよ。

この人間の拡張エンハンスは今後の様々な産業構造の中核になる技術と目されていたために、こうして国立の機関として、かつては集中的かつ効率的に研究が進められて参りました。確かにあまり有名な研究機関とは言い難かったですが、先進的な技術がいくつも当研究所から世の中に出回ることになったんですよ」

「そ……、そうなんだ……」

話に口を挟む隙の一切無い、流れるような長い説明にハナは面食らったが、何となく大雑把には理解できたような気がした。

一方のナギはクエスチョンマークがいくつも頭上に浮かんでいた。


「それにしても、ハナ様はどうして霧の中で自由に動けるのですか? あれは人間にとって有害なんですよね? もしかして、『霧』が晴れたんですか?」

イヴは静かにハナに尋ねた。

「私は潜霧士ダイバーって言って、どうも遺伝的に『霧』が効かない体質らしいんだよね」

「なるほど、そうなのですね……」

イヴは少々物悲しそうに、目を伏せつつ言った。


「そういえばさ、入口で赤いランプが光ってたから入ってきたんだけど、あれは何だったの?」

「あれは外部の人間にちょっと助けて欲しいことがありまして、『霧』発生直後から光らせていたんです。そうしたら、ハナ様にきていただけて……。大変有難く存じます」

ハナはナギと目を見合わせてから尋ねた。

「助けて欲しいこと……?」

「実は……」

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