無限の地平に沈む陽よ

なかいでけい

1.成田サザツグ

 彼方へと砂煙が遠ざかっていく。

 よろめきながら立ち上がり、砂煙へ追いすがろうと、タイヤ痕の上をのろのろと駆け出すが、すでに車の姿すら見えないほどに砂煙の姿は遠く、陽炎で揺らめいている。

 太陽がひとりぼっちの自分をあざ笑うように鋭く照らしている。生命の気配の一切ない砂漠へ、自分の荒い呼吸の音が吸い込まれていく。

 先ほどまで自分が無様に寝そべっていた、人工物か自然物か判然としない大きな岩の影を振り返る。ここまでずっと背負ってきた自分のバックパックと、飲み残しの水のタンクが置きっぱなしになっていた。

 あるのはただ、それだけだった。

 車が引き返してくる気配はない。

 当たり前だ。何の取り得もない自分を、これ以上連れて行く必要などないのだから。

 自分はここに置いて行かれてしまったのだ。日本から遠く離れた砂漠の真ん中に取り残されたのだ。

 いつかこうなるだろうということは、わかっていた。ただ、自力ではもはや日本に帰ることは不可能だったから、自分が無用の長物であるということにひたすら目をつぶりながら、ここまでついて来るしかなかったのだ。

 しかたなかったのだ。

 だから、しかたなく、自分はここで、干からびて、やがて、死ぬのだ。

 タンクに残された水を少しづつ大切に飲んだとしても、数日で尽きるだろう。その数日の間で、徒歩でこの砂漠を抜けることは不可能だし、奇跡的に砂漠を抜けたとしても、多少周囲の過酷さが和らぐだけでしかなく、自分の身の安全が確保できるわけではない。

 どうあっても、自分の命が一週間後まで続いているビジョンが見えなかった。

 大きなため息が出た。

 自分はどうやら、そのため息でもって、もうすぐ死ぬのだという現実を受け止めようとしているらしかった。しかし、どれだけ深く溜息をついても気分が晴れることはなかった。

 なぜ、自分はここにいるのだろう、などという無様な後悔が浮かぶ。なぜもクソもない。自分で進んで、ここへやって来たのだ。

 砂煙が去って行った地平線へ向かって、大きく叫んだ。

 砂漠の果てへ向かって、言葉もなく叫んだ。

 照り付ける太陽へ向かって、喉が枯れるまで叫んだ。


「成田さん、サザツグさん、大丈夫ですか?」

 肩を強く揺さぶられて、成田サザツグは目を開けた。

 カーテンの隙間から漏れる光に、わずかに目を細める。上半身を起こし、ベッドサイドのスマートフォンを取ろうとして、そういえば自分が誰かに起こされたのだということを、遅れて思い出した。

 そうして、ベッドの脇でサザツグの顔を覗き込んでいる女の看護師と目があった。

「ひどくうなされていましたけど、大丈夫ですか?」

 看護師は首をかしげる。

「そんなに――うなされてた?」

 サザツグは額に手を当てた。今の目覚めはそれほど悪いものではなかったので、うなされていた、と言われてもピンとこなかった。

「廊下まで聞こえる声で、ほとんど叫んでましたよ」

「ああ、そう……」

 それほどにうなされていたのかと考えると、なんだか恥ずかしくなる。何か、昔あった嫌な事でも夢に見ていたのかもしれない。ただ、いくら考えてもサザツグは目覚める前に見ていた夢のことを思い出すことが出来なかった。

 サザツグの体調に問題がないことを確かめると、看護師は去って行った。


 昨日の夕方、ここのところ溜まっていた仕事を片付けるために少し根を詰め過ぎてしまった結果、仕事場で倒れ、念のためと入院する羽目になったのだ。個人的には大部屋でもよかったのだが、誰が気を利かせたのか、わざわざ個室を用意してくれたらしい。

 大した病気でもないのだから大げさだとも思うものだが、しかし気を使ってくれた人間の思いを無碍にするのも悪いと思い、そのままにしているサザツグである。

 もうひと眠りしようかとも思ったが、もうすぐ時刻は7時である。二度寝しても、また気持ちよく起きられるとは限らない。このまま起きていたほうが良さそうだ。そう思い、サザツグはテレビのスイッチを入れた。そうして、さっき取りそびれていたスマートフォンを手にとった。目覚ましが鳴る前に止めておかなければならない。

 ロック画面には、通知が一件、表示されていた。それはニュースアプリからのものだった。

『GPS通信障害により、カーナビや地図アプリでGPSを使った機能が使用不可に』

 もともとGPS機能を使ったアプリもカーナビも使っていなかったサザツグには直接的な影響がないニュースだったので、特に気に留めることもなくロックを解除した。とりあえず目覚ましが鳴る前に止めるのが先決である。

 不意に、新たなニュースアプリの通知が画面に割り込んできた。うっかり通知に触れてしまったため、アプリが立ち上がろうとして、ロードに時間を取られる。思わずサザツグは舌打ちをした。

 どうせ電車が止まったとか、そんなニュースだろう。そうだ、GPS通信障害の影響で道路が渋滞しているとかいう話かもしれない。そんな風に考えていると、テレビでニュース速報を告げる音がけたたましく鳴った。

『複数の国内線、国際線の航空機と連絡が取れず』

 テレビの上部に、簡潔にそれだけ、表示された。

 視線を下ろすと、ニュースアプリにも、同じニュースが表示されている。

 複数の、というのは、どの程度の数なのだろうか。

 このニュースを見たときに、サザツグが最初に思ったのは、そんなことだった。

 そんなサザツグの眼前で、テレビの映像がのん気な天気予報から、報道局のスタジオとそこで緊張した面持ちでこちらを向いているキャスターの映像に切り替わった。

「番組の途中ですが、ニュースをお報せします」

 そうしてキャスターは、午前6時過ぎから、複数の国内線、国際線の航空機と一切の連絡が取れないこと、および、現時点で連絡が取れない航空機は国内線についてはすべて、国際線については現在確認中であることを告げた。

「国内線、全部だって?」

 サザツグは思わずつぶやいた。

 その言葉に反応するかのように、たった今テレビニュースが知らせた内容を、ニュースアプリが五月雨式に通知する。


 SNSでは、既に墜落していく飛行機の動画が複数上がり始めており、これがただの『連絡が取れない』だけのトラブルではないのだということを告げていた。

 さらには、アメリカやヨーロッパ、中国などでも同様に航空機と連絡が取れない、墜落した、という事象が発生しているという。これは日本だけで発生した奇妙な事件ではなかった。

 間もなくテレビでは、連絡が取れないのはすべての国内線およびすべての国際線だと情報が修正されていた。また、街中に墜落した飛行機の映像などが報道されはじめていた。


 そんな、墜落した飛行機を映し出していたテレビ映像が、慌ただしく切り替わった。再び報道局のスタジオとキャスターが映し出された。

「たったいま入った情報によりますと……、弊社のテレビクルーを乗せたヘリコプターが、江東区の海上に墜落したとのことです」

 続いて、新木場近くの海上を映した映像に切り替わった。そこには、海上で煙を上げている何かの残骸が映し出されていた。

 墜落したのは7時20分過ぎ。飛び立って間もなく墜落したが、なぜ墜落したのかなど、原因などは分かっていないとのことだった。テレビの中では、航空機との連絡が取れない事件と、このヘリコプターの墜落事件、どちらを報じればよいのか分からないといった様子で、見ている側にまで混乱が伝わってくるようだった。


 そのニュースから十数分後、SNS上で奇妙な動画が拡散されはじめた。

 それは、これから新たに墜落してくる飛行機はないものかと、不謹慎にも空にカメラを向けて待ち構えていた人間が偶然撮影した映像だった。

 そこには、新木場付近から飛び立つ一台のヘリコプターが映されていた。ヘリコプターは少しづつ高度を上げていき、カメラの奥である都心部へ向かおうとしている様子だった。

 その時だった。画面の手前から奥に向かって素早く、ほとんど一瞬、巨大な何かが通り過ぎていった。次の瞬間にはヘリコプターは爆発しながら落下していた。

 サザツグはその短い動画をコマ送りにしながら、再度見てみた。

 ヘリコプターを墜落させた、その巨大な物体は恐ろしく高速で移動しており、どのコマでも残像しか映っておらず、それ自体が何であるのかは全く分からなかった。カメラの奥の都心部に向かって消えていくまでずっと、残像しか見えていないのだ。しかも、これほど高速で移動しているのにも関わらず、動画にはその物体が発する音は一切収録されていなかった。それはとても奇妙なことに思えた。

 同じように感じたらしい動画を見た人々の中に、動画からこの物体のおおよその速度と大きさを算出したものが現れた。その人物によると、物体の横幅はおよそ800メートル。速度はおよそマッハ50。これ程の物体がヘリコプターが居た高度400メートル程度の場所を通り過ぎたのだとすれば、爆音どころか、一帯が衝撃波で吹き飛んでいてもおかしくないはずなのに、動画中にはそんな様子は一切映されていなかった。


 この正体不明の高速移動する巨大物体は、その後世界各地で確認され続けた。その全てが、飛び立った航空機やヘリコプター、ドローンを墜落させるためにいずこかから現れ、そして消えていった。この物体が、ただ高速で空を飛行し、偶然航空機などを墜落させているのではなく、確固たる意思を持って、空を飛ぶあらゆるものを墜落させるために出現していることは、もはや誰の目にも明白だった。


 しかし、このについて、話題にしているのは、日本や中国、ベトナムなどを含めた極東アジアや、オーストラリアやニュージ―ランドといったオセアニアが主だった。

 それ以外の国では、もっと明らかに、異常な事態が起こっていた。


 すべての国で、いつのまにか、日が昇り始めていたのだ。


 あるところでは夕方であるにも関わらず、あるところでは深夜であるにも関わらず、突如窓の外が明るくなり、もう今が早朝であるといわんばかりに、太陽が昇り始めていたのである。

 どの国からも等しく、太陽は同じ方角、同じ高さに昇って見えていたのだ。

 このことが物語っていることは、たった一つ。

 たった一つの、重大な事実だった。


 


 にわかには信じられない事ではあったが、しかし、事実として世界中で同じ位置に太陽が見えている以上、皆黙って認めることしかできなかった。

 ISSとは連絡が取れなくなっていた。起動衛星上を飛んでいたはずのGPS衛星とも、気象衛星とも、通信は途絶えたままだった。どこかの国で、それらしい物体が墜落しているのが見つかった、という噂もあったが、真偽は不明のままだった。


 その日の夜、検査を終え帰宅したサザツグへ、友人からYoutubeのURLが送られてきた。

 それは、丁度世界中で奇妙な時間が発生した、日本時間でいうところの午前6時を少し過ぎたころに、ハワイのニイハウ島西沖合200キロメートル付近を航行していた漁船の乗組員が撮影した動画だった。


 動画の中で、撮影者は繰りかえし、「あり得ない」と呟いている。

 漁船はもともと、さらに西へ向かって航行しようとしていたらしい。つまり、船首が向いているのは西、ユーラシア大陸を向いているはずだった。そして、船の居る場所からユーラシア大陸まではまだ7000キロメートル以上離れており、本来そこに映っているべきなのは、なにもない太平洋上のはずだった。

 しかし、映像の中で船首の先に映っていたのは、巨大な断崖絶壁だった。まるでナイフで一直線に切断したような、きれいな断面をした断崖絶壁が、南北に向かって果てしなく伸びているのだ。

 断崖の上には緑が生い茂っており、その先には奇怪な形状をした山々が連なっているのが見える。

 撮影者が言うには、それはたった今、音も無くそこに現れたのだという。

 映像はそのまま、その奇妙な大陸に上陸できないか模索する様が映っていた。しばらくして、どこも断崖の高さが数百メートル以上あり、漁船に積まれた装備では上陸は不可能だということで、引き返すことが決定したところで、動画は終わっていた。


 動画は瞬く間に拡散されていき、2015年の9月5日、その始まりの日の終わりごろには、ハワイの西に出現したその謎の大陸の存在は多くの人の知るところとなった。

 

 サザツグには、これが現実だとは、とても受け入れられなかった。

 何か悪い夢を見ていて、だから布団に入って、眠って、そして明日になったら、すべて元通りになっているのだろうと、そう思っていた。


 しかし結局翌日も、世界は同じまま、平面になったままだった。

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