第24話 今さらふざけんな

「てめえ、今なんつった」


 ラルアに胸ぐらを掴まれ、壁に叩きつけられる。背中に走る痛みに顔を顰めながらも、ロキエはもう一度同じ言葉を口にした。


「僕の天輪なら天使を人間に戻せるかもしれない」


「ゼルエル戦で頭がいかれちまったのか? てめえの世迷い言に付き合ってる暇なんかねえんだよ!」


 ロキエを乱暴に振り回そうとしたラルアの腕をルルトが掴む。


「私も見ました。確かにアルターの天使化は止まりました」


「あれには天使にならないように死ぬ仕組みがあんだろうが」


「いいえ。身体の崩壊も同時に止まっていました。アルターの崩壊は、天使と判定される要因に反応して起こるのだと思います。崩壊が止まったということは、天使化も止まったということになります」


 根拠はないものの、筋は通っている話だ。


「仮に本当だとして、なんで俺たちだけに話すんだ? 普通に考えりゃ上に報告だろうが」


 ロキエは喉を鳴らした。ここが正念場だ。


「エミルを助けるのを手伝ってほしい」


「ああ、――――そういうことかよ。結局、テメエはっ!」


 ルルトが反応するよりも早く、ラルアの拳がロキエの頬を打ち抜いた。床に転がったロキエに駆け寄ったルルトは、ラルアをキッと睨む。首にはめられた天輪が輝き出すと同時、ラルアも天輪を起動する。


 一触即発の空気に、パルが大慌てで割り込んだ。


「ま、まずいってー」


 施設の破壊は重大な規則違反だ。ただでは済まない。


 ラルアは羽交い締めにされながらも、ロキエに噛みつこうと藻掻いた。


「殺す覚悟がねえだけだろ! 妄想に俺らを巻き込むんじゃねえ!」


「妄想なんかじゃ――」


「なら見せてみろ。そこらのアルターを天使化させて、天輪を壊して見せろよ!」


「そんなことできるわけないだろ! アルターは人間だ!」


 彼女たちを無意味に苦しめるなど許されない。


「ちげえよ。あれは兵器だ。人間のために喜んで壊れる道具だ」


「ふざけるな!」


 ロキエは立ち上がり、感情のままに拳を振るう。


「がはっ」


「あわわー、ごめーん」


 パルがラルアを拘束してくれていたおかげで、彼の頬にクリーンヒットした。


「訂正しろ! アルターは人間なんだ」


「ごちゃごちゃうっせーんだよ!」


 殴られた拍子にパルの拘束が緩んでいたため、ラルアは身をよじって抜け出すとロキエに飛びかかった。


 二人はもつれ合って転がり、殴り合う。パルとルルトが止めに入るも止まらない。二人は互いのことしか眼中になかった。ラルアがマウントを取り、一方的に殴る。ロキエは顔面をガードしつつ、右手をラルアへ伸ばした。広げられた手のひらに、ラルアは一瞬たじろいだ。その隙を見逃さず、ロキエがラルアに掴みかかり身体を入れ替える。


「テメエッ!」


 ロキエの天輪は人間が受ければ一瞬で消え去る。たとえ天輪が発動していなくても、目の前に差し出されれば反応してしまうのは当然だ。


 怒りに身を任せて拳を振り上げる。だが、その腕を誰かに掴まれた。振り返る間もなく、ロキエの視界が回転する。投げ飛ばされたと理解するのと同時、背中に衝撃が走り、肺から空気が絞り出された。


 呼吸に喘いでいたところへ、赤髪の少年も同じように投げられて来た。避ける間もなく、ロキエは彼のクッションと成り果てる。


 それを為したピルリスは、二人を冷たい視線で見下ろしていた。


「――っざけんじゃねえぞ!」


 すぐに立ち上がってラルアがピルリスに殴りかかる。だが、ロキエとの喧嘩で疲弊していた彼の動きは精彩を欠いた。腹部に重い一撃を受け、ラルアはその場に蹲る。


「人間か兵器かはどちらでもいい。些細な違いでしかない」


 ピルリスはロキエの前まで歩み寄る。


 ナイフのような鋭い眼差しに、ロキエは息をのんだ。


「アルターは天使になっていない状態だった。だからこそ人間に戻れたという可能性がある。仮に貴様が逃がした天使の、その輪に触れたところで助けられるという確証はない。殺すことになるかもしれない。あるいはなにも起きず、貴様が殺されるかもしれない。それでもやる価値があると言うのか?」


 その可能性を考えなかったわけがない。


「アルターで試せば推論の精度を上げられる。だが貴様は拒んだ。その程度の覚悟で私たちを動かそうというのか」


 わかっていた。実際の天使を使って試すという方法だってある。けれど、誰でなにを試したところで、結果は変わらない。結局のところ、エミルの天使の輪に触れることでしか真実はわからない。


 あのとき現れた大鎌の上級天使は『昇天』を邪魔されたと言っていた。ずっと考えていた言葉だ。天門を通れば天界に行けるにもかかわらず、何故かエミルは地上にいた。確証はないけれど、今はピルリスを説得する必要がある。パズルのピースを組み上げるように、ロキエは説得材料を積み上げる。


「エミルは人格を保っていました。大鎌の上級天使が言っていた昇天を、天門をくぐって天界に行くことだと仮定すると、エミルがあのとき地上にいた理由が推測できます」


「人格を消すために花弁の中に?」


 今まで戦ってきた天使には人間を臭わせるような言動は一切なかった。過去にもそういった例はない。


「はい。天使化は天輪が光の輪になって頭上に移ることで始まります。輪は天使の象徴と言えます。それを破壊すれば――」


「しかし、やはりそれは貴様の妄想でしかない。だが……」


 ピルリスはおそらくロキエと同じ結論にたどり着いた。


 人格の有無で人間に戻ることができるのだとしたら、エミルを救うために残された時間は限りなく少ない。もはや手遅れの可能性すらある。


 試している時間などないのだ。


「居場所の見当はあるのか?」


「いえ…………」


 行き詰まったという雰囲気を出す二人に、ようやく回復したラルアが噛みつく。


「おいおい、まさかコイツの妄想を信じるってのか?」


「信じたわけではない。ただ、試す価値はある」


「は? 頭いかれちまったのか?」


「もしも本当に天使を人間に戻せるなら…………それで回避できる悲劇がいくつもある」


 ピルリスは開いていた手のひらを強く握りしめた。


「私の姉さんは、妹は死なずに済んだ。ラルア、貴様だって――」


「うっせえ、うっせえ、うっせえ! ふざけんじゃねえよ! 人間に戻せるかもしれねえ? 今さらおせえんだよ! なんで、なんで今さら…………」


 ロキエはハッとした。二人は天使化によって大切な人を失った。彼らからしてみれば、ロキエの提案は自身を否定されているに等しいのかもしれない。


 天使から人間に戻すことができるのなら、殺す必要はなかったのだから。


 失ったものは戻らない。ピルリスはそれを割り切っていた。だが、ラルアは後悔を飲み込むことができなかった。


 ラルアのことを責めることはできない。


 もしもロキエ自身がエミルを殺して、後から助けられたかもしれないと明かされたなら、まともな判断が下せるとは到底思えなかった。


 それでも引き下がることはできない。ロキエだって大切な人を失う瀬戸際にいるのだ。


「ラルア――」


「認めねえ。俺は、俺は…………」


 ラルアはそう呟くと、逃げるようにして部屋から駆け出した。


 追いかけようとしたロキエを、背後からピルリスが止める。置かれた手が肩に食い込んで少しだけ痛い。


「一人にしてやってくれないか。奴の気持ちは痛いほどわかる。私にだって同じものが燻っているから」


 普段から無表情のピルリスが憂いを帯びた顔をしていた。


「頭ではわかっている。それでも考えてしまう。過去の選択は間違っていたのではないか。どうしてそのときに、貴様はいてくれなかったのか、と」


 力なく腕を垂れると、ピルリスもまた部屋を出て行った。


 二人がいなくなった部屋は、異様な静けさに包まれた。




 その三日後、エミルの姿をした天使の侵攻が確認された。

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