第13話 上級天使

「…………ごめん」


 それは彼女へ責任を押しつけてしまうことへの謝罪だった。


「いえ。……もしも私があの人の立場なら、あなたに殺されたくはないですから」


 ルルトは仕舞っていた三枚の翼を広げ、一直線にエミルへ向かった。


 その背中を見つめながら、ロキエは拳を握りしめる。彼女の言った通りであればいいと願う自分が情けなかった。


 空気を焦がす音が轟き、炎剣が振り下ろされる。エミルを殺すと言った彼女の攻撃に迷いはなく、もちろん森への配慮は微塵もない。ただ目の前の敵を倒すためだけに天輪を行使する。


 だが、その攻撃をエミルは剣で受け止めた。踏みしめる足が地面を砕くも、エミルは屈することなく押し返す。


 ルルトはそれを受け流して、再び切り込んだ。鬼気迫る攻防はしかし、すぐにルルトが劣勢となる。繰り出される一手一手が重すぎるのだ。


 たまらず下がるルルトへ、休む間もなくエミルが肉薄。鋭い一撃を辛くもかわし、ルルトは炎を照射する。目くらましも兼ねた攻撃だったが、エミルはかまわず突き進んできた。


 ルルトが攻撃を受けようと無理な体勢で炎剣を構えるが、ピルリスが助けに入る。横合いから鋭い一閃を放った。


 エミルはその攻撃を剣で受け、反撃に出たルルトを蹴り飛ばす。その勢いを利用して、すかさず飛び込んで来たパルへかかとを落とそうとするが、ラルアの風がその軌道を変えて空振り。がら空きの腹部をパルの拳が打ち抜いた。少女の身体がボールのように地面を跳ね転がる。


 初めてまともに入った攻撃は効果抜群のようだ。よろけながら立ち上がった天使は口端から赤い筋を垂らし、苦悶を浮かべていた。


「硬すぎー。でも行けそーかも?」


 パルの声に、ピルリスが頷いた。


「よし、このまま一気に畳みかける」


 ルルトが加わったことで純粋に戦力が増し、攻撃の幅が広がった。三人のフェーズ・ファイブと一人のフェーズ・フォー。本来なら負ける戦力差をひっくり返して優勢に立った。


 言葉通り、ピルリスたちによる攻撃は苛烈さを増した。ピルリスとパルによる好連携の接近戦。ルルトはときにそこへ加わり、ときに遠距離から炎で攻撃を行う。ラルアは状況に応じて三人を支援し、天使の動きを制限する。


 四人の猛攻に対して天使は次第に攻撃を捌ききれなくなり、身体に傷が刻まれていく。


 その様を見てロキエは胸を押さえた。心が抉られるように痛い。襲い来る耐え難い苦しみのせいで呼吸すらままならない。


 戦況はもはや一方的になりつつあった。


 目眩がした。喉が震え、胃の中のものを吐き出しそうだ。視界が回る。足がおぼつかない。噛み締めすぎて奥歯が砕けそうだ。爪を立てて強く握りしめた手のひらには痛みすら感じない。


 だがそれでも、その視界にはたった一人の少女が映し出されていた。


 駄目だとわかっていて、それでもロキエは駆け出した。激闘が繰り広げられるその中へ飛び込む。


「貴様、自分がなにをしているかわかっているのか!」


 ピルリスの怒号が響く。


 それを正面から受けたロキエは震えの止まらない声で言う。


「これ以上……彼女を傷つけないでください」


 ロキエの後方にはボロボロになったエミルがいる。


「さすがにそれはまずいよー。天使を庇う行為は極刑だって知ってるよねー?」


「…………」


 もちろん知っていた。それは天輪使いであれば最初に習うことだ。天使は敵。敵は倒さなければならない。間違っても助けるようなことがあってはならない。


「問おう。貴様は私たちの敵か、味方か」


「敵じゃありません」


「なら――」


「けど、退けません」


 傷ついた彼女を見捨てることなどできなかった。


「それは天使だ」


「わかってます。わかってるんです。でも、でも…………」


 殺したくない。死んでほしくない。今まで誤魔化してきた感情が、堰を切ったように溢れ出す。


「そうか。なら――」


 ピルリスの瞳に明確な殺意が宿る。


 彼女の太刀筋に右手を合わせることは不可能だ。ここで切られて死ぬだろう。


 それでいいと思う自分に反吐が出た。結局のところそれは、エミルを守りたいという純粋な思いから来たものではなかったということだ。彼女を見殺しにする後ろめたさに耐えられなかったから。だからせめて彼女を庇ったという事実を残して、すべての責任を放棄して死のうとしている。


 けれどではどうすると問われても、なにも答えられない。


 袈裟に刃が迫る。瞼を閉じようとして、その視界になにかが入り込んだ。眼前の光景に、ロキエは目を疑った。


「エミル……なんで」


 ピルリスの斬撃を満身創痍のエミルが剣で受け止め、弾き返した。それは明らかにロキエを庇う動きだった。


「まさか、人間に――」


 だが、言葉を遮るようにエミルの手がロキエの襟に伸びて、そのまま力任せに放り投げられる。受け身を取って起き上がったロキエが見たものは、頭を抱えて苦しむ彼女の姿だった。


「だ、め……にげ…………く、る――――」


「エミル! しっかりして! 大丈夫、エミルは人間だから」


 駆け寄ろうとするロキエの頭上を影が覆う。


 咄嗟に右手をかざそうとするが、その前に横から飛んできたルルトに抱え去られた。


 一瞬前にロキエがいた場所を不可視の攻撃がえぐり取る。もしも右手で対応していたなら、あえなく切り飛ばされていたかもしれない。


「ごめん、助かったよ」


「いえ。ですが――」


 ロキエを地に降ろし、ルルトは空を見上げる。そこには誇るように六枚の翼を広げた天使がいて、こちらを見下ろしていた。全身を包帯で包み、自らの視界すら閉ざしている。


「上級天使がどうして!?」


 上級天使と戦うには二〇から五〇人の天輪使いが必要とされている。中級天使など比較にならない強さ。この人数では到底対処できない。


「昇天に邪魔が入ったか」


 上空にいる天使はその手に握る大鎌を構える。


「小賢しい檻だ」


 大鎌が振り回されると同時、呻き声とともに血しぶきが上がった。


「があっ――」


「ラルアくん!?」


 彼は肩から腹部にかけて袈裟に切り裂かれていた。致命傷ではないものの、深手を負っている。それによって風の檻が消滅した。

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