第9話 仲間じゃない

 車両の中でロキエとルルト、ラルアの三名は気まずい沈黙の中にいた。


 装甲車は前後の座席が完全に分かたれており、後部座席は小部屋のようになっていた。第一三部隊の居残り組みで唯一運転できるのがピルリスで、パルは彼女が一人では可哀想だからと前の座席にいる。おかげで仲の悪い三人が残されてしまったというわけだ。


 走り始めてからすでに一時間ほど経過したにもかかわらず、交わされた言葉は皆無。しかしながら時間とともに態度は変化していった。


 居心地の悪さによる苛立ちからだろう。ラルアが足を揺すり始めた。話しかければブチ切れて掴みかかってきそうなほどの威圧感を放っている。


 ルルトはそんな彼に冷たい視線を送っていた。眉根を寄せ、不快な感情を隠しもしない。今にもラルアに食ってかかりそうで、いつ爆発するとも知れない時限爆弾のようだ。


 そんな二人の状況に、ロキエはため息を飲み込んだ。決して自分がトリガーにはなるまいと心する。空気のごとく存在感を消していれば、このまま何事も起きずにレクウィエスの森へ到着できるかもしれない。


 だが、そんなロキエの淡い期待はすぐに打ち砕かれる。


「心配事ですか?」


「え? いや、そういうわけじゃ……」


 心配をしてくれるのは嬉しいが、今はその気遣いこそが悩みの種だ。そのことに気づかない彼女は、胸の前で握りこぶしを作る。


「安心してください。必ず私が守ります」


「けっ、女に守ってもらうのかよ。情けねえ」


 ムッとした表情をしたルルトが口を開く前に、ラルアが吐き捨てるように言う。


「そんなんだからテメエはあの女を殺せなかったんだろうが」


 ラルアの尖った相貌が、彼の言葉とともに胸に突き刺さる。


「そんな言い方……」


「事実だろうが。コイツは仲間をクソッタレの天使にしやがった。コイツのせいで殺されなくてよかった仲間が死ぬことになんだよ」


 返す言葉もない。ラルアの言うとおりだ。


「俺はテメエを仲間だと認めねえ。どうせまた同じことを繰り返す。テメエはテメエの責任から一生逃げ続ける。たとえ横のそいつが天使化してもテメエは――」


「私は天使にはなりません!」


 車内で発するには大きすぎる声だった。予想外の声量に二人が呆けていると、ルルトは揺れる車内で立ち上がってラルアに掴みかかろうとする。


「殺せないのは仕方がないじゃないですか! だって彼女は、彼女は…………」


 ルルトの声が急激に萎んでいく。棒立ちになり、片手で顔を覆った彼女は混乱しているようだった。


「私はなにを……」


「ありがとう、ルルト。でも、いいんだ。僕が悪いんだから」


「いえ、そうではなくて。…………いえ、なんでもありません」


 彼女は席にストンと腰を下ろしてうなだれる。


 彼女が味方してくれたことは素直に嬉しかった。だが、仕方がないと言い切れるほどロキエとエミルの関係を知らないはずだ。それとも今、ルルトはなにかを思い出そうとしているのだろうか。何度思い返してみても彼女との繋がりはまったくない。


「……大切な奴だったんなら、余計にテメエの手で殺らなきゃなんねえだろうが」


 その言葉にロキエはラルアに顔を向ける。だが、彼はこちらに視線すら向けていなかった。自らの手元に目を落とし、ここにはない遠いなにかを見ているような顔をしていた。


 そのせいだろうか。彼の言葉は自分に向けられたものではないように思えた。


『もうすぐ着くよー』


 スピーカーから放たれる間延びした声は、ひどく場違いに聞こえた。


 もう一度ラルアを見ると、すでに彼は顔をあげ、いつものように荒々しさを纏っていた。


「なに見てんだよ」


「いや、別に……」


 車両が止まり、後部ハッチが開いた。むせ返るような緑の匂いに、ラルアは顔を顰める。出て行く直前、彼は振り返ることなく言った。


「もし次にテメエが殺せねえなんざ抜かしやがったら、そんときは俺がテメエを殺す。天使を増やす天輪使いなんざいらねえ。死んだ方が世のためだ」


 ルルトが元気を取り戻していなくてよかったと、心の底から安堵した。


 もしもそのときが来たのなら、彼は迷うことなくロキエを殺すだろう。その背中が雄弁に物語っていた。


 外に出ると、すぐにパルによってルルトが捕獲された。胸に飛び込んできた彼女を、ルルトはよろめきながらも受け止める。


「ど、どうしましたか」


「元気がなーい! そんなんじゃ戦えないよー。ほらー、ニコーって笑って笑って」


「笑顔と戦闘はなんの関係も――」


「はい、ニーっ」


「…………ニー」


 勢いに押されたルルトが口角を上げる。引き攣った頬は笑顔とは呼べない代物で、パルは首を大きく横に振った。


「笑顔が硬い! はいっ、ニーっ。ピーちゃんも!」


「ニー」


 絶対に無反応を決め込むと思われたピルリスが笑う――わけがなく、無表情のまま呟いただけだった。


 微笑ましい少女たちの戯れ。普段なら口を緩める光景も、今のロキエには空虚に映った。


 心にぽっかりと空いた穴がジクジクと痛む。


 ルルトとラルアの言葉を思い返す。


 ロキエにとってエミルはとても大切な人だった。かけがえのない、唯一無二の存在だった。だからこそ生きていてほしいと願ってしまった。この手で殺したくはなかった。


 天使になるということは、死ぬことと同義だとわかっていたはずなのに。


 それでも――。


 この世界のどこかに彼女がいるという事実に安堵してしまう自分がいた。

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