三品目 変わらないもの

「ごめん……ホワイトデーの頃には、もうここにはおらん」

「そっか……卒業式は? 式には出れると?」

「うん、式には出るつもりたい。でも、長くはおれんわ」

「うん……わかった」


「東京って、どんなとこやろねぇ……」

 電話の後、かすみは誰に聞くでもなく呟いた。

 先ほどまで通話していた相手は、高校に入ってから知り合い、それから付き合い始めた同級生の男子、谷口恭吾。

 夕飯を早めにすまし自分の部屋に戻て来た時、彼の方から電話があった。見計らったようにかかってきた電話にかすみは手に取ったスマホを落としかけた。

 だが、高揚した気持ちでいたのは初めだけだった。電話を終えた今、彼女はどこを見つめるでもなく、中空に視線を放り出し、ベッドの上でぼんやりと寝転がるだけだった。



 卒業式当日。彼女は早めに家を出て学校へ向かう。

 早い時間に彼と会い、ゆっくりと話でもしようと考えたからだ。

「ありがとう。早い時間に呼び出してごめん」

「いいよ。それに、私もそうしようとおもっちょったけん」

 いざ会って話をしようとすると、言葉が続かない。こういう時に限って、シャイになってしまうのだ。

「……あ、先にこれ、渡しとくわ。多分、最後までおれんから」

 照れ臭そうに恭吾は自分の第二ボタンを外し、かすみに手渡す。

「そんなに忙しいん? 今渡されても」

「いや、今しかないけん渡しとるんや」

「でも……!」

「気持ちは気持ちやろ」

「そやけど、なんでそんなやっつけみたいに渡すん?」

「やっつけって、そんなつもりやない!」

「わかってる、わかってるけど……!」

「なんか、もう、ええわ……」

 いつの間にか立ち上がって声を荒げていた二人。本当はこんなことがしたくて、こんな会話がしたくて朝早く起きて来たわけじゃないのに。分かっていても飲み込むことができずに、気まずい空気だけが後に残ってしまった。

 恭吾はばつが悪そうに目を伏せると、そのまま踵を返して去って行ってしまった。

 

 卒業式が終わり、最後に挨拶をすることもなく、その上、彼を見かけることもなく。十分に「卒業を迎えたのだ」ということを受け止めることも悲しむこともできぬまま、恋とともに彼女の高校生活が終わった。



 十年後。

「かすみさん、先日の件なんですけど……」

「先輩、この資料、チェックお願いします」

「かすみさん……」


 あれから時は経ち、淡く敗れた恋のことも薄っすらと忘れ始めた頃。

(一件の新しいメッセージが届いています)

 東京で働く二十八になったかすみ。ふとスマホを見て留守番電話が入っていることに気が付いた。

「もしもし、かすみ? お母さんよ。体調の方はどう? あと、こんなこと聞くのも野暮かもしれないけど、そろそろ結婚の方も考えてる? また連絡ください」

 正月にはいつも顔を出していたが、何となくその都度回避してきた話題だ。それを留守番電話でもって言ってきた。

「まったく……」

 お昼休憩で、気分転換も兼ねて外に出てきたのだが、この留守番電話のお陰でまたも少しブルーだ。

 ふと、母の言葉がきっかけで、忘れかけていた過去のことを思い出した。捨てられず、お守りのようにずっと持っていたあのボタンのことも……。

 そんな時、隣に人影を感じて顔を上げる。そこには、髪を短く切り整えた、細身の男性が立っていた。

「あ、すいません。隣良いですか?」

「あ、はい。どうぞ……」

「あの、僕の顔に何か付いてます?」

 かすみは、見覚えのある顔に思わずじっと相手の顔を見つめてしまっていた。慌てて誤魔化し、謝りながら顔を逸らす。

 すると、今度は彼が急に彼女の名前を呼ぶ。

「あれ、かすみ……?」

 知らない人が自分を見て下の名前を言い当てた。驚いてもう一度彼の顔を見上げるかすみ。そこで一瞬の間の後、合点がいった。お互いに、二人の頭の中で点と点が線で繋がった瞬間だ。

「恭吾君……!?」

「やっぱりかすみか!」

 思わず声を上げる二人。周りは無視するように、すぐ顔を逸らしたり目線を下げてスマホに目線を戻したりしたが、二人は気まずくなって店を移動した。

「ごめんね、恭吾君。あれから一度も連絡しなくて」

 頭を下げるかすみに、彼は柔らかい笑顔を見せた。

「いいよ、謝んなくて。それに、俺もあれから忙しかったし、メアドも変えちゃったから。あ、かすみが原因でじゃないよ? スマホ変えた時に、迷惑メールも多かったけん、それで」

 ふとした時に、彼の口から久しぶりに方言が聞けて、かすみはホッとしたと同時にくすっと笑った。

「ん? どうしたの?」

「ううん、恭吾君が都会に染まりきってなくてよかったなって」

「なんだそれ」

「それより、なんで私ってわかったの? 髪型も結構変わったと思うし」

 事実、彼女は小学生時代から高校生の頃まで、ポニーテールでいることが多かった。だが今は、髪をバッサリと切って肩にかからない程度にしている。

 彼は少しの間考え、徐に口を開いた。

「横顔と、慌てた時の身振り手振りの動きが、かすみぽかった」

「えー、なんだそれ」


 ひとしきり笑い話をして、かすみはスマホのロック画面に表示された時間を見て慌てた声を出した。

「あ、大変。仕事そろそろ戻らないと」

「あ、俺もだ……!」

「ありがとう、久しぶりに会えて楽しかった」

「ううん、こちらこそ。また連絡する」

 そういって別れた二人だが、きっと次はないだろうと思った。お互いもう忙しいし、連絡先は改めて交換したが、今回の再会は偶然の産物であって、次はいつになるのだろう。

 そう、思っていたのだが。

 終業時間を迎え、会社を出て駅に着くと、バッタリ昼に偶然再会した恭吾にまたも再会した。

「まさか、同じ駅だったの?」

「みたいだね。いつも使ってたのに、今日まで気付かなかったなんて。そうだ、この後用事ある? 再会を祝してどこかで食事でも」

「うん、いいよ」


 流れで食事を一緒にして、あの頃が戻ったように笑い合う二人。

 そんな時間も過ぎていって帰り際。最寄りの駅に着くと、彼は鞄から何かを取り出した。

「これ、あげる」

「え、なにこれ。どうしたの?」

「さっきの食事の後、色々とお店に寄ったでしょ? その時にこっそり買ったんだ」

「気付かなかった……、でも、どうして?」

 不思議そうに包装紙に包まれた箱を眺めるかすみ。目線を上げるとあの日のように照れ臭そうにしている彼の姿があった。

「あの日、最後ちゃんとそれらしいお返しできんかったから、今、十年越しやけど、バレンタインのお返し。あ、それに、今日はちょうどホワイトデーやから」

 キョトンとした表情を浮かべるかすみに、あれやこれやと理由を並べる恭吾。しかし、唐突にかすみが笑いだし、今度は恭吾がキョトンとする。

「なに、気にしてたん?」

「いや、何を言うとるん。そんなわけないやろ」

「じゃあ、これはなぁに?」

「おい、おちょくるなよ」

「ごめん、ごめん」

 久しぶりに声を出して笑ったとかすみは思った。大事に鞄の中へプレゼントをしまうと、二人は家路についた。

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