第29話 幼馴染との距離がちょっとだけ開いた気がする

 光右が動いたのは、割とすぐだった。

 昼休み。例によって、光右は購買のおにぎりなどなどを買うために教室を出て行った。けど、いつもよりなかなか帰ってくるのが遅かった。


「……戻ってこないな」

 もしかして……日立さんと話をしているのかな……? 確かに、僕に見られないタイミングのほうが、何かと光右たちにとっては都合がいいのかもしれないけど……。

 けど、僕に関わる話を僕抜きでされるのも、あまり気分はよくない。


「……探して、みるか」

 昼ご飯の途中だけど、僕は弁当箱を一旦片づけて、教室の外に出て光右と日立さんのことを探し始めた。


 あまり人がいなさそうな、体育倉庫裏や校舎の隅、生徒玄関など色々回って、最後に見たのは、春に日立さんと一緒に使った、一階の隅にある古びた自販機の集まり。

 廊下の影に隠れながら、様子を窺うと、ふたりの男女の話し声が遠くから聞こえてきた。


「──わかってるだろ? それを思い出して、一番辛い思いをするのは、廻だってことくらい」

「わかってますっ。わかってますけど……」

「……俺だって、好きでこんなこと言ってるわけじゃねえよ。日立の気持ちだってわかってるつもりだよ。……でも、俺は……あいつのあんな姿、もう見たくないんだ、わかるだろ?」


 間違いない、光右と日立さんだ。思っていたほど光右は激高しておらず、冷静に、淡々とした口調で日立さんに言い聞かせている様だった。


「……神立先輩に、私の気持ちなんて、わかるはずないじゃないですか」

 しかし、対照的に日立さんの声は、いつもの穏やかさ、和やかさの面影はどこにもなく、ひどく落ち着いた、ハリのあるものだった。


「は、は……?」

「……いえ。すみません、なんでもないです。……わかりました。先輩がそこまで言うなら、そうします」

「……本当だろうな?」


「本当ですよ。……そこで、嘘つく必要なんてないじゃないですか」

「どうだか。今までもそう言って俺のこと騙してたからな」


「……たっくんが、たっくんのままだったら、何も問題なんて、ないんですよ」


 僕が……僕のまま? って、どういうことだ……?

「あっ、おっ、ちょ、ちょい、まだ話はっ!」


 そこまで聞くと、日立さんのものらしき足音が廊下に響き始めた。盗み聞きしていたのが見つかると何かとまずそうなので、すぐに僕は引き返して、教室へと駆け足で戻っていった。

 思いつめたような表情の光右が購買のレジ袋を片手に帰ってきたのは、それから五分後のことだった。


 放課後。チラチラと僕に視線を投げつつ部活に向かった光右を見送ってから、図書室に向かおうとした。けど。そのタイミングでポケットに入れていた僕のスマホがブルルとバイブした。


 僕はそれを確認しようと、ロック画面の通知を見ると、

「……え」

 そこには「ごめんね、しばらく一緒に帰るのやめよう」という、日立さんからのラインが。

 光右の言うこと……聞く、んだ。


 何故か、軽い喪失感に近いようなものを胸のどこかに抱いた。ぽっかりと胸に穴が開くほどでも、絞めつけるような激しい痛みが生まれるわけでもない。でも、針でちょっと刺されたような、そんな感覚がした。


「高浜―、そこいられると、掃除できねえよー」

「あっ、ご、ごめんっ、もう帰るから」

 あまりにも長い間、教室に呆然と立ち尽くしていたからか、掃除当番の男子にちょっと怒られてしまった。


 僕は慌てて教室を出て、ついいつもの癖で図書室に向かいに行こうとしたけど、ついさっきのラインを思い出し、やむを得ず生徒玄関のあるほうへと方向を変えた。

 普段は隣に太陽みたいに朗らかな笑みを見せてくれる日立さんがいないからか、夏だと言うのに、少しだけ肌寒く感じたのは、気のせいではないと思う。


 夏の日照りで熱くなったサドルの上に跨り、ひとりで家路に就く。すぐ側から聞こえてくるはずのペダルが回る音は、自分のものしか耳に入らない。歩道寄りにひとりぶん空いた自転車のスペースも、今日あった出来事を楽しげに話す、彼女の声がしないのも、どれも僕には寂しく思えた。

「……どうするつもりなんだろ、これから……」

 何気なく発した僕のひとりごとにも、当然答えてくれる人なんていなかった。


 家に帰ってから、自室のベッドでゴロゴロとして夕飯を待っていると、ふと部屋についている幼馴染専用の呼び鈴が窓を叩く音がした。


「え……?」

 てっきり、しばらく関わり合いにならないと思っていたので、この行動には驚いてしまった。いや、内心嬉しく思っている僕もいるんだけど。


 僕はベッドから起き上がって、ガラガラと窓を開け、向かい側のベランダに立っている日立さんのことを目線に捉える。

「日立さん……」

「やっほー、たっくん。ごめんね、今日は」


 柵に小さな両手をのっけて話を始める日立さん。もう制服から着替えたみたいで、柄のないシンプルな白のTシャツにハーフパンツという、ラフな格好をしていた。完全に部屋着。そういう僕はまだ制服のままなので、人のことは言えないけど。


 昼休みに聞いた声色とは百八十度転換していて、普段の軽い音色で喋っている。

「い、いや……それは別にいいんだけど」

「やっぱりね、神立先輩に怒られちゃって。……これ以上先輩を刺激すると、ほんと二度とたっくんと口利けなくなるかもって思って、とりあえずこうすることにしたんだ」

「そ、そっか……そうなんだ」


 程よく吹きつける横風が、一瞬の清涼剤になってくれる。僕と日立さんの間に流れかける重たい空気も、一緒に飛ばしてくれるし。

「……朝も、一緒に学校行くのは、やめておこうかな、って」


 まあ、帰りが駄目で行きがいいって判断になる理由はどこにもない。それはわかる。

「あっ、でもっ、朝起こしに行くのは変わらずにやるからっ、そこは大丈夫だからっ。安心してたっくんは寝てていいよ?」

「……う、うん、それはありがとう……」

 感謝していいのか駄目なのか、わからないけどね。


「……そっ、それじゃ、私、テストの勉強しなきゃだからっ。もう部屋戻るねっ」

 日立さんは、いそいそとベランダから離れて部屋に入ろうとする。

 そのとき、一瞬だけ見えた表情が。


 ……振り返り際、何かを押し殺しているような、そんな唇を噛む様子が、朗らかな彼女に、影を落としているように思えた。

「じゃ、じゃあね」

 でも、ほんの僅かな間の出来事だったので、僕はそれを聞くこともできず、ただただ日立さんの背中を見送ることしか、できなかった。

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