第12話 幼馴染の友達の愛が突っ走っている(改稿済)

 放課後、部活の練習に行く光右と別れ、僕は日立さんとの約束通り、校舎最上階の四階にある図書室に向かった。


 四階図書室周りも入学式・始業式の日に行った自販機付近と負けず劣らず人影が少なく、まさに過疎、という表現が正しいような気がした。ああ、だとするなら自販機はもはや過疎でもなく無人、が適切か。あそこは過疎でもないし。


 少し錆びついたドアノブをひねって、放課後の喧騒から切り離された静寂な空間に足を踏み入れる。


 この学校の図書室に入るのは初めてだ。別に本は読むは読むけどめちゃくちゃ読むわけでもないし、多分日立さんに言われなければ訪れることはなかったんだろうなってなんとなく思う。


 図書室内も同じように人は少なく、貸出カウンターで図書委員の生徒が本を読んでいるくらいだ。日立さんも、まだ到着していない。……ん?


「……あ、誰かと思えば高浜さんじゃないですか」

「……小木津さん」


 よく見ると、その委員の子は小木津さんじゃないか。彼女は読んでいた文庫本にしおりを挟み、パタンと閉じて手元に置いて僕を見る。


「ああ、そういえば茉優との待ち合わせに図書室を使うんでしたっけ。高浜さんのお友達が茉優と会うのを見ると面倒だからって。茉優なら掃除当番なのでちょっと遅くなると思いますよ」


「あ、ありがとう……。小木津さん、図書委員だったんだね」

「はい。本読むの好きなので。こうやって図書当番中に本も読めますし、図書室に好きな本を蔵書で入れやすくもなりますし。結構役得な部分が多いんですよね」


 ああ、入学式の日に本屋で会ったのもそういうわけってことか。

 ……待てよ? 日立さんの親友って言う小木津さんなら何か知っているかもしれない。中学生のとき、僕と面識はなかったけど、もしかしたら日立さん経由で聞いているかもしれないし。


 僕はカウンターに近づいて、そのことを尋ねようと口を開きかけたけど、

「あの──」「──ところで」


 あいにく、小木津さんとタイミングが被ってしまった。お互い少し気まずそうに顔を見合わせるも、

「さ、先にいいよ」

 ここはとりあえず小木津さんに順番を譲っておく。


「い、いえ……。そんな大事な話ではないんですけど……。茉優とは、どうですか?」

 彼女は申し訳なさそうに目線を下げて、しかしすぐにしっかりとカウンターの前に立っている僕をその視線で捉えては、そう切り出した。


「……どうって言うと……」

「ほ、ほら、あの子って色々抜けているところあるしっ、何かご迷惑とかかけてないかなって心配になってっ……」

「ああ……そういうことか……」


 そういう心配をするって……小木津さんって日立さんのお母さん的ポジションなのかな……。実際言動は落ち着いているから、ふたりが並んでどっちが年上に見えますかって聞かれると迷わず小木津さんって答えるけど。


「……まあ、言う通りちょこちょこ抜けてはいるけど……いい子だとは思うよ? なんか、一緒にいると楽しくなるような、そんな子」

 別に嘘の評価を口にする必要もないので、思ったことそのままを話すと、小木津さんは途端に目を輝かせ体をテーブルに乗り出し、


「でっ、ですよねっ、やっぱり茉優といると楽しくなりますよねっ」

 ここ数日で抱いた印象とは正反対の勢いで、そうまくしたてた。


「……う、うん」

「あっ……す、すみません……いきなりこんなこと言って。しかも図書室なのに……」

 すぐに彼女は恥ずかしげに顔をカアッと赤くさせ、体を縮こませる。


「ま、まあ僕ら以外誰もいないし……いいんじゃないかな……」

 ははは、と少し苦笑いを浮かべた僕は、気にしてないよと首を横に振る。


「でっ、でも、茉優のあの雰囲気はもはや癒しを通り越してアロマセラピーそのものです。国宝級の癒しです茉優はっ。茉優に勝る癒しを私はまだ知りませんっ、いえ、知りたくもありませんねっ」

「……な、なるほど……」


 これは……あれか? 親友と見せかけて日立さんのファンかな? もしくはその両方か。


「中三のときの調理実習でクッキー作ったときも、ひとりだけ失敗して焦がしちゃって『てへへ、やっちゃった……』って頬を掻きながら言うし、冬道歩くときなんて一度滑って転んで、立ち上がった直後にまた氷に足取られて滑っちゃうのが可愛くて可愛くて。それにあのちょっと間延びした声といい基本的に緩んでいる表情といい。マイナスイオン溢れすぎて死んじゃいます私っ」


 ……ああ、違う。信者だ。うん。

 あまりの剣幕に僕は思わず引いてしまっている。いや、まさかここまでとは……。


「あ……ま、また私……つい。すいません……茉優が可愛すぎて……」

「あ、あははは……ま、まああるよね、そういうこと」

 ブレザーのリボンを直し、小木津さんは一度椅子に深く座りなおして落ち着きを取り戻そうとする。


「……茉優といると、空気が和むんです。どんなに雰囲気が沈んでいても、暗くても、ピりついていても。あの笑顔と抜けた仕草が、そんなこと忘れさせてしまう。魔法なんじゃないかって、思うくらい」

「……それは、なんとなくわかるよ。まだ会って一週間も経ってないけど、僕でもわかる。日立さんは、そういう人だって」


「…………。茉優が泣く姿なんて、想像がつかない。そう思っていたんです」


 ふと、小木津さんは何かを思い出すかのように、背中にある窓を見下ろして、街の景色を眺めている。校舎の隅にある図書室からは、長閑な街並みを見下ろすことができる。それは、もちろん僕や日立さん、小木津さん自身の通学路も。


「それでも、私の知る限り、たったの一度だけ。あの子は、日立茉優は、まるで世界の終わりでも目の当たりにしたみたいに……いや、違うか、世界が終わってしまったかのように、大泣きした日があったんです」


「……そ、そうなんだ」

「……知りたいですか? 高浜さん」


 何だろう、この意味ありげな語り口は……。やっぱり、彼女は何かを知っている、という僕の読みは正しかったのだろうか。


 しかし、小木津さんは続けて、


「……でも、やっぱり駄目です。茉優に言わせれば、たっくんには教えないでってなるでしょうから」


 おもちゃをねだる子供に言い聞かせる母親のような口調で、僕に言った。


「……僕には、教えないでってこと?」

「うーん、半分正解で、半分不正解です。たっくんには、教えられないってことですね。……恐らく、今高浜さんが、あなたの友達に対して抱いている疑問と、関わりはあるでしょうが」


 間違いない。彼女、小木津陽菜乃は事情を把握している。光右と同じで。


「ね、ねえ。君は、一体僕をどうしようと──」


 途中まで音になっていた僕の声は、途中で遮られてしまった。小木津さんが右手を出してそれを止めたから。

「確実なことはたったひとつです。……私は、茉優の味方。それだけです」


 しばらくの間、僕も小木津さんも何も話さなかった。いや、僕は話せなかったし、小木津さんは話さなかったのかもしれない。今確かに、この図書室という場所は、小木津さんが主導権を握っていたんだ。

 けど、その主導権はあっという間に崩れ去った。何が起きたかと言うと、


「あっ、たっくんと陽菜乃ちゃんだー。ふたりで何話してたのー?」

 掃除当番が終わった日立さんが、小木津さんの言うところの国宝級の癒しを振りまきながら図書室にやって来たから。


「……あら茉優。結構遅かったのね。ただ、こっちに戻って慣れましたか? って話をしてたのよ」

 ……なんていう切り替えの速さだ。そして、あのデレデレの一面を日立さんは知っているのだろうか。ちょっと気にはなる……かな。


 日立さんの登場で、話の腰は完全に折られてしまい、それから僕が小木津さんにさらに話を聞くことは叶わなかった。けど、あの調子からして、聞いても教えてはくれなかったと思うけど。

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