第54話 ドリーワン・レベル2 第23話

 ぼくは驚きを隠すことができなかった。


 ぼくが夢から持ち帰った二人組の刑事は、自分たちがどんな存在であるかすらわからず、ただ刑事として事件をぼくを追い掛けていた。


 しかし今ぼくがこめかみに銃口をあてている探偵兼フリーライターの男は、自分がどんな存在であるかもどうすれば自分が死ぬのかも知っていた。


「だけど銃を向ける相手が違うんじゃありませんか?

 あなたが銃を向ける相手がいるとすればあの女だ。あの女は君をもてあそんで楽しんでいる」


「おまえは何者だ」


 ぼくは拳銃にこめる力を強め、硲に問う。


「あの女って誰だ、言え」


 硲はためいきまじりに笑う。


「まだわからないんですか」


 あきれたようにそう言った。


「あの女とはバンノチドリのことですよ。あなたがドリーと呼ぶ存在です」


 そして彼は、人類の歴史とともに有史以前からドリーワンという力が存在したこと、歴史を正しく導くべくその力が存在することをぼくに告げた。


 ドリーワンを与えられる者は、身勝手で心の弱い、そして愚かな人間たちばかりなのだと。


 ドリーワンはそういった人間を間引き淘汰するためにプログラムされた力なのだと。


「バンノチドリは、ドリーは、裏切り者なのです。案内人でありながら、たったひとり『仕分け』の仕事を与えられていた。宮沢渉を仕分けたのはおそらく彼女でしょう」


 はじめからぼくを疑ってなどいなかった、と硲は告げた。


「あなたは疑問に思ったことはありませんでしたか?

 あなたの父親は確かに事故死でしたが、母親の死はとても不可解でした。彼女はなぜたてこもり犯に射殺されるような行動に出たのか」


 あれもドリーの「仕分け」だったというのだろうか。


 硲は黙ってうなづいた。


「仕分けの仕事を与えられた彼女は、我々より人の業を覗きすぎてしまった。

 そしてついにドリーワンという力そのものに反逆を企てた。あなたという人間を利用することでね。

 彼女の体から写真から切り取って別の写真に張り付けたかのような縁取りがなくなってしまったのがその何よりの証拠です」


 彼が何を言っているのかわからなかった。


 だからぼくはもう一度彼に問う。


「お前は一体何者なんだ」


「ぼくは妹さんの案内人……」


 その瞬間、硲の首が飛んだ。


 鮮血が、雨のように降り注ぐ。


 硲の体が崩れ落ちる。


 街灯の下、その体に小さな虹がかかる。


 虹の向こうにはさみを手にしたドリーがいた。


「ただいま」


 と笑う。


 ぼくの足元に転がる生首が、


「バンノチドリを信じるな」


 最後にそう言った。


「おかえり」





 翌朝、妹に付き添われてぼくは病院を訪れた。


 榊先生から手渡されたパンフレットには「入院のご案内」とあり、その表紙にクリップで留められたメモには、


「検査後入院予定の方へ

 8月15日

 来院されましたら、自動再来機を通さずに直接内科外来にて声をかけてください」


 とのことだった。


「入院?」


 怪訝そうに訊ねたぼくに榊先生は「ポリープが見つかったりしたら入院してもらうことになるから」と言った。


 どうやら検査入院という扱いになっているらしかった。


「何も問題なければ検査の後すぐ帰ってもらっていいから」


 と先生は笑った。


「念のためパンフレットの最後の入院申込書を書いておいてね」


 先生は万が一の話をしているだけなのに、なんだかぼくにはそうなってしまうような気がしていた。


 内科外来の受付で内視鏡検査を受けることになっていることを告げると、検温を行うため名前を呼ぶまで待っているよう言われた。


 ぼくの名前はすぐに呼ばれ、診察室の隣の処置室で体温計を渡され、血圧と脈拍を測られた。


「検査は……、4階のカメラ室ってわかりますか? そこの通路の突き当たりを左に曲がるとエレベーターがありますからそれで4階に上がってください。エレベーターを降りてすぐ左手に受付があります」


 カメラ室では検査を待つ人たちが椅子に腰掛け、テーブルの上に置かれたポカリスウェットのようなにおいのする液体を顔をしかめて飲んでいた。


「カメラ室で腸洗剤を2リットル、2時間かけて飲んでいただきます」


 案内にはそうあり、あれが腸洗剤というやつだろうかと妹と話していると、すぐにぼくの前にもムーベンという名前らしいその腸洗剤が置かれた。においはポカリスウェットだが、パッケージにはレモン味とあり、口をつけるととても飲めた代物じゃないと一口でわかった。お茶やポカリスウェットといっしょに飲んでもいいと説明を受け、ぼくは妹に売店でお茶を買ってきてもらうよう頼んだ。


 妹を待つ間、本棚に置かれた漫画に手を伸ばす。


 浦沢直樹のマスターキートンをぱらぱらとめくりながら、ゆうべのことをぼくは考えていた。



 バンノチドリは、ドリーは裏切り者。


 彼女は案内人の中でたったひとり「仕分け」の仕事を担当していた。


 宮沢渉を仕分けたのも、ぼくたちの母を仕分けたのも彼女だという。


 バンノチドリを信じるな、硲は生首だけの姿でぼくにそう言った。


 ドリーは、ぼくを使ってドリーワンという力そのものに反逆を企てている。


 どうでもよかった。


 アニヤハインドマーチのエコバックにいっぱいお茶を買い込んできた妹を見て、ぼくはぼくがすべきこと、それは妹をドリーワンから1年間守りぬくことだと考えていた。ドリーが何を企んでいようが関係なかった。


 ドリーはまた、今朝姿を消した。


 腸洗剤を飲み始めて30分から1時間で便意が来るそうだ。何度かトイレに立ち、透明の水様便になれば検査が始められる。腸洗剤は飲み干さなくてもいいらしいと知り、ぼくは半分ほどなんとか飲み終えたところで飲むのをやめた。


 大腸内視鏡検査は、肛門からカメラを入れる。検査は主治医が行う。ぼくの場合は榊先生ということになる。


 検査前に腸洗剤を飲むだけではなく、筋肉注射をする。消化液の分泌を少なくし検査をスムーズに行うため、ということだった。


 検査のことを、ぼくはあまり語りたくない。

 いくら病院とはいえ、榊先生に尻の穴を覗かれたのだ、恥ずかしくて死んでしまいたい気持ちだった。


 検査を終えたぼくは診察室へ呼ばれた。


 妹もついてこようとしたが、


「妹さんは外で待っててもらえる?」


 榊先生にそう言われ、診察室へはぼくだけが入った。

 その声に元気がなかったこと、先生の顔が曇っていることにぼくはすぐに気づいた。

 先生はぼくの顔を見てはくれなかった。


 伏目がちに、


「末期の、大腸がんです」


 そう言って、泣き崩れた。


 やっぱり、最悪のバースデーだ、とぼくは思った。

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