第13話


 新学期二日目の朝は春を如実に感じさせる穏やかなものだった

 自宅から学校までの間にある田畑がそよ風に青々とした葉を揺らしている。植わっているのは大根だろうか。よく見ると二つに分かれた長い葉が見える。


 田畑と隣り合わせの住宅街を抜けると、不意に視界を遮るのは黒緑に染まった山。その奥に向かってきつい傾斜の道路が長く伸びている。

 俺の通う神奈川県立〈青葉台高校〉は、その山中にある。


 ぞろぞろと群れを成して山道を登る俺含めた学生たち。その中にちらほら見える肩で息をした、心なしか幼さを残した少年少女。昨日入学した新入生だ。


 ……頑張れ後輩たち、半年も通えば足が自然と坂道の歩き方を覚えて楽になるぞ。


 なんて、心の中で先輩風を吹かせつつ坂道を登り切り、昇降口で名も知らぬ後輩や先輩とは別れて教室を目指す。


 ……なんというか、久々に清々しい朝だった。

 というのも、昨日天ヶ原と別れた後じゃ流石にヨゾラの配信を見返して切り抜き動画を作る気力は湧かなくて、ぐっすり睡眠が取れたのだ。 

おかげで今日は健康優良児。さあ、新しいクラスと二度目のご対面といこうか。


 ――そう思えたのは、最初だけだった。


 まあ、そりゃそうだ。俺が新クラスで浮いているというのは昨日誰も起こしてくれなかったことが証明している。

 誰が好き好んで初日から爆睡してる奇人と仲良くなりたがるだろう。

 そうじゃなくたって、事情を知ってる奴は俺とは関わり辛いだろうに。


 ……まあ、それはそれで面倒が減るからいいか。

 元々周囲と仲良くやろう、なんて気力はあまりなかった。

 交友関係を広げる時間があるならヨゾラの為に使いたいしな。


 なんて考えつつ、適当にTwitterでヨゾラのタグを追っていると、


「お、なんだ。今日は起きてるんだ」


 不意に覆い被さるシルエット。机の上が薄闇に包まれて、スマホの画面がチカチカとまぶしい。


「康太……お前、同じクラスだったのかよ。だったら昨日起こしてくれてもよかっただろ」


「え、やだよ。新学期初日から寝こけてる奴と友達だと思われたくないし」


 飄々と、薄情に俺を突き放すのは、スマホの画面より眩しい明るめの茶髪男。バスケ部というだけあって身長は180センチくらいあるが、がたいはそこまでよくない。

 皆川康太。俺との関係は有り体に言うと幼馴染というやつになる。


「おかげで俺は夕方まで寝続ける羽目になったんだぞ」


「ぷっ、あはははっ! なにそれ、ほんとに誰も起こしてくれなかったんだ」


「笑い事じゃねえっつの……」

 

 おかげで天ヶ原の告白という面倒なシーンに立ち会う羽目になったというのに。


「いやぁごめんごめん。実は僕、昨日は用事で早めに帰ったんだよ。仁が寝てたのは見たけど、まさかあれから誰にも声をかけてもらえないとは……悲惨だね。くくっ」


「いつまで笑ってんだコラ」


 言葉尻に笑いが残る康太の脇腹に容赦なく手刀をぶち込む。

 

 互いが互いを理解しているからこそ成り立つ、気の置けないやり取り。

 雑に見えるこの会話が、今はとても心地いい。


 ……よかった。いつも通りだ。変に気を遣われるより、この方がずっといい。


 なんて感傷に浸っていたその時だった。


 急にざわざわと教室が騒々しくなり、みんなの注目がある一点に集まっていく。


「見てよ仁、天ヶ原さんだ」


 飄々とした康太が興奮気味に視線を向ける先にいたのは、夕焼けの端っこで輝く光の帯みたいな亜麻色の髪をなびかせた、今日も完璧に美しい天ヶ原だった。


「天ヶ原さん、ほんとにいつ見ても綺麗だよね。同じクラスになったからには何とかしてお近づきになりたいところだ」

 

 決意を表すかのように、熱視線を送り続ける康太。

 見てくれがいいだけあってかなりモテる康太が、ここまで一人に入れ込むのは珍しい。小学校からの付き合いだが、どちらかというと女子に付きまとわれて困ってる方が多い印象だった。こういうのは下手したら初めてじゃないだろうか。相当ファンなのだろう。

 

 ……しかしまあ、昨日の今日で俺としては複雑な心境だが。

 

 浮足立った教室内の雰囲気に釣られて、俺もなんとなく天ヶ原に視線を向ける。

 彼女は教室に入るなりすぐに似たようなキラキラした女子たちに囲まれて談笑を始めた。

 明らかに、俺と話しているときより棘の抜けたやわらかい笑みを浮かべている。


 すると不意に、天ヶ原と目が合った。

 しかし一瞬「げ」という擬音が似合うしかめ面を浮かべてすぐに逸らされてしまう。


 そのことに何故だかモヤモヤして、俺も天ヶ原から視線を外した。

 反面その後もしばらく熱視線を向け続ける康太。


 流石にそろそろやめた方がいいと声をかけようとした、その時だった。


「お前ら、席つけー」


 教室に響く、未だ寝起きの抜けきっていないだるそうな声。

 入口のドアがガラガラ音を立てて開き、入ってきたのは白衣を着た中年男だ。

 昨日聞いてなかったので名前は知らないが、俺たちの担任なのだろう。


 康太と別れて席に着く。

 始まったHRは担任のやる気の無さが気になる以外はまともだった。

 ありきたりな連絡事項と、1限で教科書を受け取りに行く場所が伝えられる。

 それが終わったら、新学期2日目といえど今日から授業だ。青葉台高校は県内でも有数の進学校だから、当然といえば当然だろう。

 そんな風につつがなくHRが終わるのかと思いきや、


「あー、そうそう、係とか委員会も決めなきゃならんのだった。うちのクラスは教科書の配布順も遅めだし、それまでにやっちまおう」


 唐突に係決めイベントが始まった。

 1個ずつ聞いていくのも面倒だから、という理由で黒板に全係が書き出され、俺たちはそこに名前を書き込んでいく方式となった。

 ……だが、


「……これじゃ埒が明かねえな」


 担任の目論見は大きく外れ、むしろめちゃくちゃ面倒なことになった。

 事の発端は男子たちの異質な空気。

 こういう状況になれば友人と談笑でもしながら一緒の係になろうとするのが普通だ。

 だが、このクラスの男子はなぜか誰一人として座席から動こうとせず、獲物を待つ狩人のような眼でじっと黒板を注視していた。

 

 そして天ヶ原が文化祭実行員委員に名前を書き入れた――その時だった。


「ちょっ、どけお前ら! 群がるんじゃねえ!」


 一斉に動き出した男子たち。彼らの物量に押しつぶされた担任の断末魔。

 康太を含め、俺以外の全男子生徒が天ヶ原と同じ係になるべく黒板前に大挙として押し寄せたのだ。


 ……あ、馬鹿だこいつら。

 そう思ったのは俺だけではないらしく、女子全員から冷ややかな目を向けられている。

 

「さて、どうやって決めようか? 戦争でもする?」


 康太がさわやかな笑みを浮かべて男子共に問いかける。しかしその目は明らかに血走っている。


「おう、上等じゃねえか」


 それに便乗する坊主頭のガタイがいい男。心の中で野球部と仮称しておく。

 一触即発の空気。それを止めるものは誰もいない。


「――馬鹿か。教室で乱闘騒ぎなんてされたら俺が教頭に怒られるだろうが。大体一々戦ってる時間もねえんだよ」


 むさ苦しい戦いの空気の中心にいた康太と野球部の脳天に痛烈なチョップが刺さる。やったのは当然担任だ。


「文化祭実行委員は男子全員でくじ引きだ。いいか、現代の男に必要なのは腕力じゃねえ。ここぞって時に差し込める引きの強さだ」


 担任の言葉にハッとした様子で感銘を受ける男子たち。あほだ、あほすぎる。

 ていうかおっさん、さてはあんたギャンブル好きだな。

 

 そうして唐突に、男子全員参加のくじ引き大会が行われた。

 各々紙切れに名前を書いてダンボールの中に入れていく。

 そして担任が乱雑に蓋を閉じてシェイク。

 無造作に引かれたその紙には、なぜか見覚えがあって――、


「と、いうわけで、男子の文化祭実行委員は望月に決定な。おめでとう、今度一緒に競馬行こうな」


 男子全員から殺意の籠った視線が刺さる。


「「え」」


 と同時に、俺と天ヶ原の驚愕の声が重なった。




 


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