第5話

 二人で涙を流す、一瞬にも、すごく長い間にも感じられる不思議な時間。

 そんな時間を過ごしたからか、泣き止んだ時にはどこか、彼女と打ち解けられたような感覚があった。

 

「しかし分からないんだが……お前、羽鳥とよろしくやってたのになんで配信準備間に合ったんだ? 俺が出てったすぐ後にツイートもしてたし……もしかしてあいつも配信のこと知ってる、とか?」


「は? なんでそこで羽鳥君が出てくんの? 意味わかんないんだけど」


 暫くして最初に思い浮かんだ疑問は、放課後の教室で見た彼女のことだった。

 それに対し、彼女は思い切り怪訝な顔を示した。


「いやだって、俺を起こした時随分仲良さそうな感じだったし、付き合ってるんだろ?」


 流石にあの後ヤッたんだろ? とは面と向かって聞けないので、一応オブラートに包んだ聞き方をする。


「んなわけないでしょ。どっから出たのよそんな話」


「じゃ、じゃあ、付き合ってないなら新学期初日から二人で何してたんだよ……」


 まさか付き合ってないけどそういうことはする関係なのか?  

 そうだとしたら、少なからぬショックを受けるが……


「――っ、それは、その……」


「や、やっぱり言えないようなことを……?」


「違うっての! だから……その、告白、されたの。ただそれだけ。しかも速攻断ったし」


「告白……? だって、下の名前で呼ばれてたし、仲いいんじゃ――」


「あれは、去年同じクラスだったから無理やり……あたしは許可してない。今日だって、クラスが変わって寂しいから付き合ってとか、誰があんな適当な奴と付き合うかっての」


 どうやら天ヶ原にとって羽鳥という男は中々の地雷らしい。

 見るからに怒りに顔を染めて、恨み言を呟く。


「そ、そういうわけ、だったのか……」


 真相が分かり、俺はほっとして思わずため息を漏らした。

 

 尤も、安心したは安心したが、複雑な気分だ。

 教室で声をかけられた時、俺は天ヶ原にときめいた。それは確かだ。

 けど、それが恋愛感情なのか確かめる前に、彼女がヨゾラの魂だと知ってしまった。

 正直もうかき回され過ぎて、今はもう自分の感情が分からなかった。

 

 ――だが、そんな風に悩む思考は、突如襲った眩しさによって遮られた。


「うわっ、なにこれアクキー百個くらいあるじゃん……えっと、それから数量限定のアクリルスタンドに、コミケの会場限定タペストリー、それから高額ボイス購入者限定のサイン、か……まー、よくもこんなに集めたもんだわ」


 眩しさに暫く呆然とし、ようやく明るさに慣れた頃。気付けばタンスの上、ヨゾラのグッズを飾っているその場所を、天ヶ原は喜んでいるのか引いているのか、いまいちわからない微妙な笑みを浮かべて眺めていた。


 ……ああ、見られてしまった。俺が持てる力の全てを使って集めたヨゾラグッズの祭壇を、オタクの極地みたいなその場所を、よりにもよって本人に見られてしまうとは……恥ずかしすぎる。

 こんなことならもう少し控えめに飾っておけばよかった。いやそれでも中身は変わらないし関係ないか。


「えっと、アカウント名は……『ムーン』さんか。なるほど、なら下手な誤魔化しとかしなくて正解だったかな。どうせバレるだろうし」


「なんでアカウントが――?」


 祭壇をしげしげと眺めていた天ヶ原が、不意に俺のネット上でのハンドルネームを呟く。望月だからムーン。今思うと安直過ぎるな。……ってそうじゃない。なんでそれが天ヶ原にバレてるんだ?


「いや思いっ切りサインに書いてあるから。むしろ超バレバレだから」


「あー……」


 ヨゾラが十万人記念グッズの購入者に書いた直筆サイン。

 祭壇の中心に神々しく飾られたそれには『ムーンさんへ』とでかでかと書いてあった。そりゃバレるわけだ。


「……けど、納得かも。さっきの言葉も、いっつもヨゾラを第一に考えてくれてるムーンさんの姿勢そのものだったし」


「……俺のこと、知っててくれたのか」


「いやむしろ知らないわけないでしょ。切り抜き動画作ってくれてるくらいの人は流石に……ううん、そうじゃなくてもずっと見てくれてる人、サインを書いた人なんかは特に、全員覚えてる」


 ずっと緊張感のある険しい表情をだった天ヶ原が、不意に温かく微笑む。

 ……ああ、やっぱりヨゾラだ。

 少し前、どんどん人気が出て行く彼女に、それは嬉しいことだけど、どこか寂しさを覚えていた。

 けれど、ヨゾラはすぐ、そんなこと気にならないくらい俺たち皆を大事に想ってくれていることを姿勢で示してくれた。自分がどんなに忙しくても配信を頑張って、星の子全員を楽しませるために必死だった。それが彼女が俺たちに向けてくれる愛だと気付いたら、寂しさはあっという間に消え去った。

 俺が切り抜き動画を作ってヨゾラの良さを周囲に発信しようと思ったのも、それがきっかけだ。


「……ねさ、一つだけ聞かせて欲しいんだけど……あんたに――ムーンさんにとって、星海ヨゾラってなんなの? もちろん、あたしは自分の活動に誇り持ってやってる。それであたしのこと好きになって、応援してくれる星の子にはめっちゃ感謝してるわ。……けど、所詮はあたしたちは虚像アイドル。あたしたちが提供できるのは、一時の楽しさ程度。それ以上の影響力なんてないはずなのに……それなのに、なんであんたはさっき涙を流したの?」


 泣きそうに歪められた顔。ところどころ掠れた声。どこか懇願するように、彼女は俺に問いかけた。

 それが本心からの疑問で、そして、この答えが何よりも重要だというのが、この時、俺には何故か分かった。

 だから俺も、想いの全てを言葉に込めた。


「――全てだ。他の何よりも、俺自身よりも、俺は星海ヨゾラが大切なんだ」

 

「どうして、そこまで……けど、そか。一人でもそこまでヨゾラの事を想ってくれてる人がいるなら、あたしも今までやってきた甲斐があったかな……」


 少しでも俺の想いは伝わったのだろうか。

 天ヶ原は寂し気に笑い、祭壇に並んだヨゾラのグッズを慈しみの眼差しで眺める。

 その姿に、俺は漠然とした不安感を覚えた。まるで、このまま霞と消えてしまいそうな、そんな儚さが彼女にはあった。


「天ヶ原――」


 気付けば、俺は無意識に彼女の名前を呼んでいた。話しかけるでもなく、ただ名前を。


「……あんたは、さ。アタシが――星海ヨゾラが活動辞めるっていったら、どうする?」


 彼女は俺の呼びかけに応えてか、こちらを向いて、消え入りそうな声でそう呟いた。

 それは俺に向けて尋ねられているようで、どこか彼女自身に問いかけているようにも感じた。


「ヨゾラが、辞める……?」


 そんなの分からない。考えたこともないし、考えたくもない。

 けど、一つだけ言えることはきっと――、


「……困る、どころじゃないな。きっとそうなったら、俺は生きる意味を失うし、まともでいられる自信がない」

 

 あるいは前向きな理由で、ヨゾラ自身他の仕事を頑張りたいとか、そういう卒業と呼べるような辞め方なら、凹むだろうが、すっごく、死ぬほど凹むだろうが、ヨゾラも頑張っているからと、いずれ立ち上がることは出来るかもしれない。

 けど、例えばヨゾラ自身がまだ続けたいのに、炎上とか、嫌がらせとか、そういう外的要因である日突然彼女が消えてしまったら、俺はもしかしたら、ヨゾラの後を追ってしまうかもしれない。ばかげた話かもしれないが、本当にそう思うのだ。


「中身があたしだって、分かった後でも?」


「関係ない。俺にとってヨゾラはヨゾラだ。……ヨゾラ自身である天ヶ原だって、そこの線引きはしてるだろ?」


「……まあ。確かに、『ヨゾラ』と『あたし』は別人みたいなもんかも。ヨゾラでいる時、あたしは全てをヨゾラとして話すし、逆もそう。そういう意味じゃ、あんたの言うことも信用できる、か……」


 さっき外で待たされている間、俺はずっとその事について考えていた。

 ――中身が、魂が割れて尚、俺はヨゾラを推し続けられるのか、ということを。

 けど、結果はどれだけ考えても変わらなかった。

 中の人がいる事なんて最初から分かり切っている事だし、その程度のことで嫌いになれるほど、俺のヨゾラへの想いは甘いもんじゃない。 

 もし、ヨゾラの魂が天ヶ原じゃなくて、別の、例えば全然可愛くない女の子で、批判強めなネットニュースとかでそれを知ったとしても、多分、俺は彼女のファンを、星の子を辞めることはないだろう。


「……あの、さ。もし、もしだよ? 本当にヨゾラが引退しそうで、あんたにそれが止められるとしたら、どうする?」


 だから、天ヶ原から縋るようにそう聞かれた時、俺はすぐに答えを出すことが出来た。


「――止めてやる。……命を懸けてでも、絶対に」


 

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