#31 ゴブリンへの願いごと

 ゴブリンは決して、願いを叶えるための代償を言わない。

 困難な願いを言った者ほど、代償が大きくなることを、あえて触れない説明の仕方をしている。


 もしかしたら、試しているのかもしれない。

 楽をするか、しないか、人間の怠惰を。


 自らの力を使わず、なんでも叶えてくれる魔法のような力に頼る者を炙り出し、難題を突き付ける。

 結局、願いを叶えるために苦労する道は、避けては通れないのだ。


「女だ。……俺を愛し、奴隷のように従う、大量の女を用意しろ。それが俺の願いだ!」


『――なるほど、聞き届けた』


 見るからにモテなさそうな男は、困難な願いに、しかも、大量の、と付け加えた。


 願いの難易度は、かなり高く設定されたと見るべきだ。

 それに対し、ゴブリンの要求は、サヘラが思っていたよりも、簡単に聞こえるものだった。


『代償を支払え――、

 この大図書館の中にある、「女」のタイトルの本を一冊、自力で見つけ出して、持ってこい』


「代償だと? 面倒だ。

 お前が願いを言え、と言ったんだ。

 説明不足は、お前の不手際だろ。お前の責任だ、俺は悪くない。

 ――いいから、さっさと願いを叶えろよ」


『確かに不手際があったかもしれないが、ルールだ。こちらの意見は聞いてもらおう』


「ちっ。胡散臭いとは思っていたがなあ……もういい。

 願いはキャンセルだ。さっさと俺の背中から離れろ」


 しかし、ゴブリンは離れない。

 途中でキャンセルすることはできないのだろう。


『本のタイトルは、「女」だ。探し出して持ってこい』


「耳元でうるさいんだよ。――離さないなら、お前の頭にぶち込む」


 男が取り出したのは、小さな銃だ。

 銃口を後ろに向け、ゴブリンの額に狙いを定める。


「五秒以内だ。時間をやるぞ、さあ離せ」


『代償を、支払え』


「あー、五秒もいらねえか。死ね――化物」


 引き金が引かれ、弾丸がゴブリンの額を貫いた。

 緑色の液体が飛び散った。

 男は返り血を大量に浴びたが、ハンターがゆえに慣れているのか、眉一つも動かさない。


 タルトとサヘラは息を飲む。

 大量の血飛沫や、破壊された頭を見たから……、ではない。


 そこは目を瞑っていたので、見てはいなかった。

 目を開けた時、二人が目にしたのは、

 弾丸を受け、崩れた頭が、元通りに直っていく光景だったからだ。


 血飛沫も、やがてゴブリンの中へ戻っていく。

 殺された、という結果だけが巻き戻ったような……。

 男も気づき、余裕が消える。

 繰り返される言葉に、恐怖を覚えたようだ。


『代償を、支払え』


「この、クソゴブリンがッ!」


 無駄だと知りながらも、男は何度も銃の引き金を引く。

 しかしゴブリンは、例にならって、崩れた肉体が元に戻っていく。

 遂には銃の弾も尽き、引き金を引いても、軽い感触しか残っていなかった。


 肩を掴むゴブリンの力が強くなっていく。

 男の膝が崩れ、まるで数十倍の重力の中にいるような、苦痛の表情を浮かべていた。


 ゴブリンの位置が、段々と下がっていく。

 同時に男の叫び声が聞こえるようになってきた。

 叫び声にかき消されていたが、よく聞けば、紙を破くような音も聞こえる。


 サヘラとタルトは、ゆっくりと、緊張しながら男の背中に回った。


「っ――」


 タルトが咄嗟にサヘラの目を手で覆ったが、遅かった。

 サヘラの脳内には、いま見た映像が、細部まで再現されている。


 ゴブリンが掴んでいた肩から、背中の途中まで、男の皮膚が、剥がれていた。

 男の背骨や内臓が、まる見えになっていた。

 勉強で使った人体模型にそっくりだったが、本物はもっと生々しく、見ているだけで気分が悪くなる。


 ゴブリンからの要求を、聞かなかったからだ。

 ゴブリンの力の強さや、重さが増えていき、男の背中がそれに耐えられなくなった――、

 背骨や内臓が見えても、まだ生きていられるのは、

 ゴブリンとこうして契約した、ルール上の仕様のためだから、かもしれない。


 要求を聞かずに、これなのだ。

 もしも、このまま要求を達成できなければ……。


『時間切れだ。残念だ――』


「ま、待て! 本だ、そうだ、これだろ!? 間違えていたら、悪かった!」


 とりあえず、手近にあった本を取り、

 要求を達成しようとする意思はあるのだと示す男だったが、ゴブリンは首を振る。

 もう遅い、と悲しそうな目で、語る。


『開いてみろ。それで分かる』


 なにが、とは、ゴブリンは説明しなかった。

 だが、サヘラは、ゴブリンが言わんとしていることが、なんとなく予想できてしまった。


 男の、末路だ。


 手近にあった、タイトルさえも見ていなかった本を、開く。


 本のページから、腐ったような見た目の腕が飛び出してきて、男の頭を掴む。

 その腕は一人分ではなかった。


 数を見れば、最低でも六人はいる。

 そして、男の顔が、本の中へ入り込んだ。

 抵抗する男が本から顔を戻すと、嫌悪感と恐怖で、体を震わせる。


『お前が望んだ、ハーレムだぜ』


 本の中から顔を出したのは、背中にいるのと同じ、ゴブリンだった。

 ただし性別が違う。

 多くの腕の持ち主は、全てがメスのゴブリンだった。

 老いた見た目と、薄汚い体と格好、

 腐ったような匂いと肌が、小太りの男を性行為の対象として見て、抱き着いてくる。


 背中のゴブリンが、男の剥がれた背中を元に戻す。

 パズルのピースのように、きれいにはまった男は、背中よりも、前だけに集中していた。


『後ろを見ない前向きなお前は、結構好きだぜ』


「こんのッ、クソ化物がァあああ――――ッ!」


 肩まで本の中に入った後、男の全身が吸い込まれるのは早かった。

 男が入った本を閉じ、棚にしまうゴブリン。


 それから、自分が入っていた本を開く。

 大図書館の証明がない、サヘラが開いた本だ。


 ゴブリンが、あるページをサヘラに見せる。


 そのページには、


 六体以上のメスのゴブリンと子を成し、ゴブリンたちの世界で暮らす、老いたハンターの男の姿があった。


 分かりにくいが、痩せてはいても、男の雰囲気は変わらない。


 棘が無くなった、温和な老人になっていた。


『平和そうに暮らしているな、オレたちの世界で』


 サヘラはぞっとする。

 もしも、ゴブリンの要求を聞いていなければ、

 自分は、あの男と同じ道を歩んでいたのではないか、と。


 ゴブリンは本を閉じる。

 歩み寄ってくるゴブリンに、サヘラは、一歩、後退をした。


「ゴブリンくん、サヘラを助けてくれて、ありがとう!」


 ゴブリンに近づき、屈んだタルトに、サヘラは反応が遅れてしまう。


 止める暇も、ゴブリンの動きを見る隙もなかった。


 タルトの背中に、ゴブリンが飛び乗る。

 わわっ、と能天気な反応を示すタルトに、ゴブリンは決まった言葉を口にした。


『願いを、言え』

「サヘラと、もっと仲良くなりたいっ!」


 即答だった。

 しかも、サヘラと同じ願いだった。


 互いに、仲良くなりたい、と願う姉妹……、

 ゴブリンは、そうか、と微笑んだ。


 嫌味のない笑みだった。

 サヘラから見ても、このゴブリンから、不気味さや、嫌悪感は感じなくなっていた。


『なら、代償を支払え――お前のパンツを、渡せ』

「パンツ一枚でいいの? お安い御用だよ!」


 ささっと脱いで、ゴブリンにパンツを渡すタルト。

 ゴブリンは、恥じらいを見たかったようだが、タルトにそんなものはなかった。


 納得のいってなさそうなゴブリンだったが、代償は支払われた。

 文句を言える立場ではないため、契約成立の証明を行う。


「ゴブリンくん、願いはいつ叶うの?」


 タルトの無邪気な質問に、本へ戻ろうとするゴブリンが、答えた。


『もう、叶ってる』




 タルトとサヘラのパンツを手にしたゴブリンは、満足したのか、自分が出てきた本の中へ帰って行った。


 本は、誰の手も借りずに浮遊し、棚の元の場所へ戻っていく。


 隠された琥珀を手にしようとする者への、罠だったのかもしれない。

 ……そう考えると、

 残りの琥珀、一つ一つを手にしようとしたら、今のゴブリンと同じような、罠が張ってあるのだと見るべきだろう。


 加えて、なぜか、琥珀を狙うハンターがいた。

 他者を傷つけてでも手に入れようとする者もいる。

 フラウスには悪いが、琥珀探しはここで断念したいと、サヘラは密かに思う。


 ――だけど、タルト姉が、やめようと言ってやめてくれるはずもないし……。


「サーヘラっ」


 横に並ぶタルトを見ると、偶然、目と目が合った。


 タルトは嬉しそうに笑みを向けてくる。


「一緒の願いを言って、しかも二人してパンツを穿いていないって――お揃いだね!」


 言いたいことは色々とあったが、タルトにそう言われ、やはりサヘラも嬉しかった。


 サヘラにとって、タルトとは、姉であり、憧れであり、ヒーローであり、好きな人で、

 自分を好きになって欲しい相手であり――、独占したい相手でもある。


 タルトの幸せが、サヘラの幸せなのだと、サヘラは自覚している。


 ――簡単にパンツを渡しちゃうのは、どうかと思うと言いたかったけど、まあいっか。


 向けられた笑みを崩したくなかったサヘラは、タルトへのお説教を後回しにした。

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