2.招待状



 地球転星という虚構がある。

 その虚構は本来、WEB小説であり、当初はその界隈では非常に有名な小説投稿サイトの中で、誰も寄り付かない片隅にあるアカウントによって投稿が始められたものだった。

 誰にも目に留めないひっそりとした片隅で華やかなランキングが躍る昨今の流行のジャンルを追い掛ける風潮すらも無視して、地球転星というWEB小説を淡々と綴っていくだけの謎のアカウント。

 それが発生したのが今から数年前。

 章子がその小説の存在を知ったのは、それからしばらく経った小学校五年生の春頃だった。

 章子と同姓同名の主人公が出てくる本がある、という噂をどこかで耳にしたのだ。


 章子は最初、そのことをあまり気には留めていなかった。章子はWEB小説というモノの存在を全く知らなかったし、親からもネットの類は禁止されていた。それでも小学校の中というのは中々に広いモノで当然、機械やネットに強い生徒はクラスに一人や二人はいるものだ。更に言えば上の学年や下の学年にだってパソコンやスマホを所持している生徒など全校生徒の中で三分の一は存在しているといっても過言ではない。むしろ現代では家庭生活の中でネット環境が整っていない児童生徒のほうが稀有といえた。

 その様な事情もあり、めでたくも章子はネットの流行には鈍感でいられたわけだったのだが、そんなある日に見せつけられたのだ。同姓同名の登場人物が出てくる地球転星という虚構を。

 これは当時、章子の小学校ではちょっとした話題となった。PTAで話し合われるような重大な問題までには発展しなかったが、それでもそれ寸前の所までは行ったらしい。


 ある生徒と同姓同名の女子生徒が登場して他の世界に旅立つという物語がある、という何の他愛のない雑談のような話だった。そこまでならまだ何も問題は無いのだが、物語の舞台が同じ名古屋で、登場人物が通学しているという設定の中学校の名前も、実在の章子が中学に進学する時に通うことになっている同名の公立中学して既に存在しているという。

 この事実を一部の保護者が過剰反応して、話を大きくしてしまったのだ。

 実際に当時も小学校に通っている咲川章子という生徒と、このWEB小説には何か大きな繋がりがあるのではないかと疑って、咲川家の身辺を怪しんでいるという話も耳にした。


 幸い、そんな陰謀論に付き合うほど小学生の子供を育てている他の保護者たちは暇ではなく、もっと他に優先すべき目白押しな学校行事や事柄を、PTAでは扱い続けて、結局、この話題は何事もなく立ち消えとなった。……はずだった。


 大人たちは忘れても、子供たちは忘れてはいない。


 一度、沸き起こった疑惑の目は、小学校を卒業しても憑いて回るのが学校という狭い世界の中で生きる子供たちの宿命だった。


〝地球転星って小説があるんだって……〟

〝それってあれでしょ……。本当は回りに言っちゃいけないことが書かれてるっていう……〟

〝本当に虚構なのかな? あれって〟

〝そう思うよね。だってあれに書いてあることってさぁ〟

〝先生でも分からないらしいよ。あれ〟

〝それで名前は咲川章子で同じなんでしょ?〟

〝……でも、だったらもう一人の子も同じこの名古屋の何処かにいるってこと?〟


 周囲の声に耳を塞ぐ章子の背後では常に、よく知りもしないもう一人の咲川章子が存在していた。そして、さらに章子とは別のもう一人の男子生徒の存在も……。


 小学五年生から六年生に上がり。そして中学校への入学。一年、二年と時が過ぎれば過ぎるだけ、虚構の中で生きる同姓同名の咲川章子の年齢へと成長して近づいていく自分の身体。

 両親も弟も仲の良い友人たちも特に気にする必要はないと慰めてくれたが、章子はやはり不安だった。なぜなら地球転星に登場する同姓同名の咲川章子という人物は性格も考え方も全てが全て、この現実世界で生きる自分自身と全く瓜二つだったのだから。


 章子は、父親が印刷してきたという地球転星という虚構を読んで思い知った。地球転星に登場して様々な出来事に直面していく咲川章子という虚構の中の人物が放つ言葉は、全てこの現実で生きる咲川章子の考え方と同じだったのだから。

 虚構の中で翻弄されていく咲川章子の姿が、現実を不確かに生きているこの咲川章子という自分自身と完全に瓜二つに重なって見えていた。


「……もう一人、いる……?」


 虚構の自分と現実の自分。

 誰だか知らない赤の他人が書いた気味の悪い小説なのに、その小説に登場する主人公とされる少女の考え方は、間違いなく自分と同じものだった。


 そして、それならば……。

 そう、それならば……。

 この現実には章子の他にも、必ず、という可能性も示している。


 章子はその可能性を探したことはなかった。

 章子が住むこの街、名古屋は広い。章子のいるこの地域でさえ近くに中学校は三つほどある。そんな中でもう一人の人間を探そうなどという気持ちはこれっぽちも抱くことはなかった。

 今のこの時までは。



「初めまして。咲川章子」


 目の前で、初めて出会った少女はそう語り掛けている。下校途中の交差点。その夕闇の中で。

 まるで昔から何度も会ったことがあるかのように馴染んだ声と言葉で、少女が章子に深くお辞儀をした。

 章子と同じ中学校のセーラー服で、驚く章子が想像したていた通りの姿でその少女は顔を見せていた。


「あ、あなたは……」

「それは既にご存知でしょう?」


 思わせぶりな態度と視線が、狼狽える章子を射抜いている。では、やはりそうなのだ。

 やはり……


「もはや、ご自分のお立場はお分かりかとは思いますが。やはり、この言葉からワタシとあなたは初めてみましょうか」


 そう言って。夕闇に現われた少女は、交差点の前で章子に見せた。


「あなたをペアで、あの惑星にご招待しましょう」





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