新世界転星より           

挫刹

新世界の惑星

0.真昼の惑星



 虚構が現実になるとは思わなかった。


 今まで何も起きなかった。

 期待したことは何も起こらなかったし奇跡も何も起きなかった。

 だから毎年毎年いつものように長い幾年月日を、ただいつも通りに過ごしていけば自分たちの人生はつつがなく最期まで辿り着いて、そこで終わる。

 そう思いこむだけに足る充分な日頃から、すでに何も考えずに単調な生活を送っていた。


 両親に囲まれ、両足で立ち、いつの間にか弟がいて、同世代の人間たちと出会い、仲良く交友を暖めながら園や学校に通って、泣き笑いを繰り広げたまま卒業と入学を繰り返す。特別な運命など何も無く。

 眼の前に起こる退屈で平穏な出来事こそが、過去や今やこれからの約束された自分の人生の全てなのだと。


 赤子から子供へ。子供から大人へ。


 自然と流れていく止まらない時間のほんの一部を自分たちは何故か持って生まれて生きている。

 難の変哲もない時代の荒波に呑まれるまま、制服を着て、制服を脱ぎ、またもう少し先にある、あるいはそこからさらに先で待ち受けるのだろう見えない未来や将来の景色を想像すると、決まってそれは良くも悪くも姿形を変えては明滅し、輪郭を捉える前から瞬く間に消えていく。

 そんな不安と不穏からくる悩みや会話の飛び交う談笑が、今もこの場では広がっていた。


 学校の教室の昼休みの昼食の時間。教師はいない。机を寄せあった仲間同士で子供たちだけが賑わいを見せている。

 それでいいと思っていた。時間はまだあった。残り一年半。用意された中学校三年間の生活も、いつの間にか半分が過ぎていた。


 季節は秋。空高くを筋雲が巻き、涼しい風がそよぐ十月の中旬だった。初秋。開け放たれた窓から差し込む心地いい日射しの光となびくカーテンを眺めながら、それぞれの弁当や給食を慣れた手つきで所狭しと席に広げる。

 受験や卒業はまだ遠い。この一年でさえ、まだ半分もある。目下の悩みは目の前に迫る中間テストだ。それ以降も学校行事は目白押しだったから、他ごとを考える余裕なんてありはしなかったし、そんな猶予を大人たちも与えてくれない。


 けれどもきっと、時間に追われる状況に甘えて見えない現実から逃げだした卑怯な子供を、どこかにいる彼方の子供は決して許しはしないのだろう。

 それを思い出したのは手遅れになった後だった。


 窓の日射しがしぼんでいくのを感じた。そして次第に暗くなる。それはいつもの流れる雲の日影だと思い込んでいた現象は、やけに長い時間を占有しはじめた。影の度合は色を深め、影から陰へ、陰から闇へと変遷しつつある。

 それが現実から虚構への入り口だとも知らず、異変を感じつつも挟んだ箸の先から、窓に目を移す瞬間に、誰かが叫んだ日食という言葉を耳にした途端。


 思い出すよりも先に立ち上がっていた。あとになって後悔するのは散乱した箸と白いごはん粒の残骸だろう。しかし今はそれよりも教室の暗い窓だった。

 慌てて駆け寄った開けるそこから見上げた校庭の空では、銀色の黒い太陽が輝いていた。


 騒ぎはじめたクラスメートたちの声と、隣の教室でも窓から顔を出して騒ぎ出す生徒たちの声。それを自覚する頃には、瞬く間に校舎中が大混乱に陥っていた。


 誰かが持っていたスマートホンに群がる集団に関心も持てず、ただ茫然と窓から仰ぎ続けることしかできない矮小な自分。それとは正反対に星が視えそうなほどの夜空と、そこに一つだけ輝く銀環の黒陽。


 紛れもない皆既日蝕という唐突の自然現象。

 止まらない喧騒の中で、これらの光景が全世界で起こっているのだと、どこからか大騒ぎしている声も耳にとどく。


 全世界。

 窓枠に手を添えて考えた。


 全世界で同時に起こる日食など聞いたことがない。日食はどこか地球の一部分だけで起こるものだと知っている。その知識を思い出した途端に、一つだけ心当たりを見つけた。

 

 窓枠に添えた手に力がこもる。


 だが、……だが、アレはだ。現実じゃない。現実で起こった出来事じゃない。あれはだったはずなのに。それがなんで、こんな現実に……。


 ふって湧いた疑問が鍵となって何処かの扉は静かに開いた。虚構を現実に変える新世界への扉が。見えない鍵穴は東の果てに。暗い宙の彼方の地平線から青い空の色を呼び戻して鮮やかに広げる。


 夜明けも日没もなく。ただ東から西へと青空が夜空に幕を引いて景色は一瞬にして切り還わっていく。


 太陽は元に戻っていた。あの眩しく輝く元の白く赤い太陽に。

 そして東。東の天高く青い空に……はあった。


 浮かんでいたのは惑星だった。


 途方もなく途轍もない巨大な惑星。それが、地球よりも鮮やかさな青い色で、木星さながらに東の空に一つ。


 それを見上げる人類たちは、もはや誰も驚いてはいなかった。驚く以前に放心していた。

 理解が全く追い付けない思考回路は、呆然だけを染色させて、浅はかな理解など微塵も許さない新なる世界の独走を許していく。


 沈黙の世界に、一陣の風が砂嵐のつむじを巻いて吹き抜けたのは現実だった。


 惑星だ。惑星がある。

 まったく知らない巨大な惑星が晴れ渡った青空に現われている。流れていく秋の雲のさらに天深く。浮かぶ雲の向こう側にある見慣れない惑星が、東の空で緩やかな自転を開始している。

 それが生まれて初めて地球上から見る、自転する天体だった。さらに驚いたのは巨大な惑星が纏う白い雲だ。動いている。わかる。白い雲が渦を巻いて巨大な青い惑星の地表をゆっくりと形を歪めながら遷移していく。

 そして、その惑星の手前には更に赤と白の二つの衛星ほしが浮かんでいた。赤い衛星は地球のように大気を備え、白い衛星には月のような隕孔のクレーター跡が一面にあった。


 ということは、アレはやはり地球ではなく、まったく別の……。


 目下の校庭では、すでに呆然としたまま惰性で歩き、気力を奪われて立ち止まる生徒や教師の姿が波紋となって広がり散らばっている。


 誰もがきっと、あの見たこともない惑星の名は知っているのだろう。しかしそして、その名を口にしていい人間も数人しかいない。


 地球ちきゅう……転星?


 自分の思い浮かんだ言葉と重なった場違いな同級生の誰かが不意に呟いた言葉で、担任の帰ってこない教室に目を戻した。それは同時に教室中の生徒の注目が一点に集まった瞬間でもある。


転星てんせい


 それが本当にあの巨大な惑星の名前なのか? 突然の日蝕の後に唐突に現れた未知の巨大な青い惑星。

 小説の中だけのはずだった新世界の惑星が、鐘の音チャイムと共に、運命を定められた咲川さきがわ章子あきこの目の前に出現していた。





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