第51話

「伯爵様だぁ?」


 しかしながら、困ったことにこの客は恐ろしいほど察しが悪かった。いや、もしかすると元々分かっていないのかもしれない。ここが誰の領地で、この店のオーナーが誰であるのかを。


「ご存知でないのなら教えて差し上げましょうか?」


 ヴィオラがそう言うと、やはり察しの悪い男は下卑た笑みで答えた。


(こいつ、酔っ払いよね?)


 いい加減、そばに立っているヴィオラは気がついた。この男、酒臭いのだ。


「毎晩伯爵様に可愛がられてんのかぁ、そいつを俺にもしてくれるってかぁ」


 案の定、酔っ払い男確定で、しかもヴィオラを伯爵の、つまりはアルベルトの愛人と断定してきた。あまつさえ、いかがわしい想像までしてくれたわけだ。

 酔っ払い男はニヤついた笑顔でヴィオラをじっくりと舐めまわすように見ると、ヴィオラの腕を掴もうと手を伸ばしてきた。


「気安く触るなぁ」


 小気味の良い音がして、酔っ払い男の体がテーブルの下に沈んだ。

 呆気に取られたのは、ヴィオラだけでは無い。店内に居合わせた客も店員も全てが突然の出来事に目を奪われた。

 そして、ヴィオラ自身も目の前に現れた人物に目を奪われた。イベントが発生したことを確信して、一体誰がヒーローとして助けに入るのかドキドキしながら身構えてはいたのだ。だがしかし、現れたヒーローは全く持って予想外の人物だった。


「う……そ、でしょ」


 目の前にさっそうと現れて、酔っ払い男を颯爽と一撃で沈めた人物は、確かにヴィオラが知る人物ではあった。


「お怪我はございませんか?」


 にっこりと微笑まれ、ヴィオラは絶句した。


(うそ、うそ、うそぉ)


 ヴィオラの心拍数が上がる。こんなイベントだっただなんて知らなかった。いや、多分、ゲームとは明らかに内容が変わってしまったのだろう。ゲームなら、今現在出会っていて、更に親密度が高い方が助けに来たはずだ。イベントの条件を満たすほど親密度が上がっていなければ、カフェの店員が助けに来てくれるという話だったはず。

 それなのに、目の前に颯爽と現れてヴィオラを助けてくれたのは、親密度なんてあるはずもない人物なのだ。


「ありがとうございます。特に何も」

「それは良かったです」


 一礼をしてヴィオラの前を去る。無駄のない所作が美しい。ヴィオラはその背中を目で追いかけた。テーブルの下に沈められた酔っ払い男は、警備の兵士たちが連れていった。

 立ち上がり、ヴィオラを心配そうに見つめるアルベルトと目が合った。ヴィオラが微笑めば、アルベルトがほっとした顔をして近付いてきた。

 早すぎるけど、今日のメイドさんは終了だ。

 ヴィオラは一人で馬車に乗り邸に帰った。


「ど、ど、ど、どーしてダニエルが現れたのよぉ」


 一人部屋でクッションを抱き抱えてヴィオラは悶絶した。騎士団長の息子で、誰よりも真っ直ぐな性格をしていたダニエルだ。自分の過ちを素直に受け止め、そうして潔く平民になった。そんなダニエルがなぜか突然現れた。

 これにはヴィオラも驚いた。

 何しろかっこよくなっていたのだ。以前は鍛えてはいるけれど、どこかおぼっちゃま感が拭えない甘さがあったのに、青年の顔になっていた。少年らしさのあるふっくらした頬ではなくなっていた。


「短期間で変わりすぎでしょぉ」


 ヴィオラはクッションを強く抱き締め顔を押し付けて叫んだのであった。

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