part.5

蘭丸はそれからちょくちょく忙しい最中の理髪店にやって来てはベラベラと喋ってみたりアッシュと追いかけっこをしてみたり、それならまだ可愛いが、時には二階の窓から勝手に家の中に侵入して寝ていたり、それは狼というよりも、勝手気ままな猫のようで、ただでさえ波風の立つ八神との共同生活の中にあって、ちょっとした漣くらいの存在にはなっていた。

仕事の終わった午前0時。疲れた顔の秋山は店のソファに座りながら、その脇で寡黙に毛繕いをしているアッシュを眺めつつうんざりとした声を出した。


「まったく、お前の方がずーっと弁えてるよね?アッシュ…。あの子、ちゃんと家あるのかな。学校は行ってないのかな」


八神はそんな秋山のぼやきを閉店の片付けをしながら聞いていた。


「まったく厄介な奴に気に入られたもんだな。アッシュと言い、蘭丸と言い」

「失礼な!アッシュは厄介なんかじゃ無いよ!あの子よりずーっと手がかからない」

「何だ、こいつを飼う気でいるのか?」

「え?もう飼ってるんじゃないの?僕はもうそのつもりだったけど、八神さんは嫌なの?」

「別に嫌と言うわけじゃないが…、野良は野良だぞ?」


そう言う八神の言葉など秋山は耳に入らない様子でアッシュを抱え上げた。


「明日可愛い首話を飼ってあげますよ?君はグレーだから、ブルーが良いかな?黄色も可愛いかな?」


アッシュはしばらくは秋山の手の中で大人しくしていたものの、すぐにモガモガと嫌がるようにその手からすり抜けていった。


結局、大した解決策が見つからず、蘭丸が何者かも分からぬまま数日が経ったある日、パチンコ屋の帰りがけに八神がふと立ち止まったのは例のホストクラブの前だった。

表にはまだ新装開店の花輪が沢山並び、見上げる門構えはアーバンでラグジュアリーな雰囲気を醸してはいるが、元ホストの男にはそれが甚だ安っぽく軽々しく見えた。

これが未成年を働かせている店かと苦々しく眺めていると、背後から八神は声をかけられた。


「レイさん?レイさんじゃないですか?」


レイとは八神の源氏名である。八神が振り返るとそこにはホスト時代の後輩が、パリッとしたスーツに身を包んで立っていた。

向かい合う二人は、お互いほんの少し歳を取っていた。


「お?聖夜か…?」


聖夜とはホスト時代の男の源氏名だ。


「お久しぶりです、十年くらいになりますかね。お元気そうでなによりです!レイさん、まさかまだあの店に?」

「ハハ!馬鹿言え、おれはもう四十路のおっさんだぞ。今はそこでささやかなバーをな…」

「ほう!一国一城の主ですか!」

「よせよせ、そんな良いもんじゃねえよ。ところでそう言うお前はもしかしてここの店のオーナーか?」

「はい、お陰様で…何とか店が持てるように…。どうです?一杯飲んで行きますか」

「いや、今日はいいよ…それよりちょうど良いや。お前にちょっと話があるんだが…」


八神はオーナーに蘭丸の事を話したが、案の定蘭丸は二十歳と言う触れ込みで働いている事が分かった。

オーナーが言うには、彼は素行が悪く問題ばかり起こしているようで、店も扱いに苦慮していたと言う。

この日この八神の垂れ込みで本人の知らぬ所で蘭丸はいとも容易くクビが決定してしまったのだ。




「ええ?!そんな事しちゃダメじゃ無いか八神さん!」


秋山は八神の持ち帰ったこの話に不満とも取れる声を上げた。


「そんな事したらあいつ働かなくなってますます店に入り浸るようになるよ?そしたら八神二号が出来上がっちゃうじゃないか!」

「八神二号とは何だ!オレはもう無職じゃねえぞ、人聞きの悪い!

大丈夫だって、オレがどっか口きいてやりゃ良いんだろう?」

「口をきくって…世間はそんなに甘く無い事ぐらい八神さんがよく分かってるじゃ無いか!それにあの蘭丸君だよ?」

「何とかする。何とかするさ」

「何ともならなかったらどうするんだよ!猫の子とは訳が違うんだよ?」


そう。猫の子の方がまだマシかもしれない。

八神はあれからあのオーナーと話した事が脳裏に浮かんでいた。


「ところで蘭丸の本名はなんて言うんだ?」

「本名は…ええと、確か…こたろう…そう泉田琥太郎いずみだこたろうです」

「泉田?泉田…、琥太郎?」


八神はその苗字に引っかかるものを感じた。

泉田。それは八神の元妻の苗字と同じだったからだ。

八神の元妻は泉田桃香いずみだ ももかと言う名の女だった。


「そう言えばレイさんの本名に少し似てますね。確か八神さんは麟太郎りんたろうでしたっけ」

「…あ、ああ。そうだ…」

「そう言えば、名前もだけど彼、レイさんに何となく似てませんか。顔立ちとか雰囲気とか。まさか隠し子ですか?ハハハ!」


多分それは彼の冗談だ。

だが八神には冗談に聞こえなかった。

泉田なんてそうそうあるような苗字では無いし、己の麟太郎にしてもそうそうある名前では無い。


泉田琥太郎いずみだ こたろう

それは偶然にしては出来すぎた名前ではないのか?


『まさか隠し子ですか?』


オーナーの放ったその冗談が八神の心に波紋を投げた。

何故なら八神が桃香と別れたのは丁度十七年前だったのだ。


まさか…まさかな…。


「…神さん…。

……八神さん!」


考えに耽っていた八神は己を呼ぶ秋山の声で我に帰った。


「…え?」


「え?じゃないですよ。どうかしたんですか?ぼーっとしちゃって」

「…いや、なんでも無いよ」


「何でも無い」そう言って八神は何事もなかったように秋山に笑顔を向けたのだった。



『まさか隠し子ですか?』

















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