第15話

 ホテルを出てすぐの交差点を渡り、特徴的なアーチを抜ければ、右も左も魚やカニなど海産物で溢れている。そう、あの後30分ほどスマホで美味しそうなご飯を探した結果、美沙は近江町市場で海鮮丼を食べることにしたのだ。


 近江町市場といえば、金沢の観光に外せない観光地の一つで、海鮮丼やおでん、コロッケやメンチカツなどの揚げ物と少し歩くだけでそこかしこに美味しそうなものが溢れた魅力的な場所だ。美沙は普段は見ることのないもの珍しい光景を眺めながら楽しそうに歩いている。どうやら市場の活気あふれた空気が気に入っているようだ。僕が知る限り、美沙はずっと家にこもっていて話し相手なんてたまにくる雪美さんかスーパーの店員ぐらいだったから久々に人の明るさに触れたのかもしれない。それならば少し気持ちが浮かれてくるのも納得だ。


 美沙は市場の通路を右に曲がってすぐのところにある店の前で足を止めた。どうやらお目当ての店に着いたらしい。店の前にはメニューの書かれたボードが置いてあって、中でも大きく書かれているマグロづくし丼はこの店のオススメらしい。店の前で並んでいる人の多くがマグロづくし丼とほかの丼どちらを食べるか悩んでいるようだ。


 順番を待って席に着くと美沙はすぐにマグロとサーモンの乗った丼を店員さんに注文した。てっきりオススメのマグロづくし丼にするのかと思ったので意外だったが、よくよく考えると美沙はサーモンが大好きだったし意外でもないか。


 注文した丼が届いた瞬間美沙は金沢に来て1番の表情を浮かべた。よっぽどこの海鮮丼が楽しみだったのかいただきますと言ってからはただただ食事に没頭してあっという間に全て食べ切ってしまっていた。






 美沙は食事を終えるとどこかに寄り道をするでもなくまっすぐにホテルの部屋へと帰っていった。ベッドの上に座ってなにをするでもなくぼーっとテレビを眺めている美沙の姿はまるで死んでしまったかのようで、日中喫茶店の奥さんと話してた時の笑顔が嘘のようだった。いったい彼女はなにを考えているのだろう。生前身近な人を亡くしたことのない僕には分からないことで、そのことがいっそう何もできない僕の心をジクジクと刺激してくる。


 彼女のためになにができるだろうか。幽霊になってから消えることのないこの問いは今も僕の頭の中で何度も繰り返し問い直されて、その度にできることはないという答えに行き着いてしまう。ものが触れることに気づけようが結局それは数秒のことで、ましてや真夜中にしか触れないのなら僕が美沙にしてあげたいことなんて何一つすることができない。金沢まで来てまた自分の非力さを再確認させられているような気がして僕はそっと美沙から視線を逸らした。

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