第14話 孤児、兵士、傭兵

 ‪アルタイル砦に向かうはずが、まさかシリウス砦まで行く羽目になるとは思わなかったエバンは、さらに予想外な事に数日ぶりに故郷へ帰還した。‬

 ‪あの日、村を託した兵士たちはどうしているだろうか。自然と歩調が速まる。‬


 ‪「母さん……!」‬


 ‪自宅の前で洗濯物を干す母親の姿を見つけて、エバンは駆け出した。‬


 ‪「……エバン?」‬


 ‪声に振り返った母──ミーザは目を見開く。自分の見たものが信じられないという顔で。

 ‬

 ‪「母さん、ただいま」‬

 ‪「エバン……本当にエバンなのね!」‬


 ‪ミーザは息子の顔を見つめて涙ぐんだ。

 ‬

 ‪「おばさん、迷惑かけてすみませんでした」‬

 ‪「リンディちゃんも……無事でよかった!本当に……!」‬


 ‪安堵のため息をつきながら、リンディの肩に触れる。そうしてミーザは二人が無事に、本当に帰ってきた事を実感したのだった。

 ‪その後、エバンは仲間たちを紹介し、レグルスに会いに行く事を告げた。‬

 ‪母は驚いていたが、止めようとはしなかった。‬

 ‪さらに、その日はイズールドで休める事になった。エバンの母は宿を経営していたため、全員で世話になっても支障はない。

 ‪話によると、アルタイル隊は砦が正常に戻った頃に引き返して行ったらしい。‬


 ‪「あの人たち、周囲の魔物も退治してくれたから助かったわ」‬


 ‪ミーザは最初の出来事を忘れたかのように喜んで語っていた。‬

 ‪それを聞けただけでも帰ってきてよかったとエバンは思ったのだった。‬

 ‪ ‬



 ‪「エバンだけには……伝えた方がいいかと思って」‬


 ‪リンディが切り出したのは、夕食も終わり、仲間はそれぞれ部屋に散って行った頃だった。‬

 ‪現在食堂には、エバンとリンディしかいない。‬

 ‪久しぶりの母の手料理を満喫したエバンだったが、声をかけられて佇まいを改めた。‬

 ‪リンディは辺りに人がいないのを確認すると、声をひそめて口を開く。


 ‪「カイトスさんの事なんだけど。昔、アルタイル隊にいた時……エバンのお父さんと知り合いだったって聞いたよね」‬


 ‪エバンは先を促すように頷いた。‬

 ‪カイトスはイズールドに来てから一言も発言していない。気にはなっていたが、こちらから声をかけることもできなかった。

 それに、元々人の顔を見つめるような事をしないカイトスだが、特にエバンの方をあまり見ようとしていない気がする。それもあって会話も必要最低限しかできていない。


 ‪「あの人は……自分のせいでイルバさんが亡くなったと思って、ずっと自分を責めてる」‬

 ‪「……え?」‬

 ‪「直接の理由はわからないけれど……イルバさんの家族に会わせる顔がなくて、イズールドを避けていたんだと思う」‬

 ‪「戦争中だったんだろ?何が起きてもしかたがないじゃないか。カイトスのせいだけじゃないはずだ……」‬


 ‪力ない声は、ほとんど呟きに近いものになった。‬

 ‪動揺を感じとったリンディは、それ以上掘り下げはしなかった。‬


 ‪「でも私をここまで連れてきてくれたし、息子であるエバンにも……普通に接してたと思うし」‬

 ‪「……そう、だな」‬


 完全に吹っ切れたわけではないのだろう。詳細がわからないため、どう言葉をかけていいのか悩むところだ。

 それでもいつかカイトスが口を開いてくれるのなら、その時自分の思った事を言おう。今のエバンに考えられるのはそれくらいだった。




 *




 ‪翌日になって、エバンら六人はレグルスのいる湖へと出発した。‬

 ‪村のはずれから山を登り、森を抜けた所に泉がある。‬


 ‪「レグルスは……力を貸してくれるだろうか」

 ‬

 ‪いざ登り始めると、ロイルは珍しく弱音を吐いた。‬


 ‪「大丈夫。偽物を消したいって言えば、きっと貸してくれるさ」‬


 ‪振り返りながらエバンが言う。‬

 ‪しかし、順調に足を進めていくうちに、レウナが先頭にいるエバンに声をかけてきた。

 ‬

 ‪「一度休憩しないか」‬


 ‪不思議に思ってレウナの方を見ると、自身の杖にすがり付くように立っているロイルの姿が目に入った。俯き加減で大きく呼吸をしている。

 ‬

 ‪「ロイルさん!?大丈夫なんですか?」‬


 ‪驚いたリンディは様子を見るために駆け寄った。

 ‬

 ‪「ごめん……迷惑をかけてしまうね……」‬

 ‪「みんなここで休憩しよう!」‬


 ‪エバンは仲間に呼びかけた。仲間たちはすぐに応じて周囲を警戒しつつ座り込んだ。‬


 ‪「ここ数日歩き続けたからな……だから無理するなって言ったのに」‬


 ‪木に背を預け、ぐったりと足を投げ出しているロイルの隣に腰をおろしたレウナが言う。‬


 ‪「ごめん。もう少しだって時に……」‬

 ‪「前にも遠出した時に倒れたじゃないか。無理して歩くからだ。あんたは……そんなに頑丈じゃないんだからさ」‬

 ‪「本当に、ごめん」‬

 ‪「いいって。もう謝らないでよ」‬


 ‪レウナはふて腐れたように抱えた膝に顔を埋めた。‬

 ‪ ‬

 ‪「レグルスにまた会えるんだな。なんか懐かしいなぁ……」‬


 一方では別の‪木の根元に片膝を立てて座るカイトスの側にエバンが座っていた。その隣にリンディも膝を折り、ゼノは少し距離をおいて座り込んでいる。

 エバンがかつての風景を思い出し、感慨深げにつぶやくと、カイトスは小さく吐息をついた。

 ‬

 ‪「あの後──おまえたちを送った後は、故郷に顔を出しに行こうと思っていた。十二の頃に出たきり、連絡もしなかったからな」‬

 ‪「……!」‬


 ‪エバンとリンディは顔を見合わせた。カイトスが唐突に口を開いた事もそうだが、何よりその内容に驚いたのだ。‬

 ‪カイトスは、自身の過去を話そうとしている。

 ‬

 ‪「俺の故郷……と言ってもいいのかわからないが、俺を育ててくれた孤児院の様子を見に行くつもりだった」‬


 ‪遠くを見つめながら淡々と話しているその視線の向こうには、おそらく故郷の風景があるのだろう。‬

 ‪エバンは話の邪魔をしないよう、頷きだけで相槌を打った。


 ‪「聞いたかもしれないが、俺は十七の頃にアルタイル兵をやめて傭兵家業を始めた」‬

 ‪「それでリンディを護衛したんだよな」‬

 ‪「あぁ。イズールドに行くのは気が引けたが……世話になった者に会いに行った方がいい、と思った。エンクロウはこの向こうだ。行こうと思えばそのまま足を伸ばせる」‬


 ‪そこでカイトスはエバンの方へ視線を移した。

 真正面から顔を見つめられるのは、昔も含めて初めての事かもしれない。鼓動がどくりと脈打つ。

 ‬

 ‪「それを勧めたのが……イルバ──おまえの父親だ」‬


 ‪エバンは目を見張った。同時に父とカイトスは仲がよかったと聞いた事を思い出した。

 ‬

 ‪「イルバとは……いつかイズールドに行く約束をしていた。それを果たすのが、本人がいなくなってからだとは思わなかったが」‬


 ‪気がつくと仲間たちもカイトスの話に聞き入っていた。何も言わず、ただ静かに見守っている。

 ‬

 ‪「おまえたちを送った後、エンクロウに向かった。しかし孤児院はなかった。経営していた先生も、亡くなっていた」‬

 ‪「そんな……」‬


 ‪悲しげにリンディがつぶやく。


 ‪「俺は自分の給料の一部を寄付してほしいと頼んでいたが、どうやら元々寄付など来たことがなかったらしい。傭兵の主が勝手に自分の物にしていたんだ」‬


 ‪そして、カイトスは俯いて目を閉じた。

 ‬

 ‪「自業自得だった。連絡をした事もなかったからな。気がつけばレグルスの湖にいた。絶望しかなかった俺は、そこで感情にカギをかける事にしたんだ。もうこんな思いをしないために」‬


 ‪視線を戻すと、エバンらはそれぞれ考え込むように口を閉ざしていた。‬


 ‪「後は……ボイドに発見され、カンザに利用された。それだけだ」‬

 ‪「シリウスのカギはかけられなかったんだな」

 ‬

 ‪アルタイルを操っていた銀のカギを思い出しながらエバンが言う。‬


 ‪「レグルスの力があったから無理だったんだろう。紛い物が本物に勝てるはずもない。──俺はシリウスで、その偽女神の居場所を見ている」‬


 ‪その言葉に全員が弾けるように顔を上げた。カイトスは仲間の顔を見つめ返し、頷いた。‬


 ‪「侵入が可能なら案内する事ができる」‬


 その言葉を聞いてゼノが顔を明るくする。


 ‪「だったら砦に入れたら、すぐにシリウスを消滅させれるんだな!」‬

 ‪「砦は容易に侵入できない。まずはそれを考えて……」‬


 ‪カイトスがそこまで言った時、突然近くから悲鳴が上がった。‬

 ‪何事かと声の主を探すと、当人は幼なじみの首にすがり付いて足をばたつかせていた。

 ‬

 ‪「ク、クモ……!クモがぁ……っ!!」‬

 ‪「レ、レウナ……苦しい」‬


 ‪ひいひいと喚くレウナを見て、全員が呆気にとられる。‬


 ‪「……クモだぁ?たっく、驚かせやがって」‬


 ‪ゼノは呆れながら足元に落ちていた枝で、レウナの近くにいた小さなクモを拾い上げた。そしておもむろにレウナに近づく。


 ‪「おまえ、こんなのが怖いのか?」‬


 ‪にやりとしたゼノが、枝から糸を出して下がるクモを見せるとまたも悲鳴が上がる。‬


 ‪「寄るな!き、気持ち悪いからさっさと捨てろ!」‬

 ‪「ゼ、ゼノ……お願いだから遠くにやってくれるかい……?」‬


 ‪首を締め付けられながら、青い顔でロイルが言う。‬

 ‪ゼノはため息をつき、仕方なさそうに枝を木々の中へ放った。‬


 ‪「はぁ〜……びっくりした。あんな近くにいたもんだから」‬


 ‪レウナから解放されたロイルも胸を撫で下ろす。危うく幼なじみに絞め殺される所だった。

 ‬

 ‪「生きた心地がしなかったよ……」‬


 ‪そんなぼやきもレウナには聞こえていない。憤然とゼノに向かって近づいた。


 ‪「あんたね、やっていい事と悪い事があるのは知ってるだろう?」‬

 ‪「別にクモなんかにびびる事ないだろ?魔物には何とも思わないくせに」‬


 ‪見守っていたエバンらも、全くもってその通りだと頷いた。‬誰も口には出さなかったが。

 ‪レウナはそんなゼノの足を蹴飛ばした。

 ‬

 ‪「でっ!何すんだよ!」‬

 ‪「気持ち悪いんだよ!あの姿といい、歩き方といい!……あぁ」‬

 ‪

 おぞましいものを思い出したように、レウナはそう喚いて粟立った腕を擦った。‬


 ‪「誰だって苦手なものはありますよ。わ、私もクモはちょっと……」‬


 ‪庇うようにリンディが口を開いた。‬


 ‪「……体調が大丈夫なら先へ進むぞ」‬


 ‪しばらく様子を見ていたカイトスが、ロイルに向かって淡々と告げる。‬


 ‪「はい。大丈夫です。心配かけてすみません」

 ‬

 ‪カイトスは返事を返さず、真っ先に歩き出した。‬

 ‪その背中を見て、ふとエバンがつぶやく。


 「カイトスの笑顔って……見た事なかったな」

 「言われてみると、そうね……。今は心を取り戻したばかりで気持ちが追いついていないのかも」

 「そうだな……いつか、見れるといいな」


 隣で静かに返事をくれたリンディに頷き返し、エバンは仲間たちの後を追いかけた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る