第3話 槍、走る

 ごくありふれた平凡な家で、それは起こった。


「止めるな!オレは親父を助けに行く!」

「待ちなさい、ゼノ!」


 歯ぎしりをしながら愛用の槍を引っ掴む。


(絶対、シリウスのせいだ。許さねぇ……)


 硬く拳を握りしめると、少年は母の制止も振り切って駆け出した。




 *




 イズールドから草原を渡り、南へ向かうとトラクという町が見えてくる。

 道中現れた小ぶりな魔物を蹴散らして、エバンとリンディの二人は順調にその町へ近づいていた。


「あの町を抜けて東にある橋を越えればアルタイル砦があるんだな」


 トラクはアルタイル砦に一番近い町だという事を、リンディを探しに来ていた兵士達に聞いたのだ。

 その兵士達は、リンディを狙いに来る他の者から村を守ってもらうためにイズールドに残した。

 提案したのはエバンだ。当然彼らは戸惑ったが、それが償いになるのなら、と最後には請け負ってくれた。

 操られていたとはいえ、今さっきまで戦っていた相手を簡単に信用できるのだろうか。そんな兵士の思いを読み取ったのか、少女は「信じてますよ」と微笑んだ。


「砦の見張りにこの短剣を見せれば通してくれるんだよな……」


 エバンは懐から預けられた短剣を取り出してまじまじと見つめてみた。

 飾り気のない質素な品だ。おそらく兵士になった時に支給された物だろう。


「エバンが真っ直ぐだから、私達の事も信じてくれようとしたんだわ。だからその短剣を託したのよ。きっと、大丈夫」


 この幼なじみは不安になりそうな心をいつも支えてくれる。自分は何を返してあげられるだろうか、とエバンは常に気になってしまう。


「ありがとう、リンディ」


 はっきりとした答えが出ないまま、感謝と笑顔を返した。




 やがて草原を抜け、二人はトラクへ踏み入れた。

 村からほとんど出た事のないエバンは、賑やかな町の中を珍しげに見回していた。


「こことリンディの街とどっちが広いんだろうなぁ……」

「ルマイトより?」


 何気ないひとりごとのつもりが、返事が返ってきた事に驚いて旅の同伴者を振り返った。

 リンディは村にいた時と同じ、膝上丈の桃色のワンピースを着ている。足元はふくらはぎまで覆う茶色のロングブーツだ。

 髪は肩にかかるかどうかの長さだが、横髪だけ長く、筒状の髪飾りでまとめ、体の前に垂らしている。

 レグルスのカギを服の中に隠している今、一見愛らしいごく普通の少女にしか見えない。誰も心を読む能力を持っているとは思わないだろう。


「私がルマイトにいたのは十歳までだけど、あんまり街の中を歩き回る事がなかったの。だからはっきりとはわからないけれど、多分ルマイトの方が大きいと思うわ」

「そっか……」


 ルマイトにいた時代を詳しく知らないエバンは、それ以上詮索をやめた。さりげなく話題を変える。


「それにしても、どうしてリンディがイズールドにいる事がわかったんだろうな」

「噂とか、探し回っている人がいたとか……」

「そうか…」


 エバンがうーん、と腕を組みながら唸る。


「誰が狙ってるかわからないからな……気をつけないと」

 ‪

 ‪そう言った直後、後ろから女性の声が耳に飛び込んできた。


「誰かその子を止めてー!!」

 ‪

 頭をひねっていたエバンは気づくのが遅れ、はっとして振り返った時には、眼前に全速力でこちらに向かってくる少年がいた。


「うわっ!?」

「うっ……!」


 避ける余裕もなく、二人はぶつかり合って文字通り大の字に転がった。


「エ、エバン!」


 リンディが不安そうに覗き込むと、エバンは慌てて起き上がり少年に声をかけた。


「悪い、大丈夫か!? 俺、石頭だからさ……!」


 ひとまずエバンがなんともなさそうな事にほっとし、リンディも仰向けのまま倒れている少年の様子をうかがった。

 銀の髪を持つ少年は二人と同じ年頃に見える。


「……気絶してるみたいよ」

「えぇっ!?」


 町の中に素っ頓狂な声が響き渡った。

 ‪‬



「ごめんなさいね。息子が迷惑をかけて……」

「い、いえ……俺の方こそぼーっとしてて」

 ‪‬

 エバンはテーブルの向かい合わせに座る女性に両手と共に首を振った。

 二人は気絶した少年とその母の自宅に招かれていた。少年は相変わらず目を覚さないまま長椅子に横たわっている。


「周りを見ていないあの子が悪いの。少し頭を冷やしてもらわないと……」

 ‪

 ため息をついて息子を見つめる。

 そんな母子の様子を見ていたリンディは、遠慮がちに口を開いた。

 ‪

「やはり、最近噂になっているシリウスと関係が……?」

「えぇ。夫はアルタイル兵なんだけど、シリウス砦へ行ってから連絡をくれなくなって。アルタイルには戻って来てるみたいだけど。息子はそれをシリウスで何かされたせいだと思い込んでいるの。私はただ忙しいだけだと思うんだけど……」

「それでも噂を気にしていますよね。何故一人の少女を追うのか。心を読む能力など本当に存在するのか……」


 エバンは何も言わなかったが、視線を隣に座る幼なじみに向けた。リンディはいつのまにか取り出していたカギにそっと触れていた。


「あるんです、ちゃんと。心を読む能力は。──私がそうだからです」


 目を見開いた少年の母は息を詰め、リンディの姿をまじまじと見つめた。


「それじゃあ、あなたが……ルマイトのリンディ・ラミラ……?」

「はい。今のでわかりましたよね」


 女性は呆然としたまま頷いた。思っていた事をそのまま口にされたのだ。

 そんな女性にリンディは深く頭を下げた。


「すみません。勝手に心を読んでしまって」

「い、いいのよ。おかげで信じる事ができたわ」


 気まずい空気が流れ始めた時だった。


「……うぅ」


 部屋の隅にある長椅子から呻き声が聞こえ、三人の視線が少年に集中した。

 ‪ ‬少年は気怠げな動きで身を起こす。


「やっと起きたわね、ゼノ」


 歩み寄ってきた母の声に答えもせず、銀の短髪の少年──ゼノは見知らぬ二つの顔に不躾な眼差しを向けた。


「誰だ、おまえら?」


 直後、母親の手刀が脳天を直撃する。


「でぇっ!!」

「こらゼノ!あんたが突っ走ったりするから人様にぶつかるのよ!……えっと」


 そこまで言って少年少女の名前を聞いてない事に気づく。

 呆然としていたエバンはゼノの母の視線を察して姿勢を改めた。


「あ、俺はエバン。こっちはリンディ。ごめんな、ぶつかった上に気絶までさせて……」


 軽く頭を下げると、母はゼノに謝罪をうながした。


「いいのよ。ほら、あんたが二人に謝りなさい」

「リンディ……?」


 しかし当の本人は母親の言葉など聞いていなかった。その名前を聞いた途端、元からつり目がちな瞳をさらに鋭くする。


「もしかして、ラミラ家の……?」

「えぇ。そうよ」

 ‪

 リンディが答えると、ゼノは血相を変えて立ち上がった。


「元はと言えばおまえの力のせいで──!!」

「ごめんね」


 間髪入れずの言葉に部屋が静まり返る。


「私のせいで関係ない人達を巻き込んで。お父さんやあなたたちを巻き込んでしまって、ごめんなさい」


 しばし無言が続いた。

 リンディの瞳は真摯な光を浮かべていた。


 ‪「……くそっ」


 やがて絞り出すようにゼノが悪態をついた。それは誰に向けられたものではない。向ける相手は存在していなかった。

 リンディ自身を恨んでも意味のない事だとわかっているのだ。


「えっと、ゼノ……だったよな」


 うなだれた少年にエバンが話しかける。

 ‪

「俺たち、これからアルタイルに乗り込むんだ。よかったら、一緒に来ないか?」

「乗り込むって……一体何をする気なの?」


 エバンの言葉に不穏なものを感じたゼノの母は眉をひそめた。


「リンディを狙う兵士は操られてるんだ。正気に戻すためには、リンディの魔法が必要なんだ」

「操られてるだって……?」


 ゼノが食いついた。

 ここぞとばかりにエバンは身を乗り出す。


「操られている兵士を元に戻せばリンディは追われずに済む。もしかしたら、ゼノの父さんも巻き込まれてる可能性があるから……一緒に行ったら無事を確かめられるだろ?」

「あなたたち、狙われてるんでしょう!? 危険よ、子供達だけで!」

「少し黙ってろよ」


 気色ばんだ母をゼノがすかさず押しとどめた。

 母が口を噤んでいる隙に先を促す。


「砦に入る方法はあるのか?」

「あるさ。だからここまで来たんだ」


 一切の曇りのない瞳を見つめて、ゼノはようやく初めて口角を上げてみせた。


「だったら行ってやろうじゃないか。このゼノ様が」


 エバンは満足して深く頷いた。

 そのゼノの後ろで、鬼神の如く怒りに震える母親の姿は見えていない事にした。


 直後、ゼノに雷が落ちたのは言うまでもない。

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