第20話『思索生知②-シサクセイチ-』

 函南彰子かんなみしょうこと分かれて、西澤顕人にしざわあきと滝田晴臣たきたはるおみは文学部棟最上階の宮紡准教授の部屋の前まで来ていた。

 もしかしたら宮准教授が来ているかもしれない。

 それなら昨日から話を聞いて欲しい。

 何か見逃していることがあるのではないか、何か考えが及んでいないことがあるのではないか。何となくだけど、宮准教授に話せばそれが見つかるような気がした。

 しかしながら、宛は外れた。

 宮准教授は来ていないようで、部屋の扉にはしっかりと施錠されていた。


「いないね」

「あー、そんな予感はしてたんだよお、あの人面倒くさがりだからそもそも土曜日の授業とか受け持ってないよなあ」

 顕人が頭を抱えて扉に頭を押し当てる。こんなことをしても扉が開くはずもない。

 いっそのこと宮准教授を呼び出そうか。

 そんな安直な考えが浮かぶがそろそろ連絡先なんて知らないし、万が一知ってたとしてもわざわざ来てくれるような人ではない。

「これからどうしよっか。取り敢えず午後まで時間潰す?」

「そうだな……」

 顕人は呟きながらまだ扉に頭を押し付けていた。

 函南の話を聞いてから何だかモヤモヤする。


 荒瀬川はそもそも何故『ペッパーハプニング』を起こしたのか。

 通り魔に襲われて大怪我したにも関わらず何故『オープンキャンパス』への参加を決めたのか。

 何か意図があるのだろうが、それがわからない。

 きっと荒瀬川本人に会えば、その本心がわかるのかもしれない。

 そんなことを考えながら、顕人は以前一度だけ会ったときの彼を思い出す。

 室江に対して突っかかる様な態度に小馬鹿にするような口調。


 あの人は、あの時、何を考えていたのだろうか。

 荒瀬川の『顔』がわからない。


 顕人は深く息を吐く。

 その頃だろうか。廊下にヒールが床にぶつかる少し高い靴音が聞こえてきて、顕人はゆっくりと身体を起こした。

 エレベーターの方を見ると、顕人にとって見覚えのない女性が歩いてくる。

 黒い髪をなびかせ、春らしいパステルカラーのワンピースのスカートが揺れる。

 有り体に言えば、凄い美人が歩いて来ていた。

 少しツリ目で気の強そうな雰囲気ではあるが、学内でミス○○みたいな企画をすれば確実に入賞しそうな顔だ。

 化粧も服装もとても気合が入っており、これからデートだと言われればそうなんだろうと納得していまう。

 だけどそんな美人が何故此処に。

 顕人が思わず彼女に見蕩れていると、隣りにいた晴臣は「あれ、小金井こがねい先輩?」と美人に声をかける。

 こんな美人と知り合いなのか?! お前の交友関係どうなってんだ?!

 顕人は思わず目を剥いて晴臣を見るが、晴臣が呟いた名前にはどうにも聞き覚えがある。

 はて、いつだったか。

 考えている間に、『小金井先輩』と呼ばれた美人は二人の元までやってきて不思議そうに首を傾げた。


「滝田くん、今日土曜日だよ? どうしたの?」

「宮センセーに話聞いて欲しかったんですけど、今日はいないみたいで……」

「先生、今日は来るわよ。まだ来てないの? ……いいわ、私が開けてあげる」

 彼女はそう言うと、ショルダーバッグから鍵を取り出す。それは宮准教授の部屋の鍵で、顕人は何故この美人がそんなものを持っているのかと内心慄く。

 晴臣もその行為に特に疑問を持っていないようで「ありがとうございます」と笑うだけだ。

 顕人が呆然を見つめていると、彼女は顕人を一瞥してから晴臣に「文学部のコ?」と訊く。すると晴臣は顕人を指差して口を開く。


「経済学部の二年です、西澤顕人」

「あぁ、最近出入りしてるコか。私は文学部四年の小金井絢こがねいあや、最近就活で学校にあまり来てないけど、よろしくね」

「よろしくお願いします」

 突然こんな美人とお知り合いになってしまった。

 顕人は緊張しながらそう思うが、やはり彼女の名前をいつ聞いたか思い出せない。先程とは別にモヤモヤしていると、まるでそれに気が付いたのか晴臣が小声で「ほら、昨日話になった宮センセーの助手っぽい先輩」と呟く。

 その言葉に、昨日室江と宮准教授と話していたとき、一瞬話題に上がった『先輩』のことを思い出す。


『学内で会う時はフツーっていうか穏やかっていうかそんな感じ。でもこの部屋で会ったらすぐに帰った方が良い。大抵先生にキレ散らかしてるから』


「あ」

 あの准教授相手にキレ散らかす人か。

 晴臣の言葉を思い出して、思わず小金井を見る表情が強張る。室江が『さん』付けで呼んでいたから女性だというのは察していたが、こんな美人だったとは。

 顕人は、そうか先生こんな美人にキレ散らかされているのか、と思ってしまう。

 そんな顕人の表情から、小金井は怪訝そうな顔で「何か、不本意な話がされてた気がするんだけど?」と言うので顕人は思わず首を横に振った。


「小金井先輩、今日はどうしたんですか? 室江先輩は、多分ゴールデンウイーク明けまで此処には来ないって言ってましたけど」

 それに今日は何だがいつもと雰囲気違いますね、と晴臣は首を傾げる。

 そのいつもを知らない顕人はただ二人の会話に耳を傾けるばかり。

 すると小金井はその美しい顔で微笑みながら「今日は可愛い女の子のエスコートなの」と言って宮准教授の部屋の扉を開けてくれた。

 彼女の言葉に顕人と晴臣は顔を見合わせるが、彼女は楽しそうに笑って先に部屋に入るので二人も後に続いた。


 部屋は流石に昨日のままだった。

 流石に一日で散らかすようなことはなかったようだと顕人は安心するが、ふと昨日は事務机の横に積み上がっていた本棚に入りきらなかった本の存在を思い出す。

 昨日はそのことがバレたら大事になると宮准教授が焦っていたが……。

 恐る恐る事務机に視線を向けるが、幸いあの積み上がっていた本はなかった。

 持って帰ったのだろうか。

 会って早々こんな美人がキレ散らかすシーンに出くわさなくて顕人は内心ほっとする。


「コーヒー飲んで待つ?」

 小金井がそう言いながら部屋にある食品棚からカップを取り出す。

「じゃあ水入れてきます」

「そう、お願い」

 顕人は電気ケトルを小金井から受け取ると、部屋の外にある給湯室で水を入れてくる。

 戻ってくると彼女は長机にカップを三つ並べてインスタントコーヒーの入れていた。

 顕人は電気ケトルを台に戻して電源を入れた。


「それで、可愛い女の子のエスコートって言ってましたけど、何ですかそれ」

 晴臣がそう尋ねると、小金井は嬉しそうに笑う。

「昨日突然先生から頼まれたんだけど、ふふ、すっごく可愛いコがもうすぐ来るわよ」

「可愛いコ……」

 小金井の言葉を晴臣は呟く。

 聞いていた顕人はあまり口を挟めずにいたが、内心よくわからなかった。

 何故宮准教授が、その可愛い女の子のエスコートを任せるのか。そもそも宮准教授とその可愛い女の子との繋がりはなんだ。

 わからん……。

 そんなことを考えていると、電気ケトルが鳴る。小金井はその音を聞いて、電気ケトルのお湯をカップに注ぐ。

「滝田くんはミルクと砂糖いるよね」

「どっちもたくさん」

「じゃあお好きにどうぞ?」

 小金井はそう苦笑して、コーヒーホワイトとスティックシュガーがそれぞれ入った容器を晴臣に前へと押し出す。

「えっと、西澤くんは何か入れる?」

「俺もどっちも入れます」

「じゃあ西澤くんもお好きにどうぞ?」

 そう言って晴臣の前に置かれた容器を指す。彼女は特に砂糖もミルクも入れずカップに口を付けた。


「君たちは今日どうしたの? 先生に話したいって言ってたけど」

「色々あって」

「……少し込み入った話です」

「そっか」

 小金井から話題を振ったもの、二人の様子からあまり話したがらない事柄だと察して彼女から会話を打ち切る。

 だけど顕人はふと、小金井は『メモ用紙の主』の可能性がある女子生徒・田村八重子たむらやえこのことを知っているだろうかと不思議に思った。

 この女子生徒についても昨日から謎が深まっている。


 室江は文学部の二年生と証言した。

 だけど晴臣は、文学部の二年生ではないと否定した。

 それなら三年生の可能性があるが、それなら同じ三年生の函南が知ってそうなものだが……。

 四年生なら室江が知っているはずだろうし。

 一体この女子生徒は何者なのか。


 まあ、駄目で元々と言う気持ちで顕人は昨日盗撮した田村八重子の写真を開いたスマートフォンを小金井に向ける。

「小金井先輩、この人知ってますか?」

 やや不鮮明は画像だし、正直答えは期待できなかった。

 だけど。


「……美須々みすずさん?」


 まるで無意識という様子で小金井は呟く。

 初めて聞く名前に、顕人と晴臣は驚いて顔を見合わせる。彼らの反応に、何故か小金井は、しまった、という表情になる。

「えっ、この人、田村八重子さんじゃないんですか?」

 顕人は思わず身を乗り出す。

 小金井は思わず視線を逸らす。

「えっと、ごめんね私の勘違い。その人は田村さんだったかな多分」

 小金井は焦り気味にそう呟く。だけどそれが明らかに嘘であることは二人にもわかる。


「小金井先輩、知ってること教えてください!」

「この人、室江先輩のストーカーじゃないんですか?」

 詰め寄る二人に、小金井はその美しい顔で曇らせていく。だけど顕人が発した『ストーカー』という言葉に顔をしかめる。

「ストーカー? 誰がそう言ったの?」

 彼女の目が釣り上がるのを見て、顕人は震え上がる。

「いえ、そういう話があるって聞いて、俺も昨日見てきたんですけどすっごい熱の籠った視線で室江先輩を見てて……」

「見てただけでしょ? 見てると、ストーカーなの?」

「いえ、えっと」

 小金井が少し強い口調でそう問いかける。その圧を含んだ強い視線に顕人は思わず身じろぐ。

 しかし、これで一つわかった。

 小金井は、この黒髪メガネの女子生徒を知っている。

 しかもこの様子だとそのあたりの事情も知っていそうだ。


「小金井先輩、この人は誰なんですか?」

 小金井の圧に押されている顕人を余所に晴臣は気にせず問いかける。だけど小金井は「知らないわ」と答える。

 そのはっきりした物言いに何か信念のようなものを感じる。これはどう聞いても答えてもらえなさそうだと顕人は既に諦めモードだった。

 だけど晴臣は違った。


「じゃあ、室江先輩に訊いていいですか? 『美須々さん』て人知ってますかって」

 そうあっけらかんと言い放つ。

 その瞬間、絶対話すものかと表情を強ばらせていた小金井の決意が崩れるのがわかった。彼女は顔色を青くして「それは……」と口篭る。

 まるで脅しのようだ。

 でも彼女の反応に『黒髪メガネ女子・田村八重子=美須々さん』であることを室江に知られるのが拙いことなのだと察する。

 だがわからないことばかりだ。


「もしかして、室江先輩は『美須々さん』て名前に思い当たる節があるんですか? でも室江先輩がこの写真見て『田村八重子』だって教えてくたんですよ?」

 顕人は不思議に思って尋ねる。

 何故室江は彼女を『田村八重子』と認識しているのか。

『美須々さん』とは室江にとってどういう人物なのか。

 しかし小金井は降参と言わんばかりに肩をすくめる。


「悪いけど、この人のことは話せないの。お願いだから聞かないで」

「室江先輩の『ストーカー』ではないんですね、この人」

「それは絶対にない。寧ろそっとしといてあげて。もう今年度しか時間がないのよ」

「今年度? それってどういう……」

「お願い、本当に聞かないで。室江くんにもこの話はしないで。本当にお願い」

 小金井は何処か必死にそう呟く。

 それだけ大層な秘密なのか、この『美須々さん』というのは。

 顕人は困惑気味に晴臣を見る。晴臣は肩をすくめて返す。

 とはいえ、事情を知っているなら、いっそのこと小金井に確認しておきたいことがある。そう思って顕人は意気消沈という様子の小金井を見る。


「じゃあこれ以上『美須々さん』については聞きません、その代わり一つ教えてください」

「……何?」

「室江先輩が今学期になってから妙なメモ用紙を受け取ってるの知ってますか?」

「知ってる。ロッカーに挟まってたメモでしょ? でも内容までは知らないわ」

「どれも室江先輩を助けるような内容なんですが、筆跡を偽って差出人を特定させないようにしてました」

「それで?」

「このメモ用紙の差出人が、この人だって可能性はあるんですか?」

 顕人はそう言いながらスマートフォンの画面を小金井に向ける。あの黒髪メガネの彼女の姿が映った画面を。

 小金井は眉間にぐっと皺を寄せ言い表せないほどの渋い顔をすると諦めたように口を開く。


「可能性はあると思うし、そうだったとしても私は驚かない」


 小金井はそうはっきりと言い放つ。

 一つ謎が解決したのか、それとも深まったのか。

 いや、確実に深まった。

『田村八重子』=『美須々さん』という図式ができたが、それがどうした。

 やはり彼女がメモ用紙の主なのか。

 何だか余計に面倒なことになっている気がして顕人は少し気が遠くなった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る