第32話 今日も、よろしくお願いします

 風香姉の喫茶店で昼飯を食べたあと、俺と加奈はバイト先である『まさやんの本屋さん』に戻った。

 午後もまた2人で、お客さんの対応やレジ打ち、本棚の補充、整理などが待っている。

 午前のときは互いにぎこちなくて、仕事のミスが多かったのだが、


「あっ、本棚のいちばん上かぁ……、届くかな……」

「はい、加奈。踏み台」

「あっ、ありがとっ。ごめんねっ」

「あぁ、良いって。ちょっと低めのやつだけど、届きそう?」

「うん大丈夫、探してた本取れそう」

「そっか、ならよかった」


 加奈の困ったときに、俺は上手くフォローできたり、また逆もしかりで、


「あっ、おつりの小銭が……、5円きらしたか……。えっと……」

「はい、太一くん。えっと、5円玉の束ね」

「おっ、助かる。よく分かったな」

「ん? ふふっ、だって自分で言ってたよ?」

「あれ? そうだっけ? あはは、無意識だな……。いやでもありがとっ」

「うん、どういたしまして」


 午後は上手く仕事が回っていた。そのおかげなのか、互いに仕事以外の話題もできたし。


「風香お姉ちゃんの料理って美味しいよね」

「まあ、そうだな。何注文してもさ、どれも美味いよ」

「うんうん。今日食べたオムライスもそうだった。あのふわとろ感がすっごっく良くて。思い出したら明日も頼みたいなぁ……、でも違うのも食べてみたいし……」

「じゃあオムライスと、もう1品頼んで食べたら良いんじゃないか?」

「えっ? う〜ん、でも食べきれないよ、そんなに」

「ほ〜う? でも今日はオムライスと、玉子サンドを食べてましたけど?」

「えっ!? あっ、あれは太一くんとシェアしてたからでしょ。わ、私、一切れしか食べてないもん」

「あれ? 二切れじゃなかったか?」

「ど、どっちもそんなに変わらないでしょ。そこツッコむとこではありませんっ」

「え〜? そうかぁ?」

「も、もう! そうなのっ」


 とまあ、割と自然体な感じで、楽しくしゃべれてたと思う。

 はあ〜、午前もこんな軽い感じで加奈と過ごしたかった…………。いやでも無理ないか。俺が朝にいきなり加奈を迎えに行ってしまったからさ。お互いに変に緊張してしまって……。それに、


『わ、私のこと……、し、心配してくれて……、ありがと』


 顔を赤くしながら、すごく恥じらいながら、言われてしまったから……。

 嬉しいような……、恥ずかしいような……。判断のつかない感情が、午前中はずっと俺の心の中で尾を引いていたから……、無理もない。


「あっ」


 ふと、小さな声音。加奈が何かに気付いたよような感じだった。


「どうした?」

「あっ、ううん。その、あ、あの……、ね、もうすぐ、時間だなって」


 えっ? 時間? 


「と、時計の針がね。そ、その」


 そう言われて、壁にかけてある時計を見た。

はっとした。時刻はもうすぐ閉店を知らせようとしていたからだ。


「そ、そっか。もうそんな時間か」

「う、うん」


 そして沈黙。うっ、だ黙ってる場合じゃない。えっと、そ、そうだ、い、言わないと、今日も家まで送ると。だが、今さっきまで思い出していた淡い感情が邪魔をして、口が思うように開かない。


「あ、あの太一くん」

「おっ!? おう?」


 加奈が先に口を開いた。俺が変に戸惑っていると、口元をソワソワさせながら、そっと伝えてくれた。


「きょ、今日も……、い、いいの?」


その言葉の意味を、俺は瞬時に理解できた。


「えっ? あっ、お、おう! そりゃあもちろん」


 だって俺は、加奈が心配だから。


「そっ、そっか……」

 

 ふと、加奈が戸惑った様子を見せた。えっ!? も、もしかして、嫌という意志表示……?

 だが、加奈は俺の顔を見ると、大きくかぶりをふった。


「そ、そうじゃないの! あ、あのね。今日、来なかったから」

「えっ……? 来なかった?」

「う、うん。その、不審者さん」

「あっ」


 加奈にそう言われてハッとした。そうなのだ、今日は昨日と違って、不審者が現れなかったんだ。そのおかげもあって、午後からのバイトがスムーズにいったってのもある。

 たく、加奈の送り迎えを毎日する、と決意したってのに、なんでこないんだよ。ん? って、違う違う!! 来なくて良かったんだよ!


「あ、あの、だからね、無理して送らなくてもいいよ」

「えっ!? あっ、いや、でも……、そ、そういうわけにはいかない」


 だって、ずっとこれから、送り迎えするときめたから。それに、風香姉とも約束したし。


「そ、そっか」

「お、おう」

「でも、それだと毎日ね、太一くん、帰り遅くなっちゃうよ?」

「まあ、そうだなあ」

「…………、ねぇ」

「ん?」


 なんだ? 何か言いたげーーー


「私、太一くんのお母さんに電話したほうがいい?」

「いきなりどういうことだ!?」


 な、なんで加奈が俺の母さんにで、電話をする!? あ、あれか、自己紹介!? 小学生のころ仲の良かった加奈です、覚えてますか、みたいな。って、いやいや!? 何だそれ! 唐突すぎて俺の母さんが戸惑うだけだろ!! まったく意味がわからん!!


 突然の発言に俺は大慌てだった。だが、加奈は何も臆することなく言い放つ。


「だってね! 私のために家まで送ってくれているんだもん。もし太一くんがお母さんに、遅く帰ってくるのを怒られたりしたら、私つらいし」


 あっ……、そ、そういうこと!? なんだ、そういうことなら納得……、いやいや、ダメだろ!? お、俺が恥ずかしすぎる!! 毎日女子を送り迎えしてるとか、母さんに知られたくないから!!


「だから毎日の帰りが遅い理由、きちんと説明してあげる」

「や、やめてくれ! い、良いってそんなの!」

「えっ? でも……」

「お、俺の親は帰りが遅くなるの全然気にしないから! ま、まじでやめてくれ!」


「う〜ん……、そう……。そっかぁ」


 加奈はどこか納得してない感じだが、ここはゆずれない。超恥ずかしいことになるから、俺が。絶対に。


「…………、た、太一くん」

「おっ!? おう!?」


  ふと小さな声で呼ばれた。なのに俺はすごく慌てて反応してしまった。だってしょうがないだろ、加奈が、頬を赤くしながら、両耳まで染まっていて。

 薄い桜色の、艶のある小さな口元が恥ずかしげに言うんだ。


「きょ、今日も、よ、よろしくお願いします……」


 って、すごく恥じらいながら。


 嬉しいような……、恥ずかしいような……。判断のつかない感情が、また俺の心の中で湧き上がってきて……。そんな状態じゃ、まともに返事するなんて……、無理もないだろ?


俺は、「お、おう……」と、小さく返事をするのが精一杯だった。


 そこからはまた互いに緊張して、会話の探り合いで……。なんとも言えないもどかしさ抱えながら、俺と加奈は『まさやんの本屋さん』を閉めた後、商店街を昨日の通りに歩き、あまり弾んだ会話も交わさぬまま駅まで向かった。


 そして、加奈の自宅マンションの最寄り駅に降り立った。

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