第29話 照れと照れ

 俺に声をかけられた加奈は、目を見開き、驚いた表情をしていた。少し身をすくませ、じっと俺の様子をうかがっている。


なんでここにいるの?


 そわそわしている小さな口元が、そう言いたそうだと思った。それに、も、もしかしてこ、恐がらせてしまったか?


「…………」

「…………」


 俺達は遊歩道で向かい合ったまま、立ち尽していた。


 ゴクリ。


 や、やばい。焦りで喉が鳴る。俺がなんでここにいるのか、は、早く説明しないといけない。

 

「き、昨日さ!」


 俺の声に反応して、加奈の両肩が小さく跳ねた。いっそう見開いた瞳で、じっーと見つめられる。これから何を言うのか、興味深々といった感じだった。そんなに注目されると話づらい……。でも、伝えなきゃ。


「俺らのバイト先に、へ、変な格好した不審者が来ただろ?」

「あっ、う、うん。その……、サングラスとマスクしてた人だよね?」

「そ、そうそう! 店じまいした後もうろついてたから、俺、加奈と一緒に、帰ってさ」


『加奈が無事に帰宅できるように』


 そんなニュアンスを含めて言うと、加奈が小さく呟いてくれた。


「う、うん……。き、昨日は、あ、ありがと」


 そう言った後、少し俯いた。口元を少しだけキュッと引き締めていて、細身の体がどこか落ちつきなく揺れている。なんだか照れている感じに見えるのは、俺の気のせいだろうか。というか、そんな風にされると、こっちも恥ずかしくて、こ、困る。


「あっ、ああ。良いってそんな、気にしなくてもさ」


 気を引き締める。お、男として当たり前のことだろ。女の子の身の安全を守るといいますか。だ、だから、加奈を家まで送ったのは普通のことなんだ。幼馴染だからとか、可愛いからとか、そんな余計なこと、意識しなくていいんだ。だから、


「そ、それでさ、きょ、今日は、その……」


 今の俺の行動も普通のことのはずなんだ。


『迎えに来たよ』


 あとは、その一言だけで良いのに。


 口が思うように動かない。喉元に言葉がこびりついているみたいで、もどかしい。 


「た、太一くん?」


 加奈の優し気に問いかけるような声に、俺の鼓動が高鳴る。な、なにしてんだ俺は。い、言え。こ、ここまで行動していて、今さら何を恥ずかしがってんだよ。

 

「む、む、む、か、え……に」

「ええっ? な、なに?」


 俺のか細い声は、街路樹にとまっているセミ達の大合唱にかき消されていたらしい。加奈が、聞きたそうな顔付きをして、俺に近づいてくる。一歩、一歩、ゆっくりと。そのたびに、俺の全身が変に強ばってしまう。すごく緊張していく様子が、自分でも分かった。


「あっ、えっと、そ、その……」


 俺は、頼りない声を出すばかりだった。加奈を目の前にして、俺は何してんだ。これじゃあ、加奈を不安にさせてしまう。


 でも、加奈の顔付きは、そんなことはなかった。真っ直ぐな瞳で俺を見つめていた。口元はどこか優し気で。えっと、ど、どうしたんだろ?

 

 俺が不思議に思ったときだった。


 加奈がふっと、視線を下に落とした。でもすぐにわずかだけ上げた。上目遣い気味に、遠慮がちに、でもどこか弾んだ嬉しそうな声音で、俺に告げた。


「む、迎えに来てくれたんだよねっ?」


「つっ!?」


 思わず、何とも言えない声がでてしまった。だって、俺が言いたいこと、言われてしまったから。加奈に、バレていたから。いや、そもそも、俺と会ったとき、気付いていたんだと思う。少し考えれば、すぐ分かることだよな。うぅ……、は、恥ずかし過ぎる。


 体が熱い。


 夏の気温のせいでもない。


 街路樹の隙間から降り注ぐ、陽射しのせいでもない。


 ただただ、自分の内の恥ずかしさに、悶える。


「ね、ねえっ、太一くん」

「お!? おう!?」

「え、駅……! い、一緒に、行こ」

「あっ! そ、そうだな! わ、わかった……」


 加奈が少しだけ、半歩ほど前を行く。俺は、どこか付いて行くような感じだった。な、情けないな、お、俺。ふっと、加奈が俺の方に体を向けた。


「い、いつから、ここにいたの?」

「えぇっ!? あ、いや、その……、つい、さっきかな……」


『1時間前からいた』なんて言ったら、加奈に引かれると思った。


「ふ~ん……」


 加奈が訝し気な視線を向けた。な、何でしょう?


「それ、嘘でしょ」

「なっ!?」


 どうしてそう思う!?


「だって、汗すごくかいてる。ほら、Tシャツ」


 そう言って、加奈が手を伸ばした。そっと、俺の背に触れて。ほんのり温かな温度とともに、その部分だけ水に濡れたような冷たさを感じた。あっ、俺こんなに汗かいてたのか。


「長い時間、外にいないと、こうならないよね?」


 あははっ……、もう変に隠すのは無理か。


「ご、ごめん。ほんとは、1時間前からいた」

「え!? そ、そんなに!?」


 加奈が驚く。

 ま、まずい!! い、いやだって、これには訳がある! だ、だってさ、昨日きた不審者がいつ来るかわからないし、それだったら、朝早くに居とかないとダメだなって思うだろ!?


「ねえ、太一くん」

「つっ!? は、はい!?」


 加奈が、なにやら思案顔で、聞いてきた。


「まさか……、太一くん、不審者の正体?」

「なっ!? いやいやいや!?!? ち、違うだろ!? なに言ってんだ!? 昨日、不審者が店にきたとき、俺いただろ!? 違うって!!」


 俺は1人しかいない! 本物は俺だけだ!! って、なに考えてんだ!? あ、あほか俺は!?

 

「ぷふっ、ふふっ、うん、そんなのわかってるよ」


 あっ、加奈がすごく笑ってる。こ、これって、


「お、おい。もしかして、か、からかったな」

「あっ、えっと、そうっだったらどうする?」


 いや、どうするっていわれても……。


「ふふっ、そんなに困らなくていいのに。怒っていいとこだよ。ふふっ」


 いや、まあ、そう言われても、困る。だってさ、加奈がすごく楽しそうだし。

 

 いつの間にか、俺の体はほぐれていた。緊張感は抜けていて。


 なんだか柔らかな空気感が、心地よくて。あ、もしかして加奈、俺のこと気にかけて、


「ね、ねえ、太一くん?」


 ふと加奈が、遠慮気味に尋ねた。


「ん? どうした?」


 なんか急にしおらしくなっていた。頬がなぜか赤みを帯びていて、両手を前に組んで、少し肩を寄せながら、淡くて薄い桜色の口元が開いた。


「わ、私のこと……、し、心配してくれて……、ありがと」


 そう言った瞬間、耳を真っ赤にして。頬も赤みが差して。リンゴのように。


 そ、そんな、顔を赤くしながらいわれると、こ、困るって。


「そ、そんな、そんなこと……、あ、あははっ……」


 そのあと、俺らは無言のまま、でも歩調を合わせて、隣に並びながら駅に行き、商店街の最寄り駅でおりた。

 そのあとも無言で歩いていた。いやもう、どう声をかけていいか分らなくて。ただただ、自分の激しい鼓動に耐えるのに精一杯だったから。

 賑わう商店街を黙々と歩き、そのまま俺達は、バイト先である『まさやんの本屋さん』に辿り着いたのだった。


 この日の午前、俺と加奈は仕事が手につかず……。

 互いに仕事のミスが多発していたのはいうまでもない。


 午前はあっという間にすぎ、俺と加奈は昼食をとるため、またぎこちない足取りで、風香姉の喫茶店に向かったのだった。

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