第20話 友人の勘違い

 店内のバックヤード。薄暗い空間のなか、俺と加奈の少し荒い息遣いが響いていた。ちょっと動いただけでも疲労が大きい。まあお互い、店内にいる謎の不審者にビビっていたわけだし無理もない。だから不審者の威圧的な視線から逃れたほうが良いと思ったんだ。気持ちを落ち着かせるために。そして……、加奈の不安な思いを和らげてあげたかった。


「加奈」

「はいっ……!?」


 俺が小声で呼ぶと、加奈がビックリした。うん、そうすぐには落ち着けないよな。俺だって、ずっと店内にいる不審者が気になって仕方がない。いやいや……、今はそんなこと、気にするな。

 俺は出来る限り優しい笑みを作った。すると加奈が目を丸くする。薄暗いバックヤード内で、俺は加奈に見つめられてしまった。瞳に焼き付けてるんじゃないかと思えるくらいに、じーっと。表情は不思議そうで、俺の内心に興味ありげな面持ち。つっ、は、恥ずかしい。も、もし、電気付けてたら、俺はきっと加奈の顔を直視できてない。柄でもないことは、するもんじゃないな。きっと、今の俺はぎこちない笑み。でも、それで、いいんだ。加奈の不安な気持ちが、少しでも取れるなら。


「も、もう、大丈夫だから」 

「えっ……? だ、大丈夫?」


 鈴の音のような小さく愛らしい声に、俺は「ああっ」と相槌を打つ。


「ほら、さっき店内にいた不審者にもう見られることないから。とりあえずだけど……さ」

「あ……、あっ! そ、そっか、そうだねっ」

「おう、……だから、その、もう、怖がらなくても、大丈夫だよ」

 

『大丈夫だよ』に、自分なりの精一杯の力強さを込めて。少し口調が硬くなったけど、加奈に安心感みたいなのが伝わっているだろうか……。


「「…………」」


 急に空気が静かになる。互いに顔を見合せているだけだった。ほんの数分のこと。でもすごく長い感覚に、緊張してしまう。俺の喉がコクリと鳴った、と同時だった。 加奈の、薄い唇が開く。


「……うんっ」


 物静かで、短い返事だった。でも嬉しそうで、どこか温かな声音。じんわりと感じられるくらいに。


 あぁ、よかった。安心してくれて。

 

 つい、俺の目線は加奈の小さな顔に向いてしまう。柔らかな微笑みが、愛らしい。白い頬は、口元の笑みで少し張りのあるふっくらとした感じで。触れたらきっと、柔らかそう。

 すると、加奈の笑みが急に固くなりだした。口元が何かを堪えるかのように少しキュッとなったかと思うと、視線を外された。俯き加減になって、どこかそわそわしている。そのせわしなさが、視覚だけでなく、でも感じられるほどに。どうしたんだ? ……あっ。俺、加奈のことじっと見過ぎてたか。そりゃあ、決まづいよな。あははっ……、それに、頬が柔らかそうとか、へ、変なこと考えてたし。

 薄暗いバックヤード内で、俺は反省する。なんか暗いせいか、余計に気がめいる。うん、まずは電気をつけよう。


 電気のスイッチに手を伸ばそうとした。でも、すごく違和感。


「ん?」


 なんか、右手が重い?


グイッと持ち上げたら、なぜか加奈の細身の右手が持ち上がった。


「ひゃっ……!」


 加奈の驚いた声を耳にしながら、思考がフリーズする。そして、一気に動き出す。……俺、加奈の右手、握ってる……!? 

 加奈の右手としっかり握手している俺。なっ、なんで!?  あっ! そ、そうか! 俺、バックヤード入る時、加奈の手を強く握って……。


 そんなことを思っていると、加奈が少し上目遣いで俺を見た。恥ずかし気に、遠慮がちに。薄暗いバックヤード内でも分かる白い頬は、何だか赤みが増している気がした。と、とりあえず、あ、謝るか!?


「えっと、か、加奈!? そ、そのこ、これは、ご、ご、ごめ―――」


 口ごもっている情けない俺に、加奈が慌てて声を発した。


「い、いいの!! そ、その、わ、私がほら! さ、最初に握っちゃったから!! き、気にしないで!!」

「へっ!? そ、そうだっけ!?」

「う、うん!! ほ、ほら、た、太一君が店内でこけたときだよっ!」

「こけたとき!? ……、あっ、ああ!!」


 そういや俺、店内にいる不審者を捕まえようとして、椅子から立ち上がるとき加奈に声かけられて、ビックリして盛大にこけたんだった。それで、加奈に手を差し伸べられて。俺は加奈の求められるままに手を伸ばした。

そしたら加奈が、俺の手を―――、きゅっと、握ってくれて。

 視線が握っている手にいってしまう。今もずっと繋いだままの両手。俺の手のひらに伝わる温かい体温や、なんだか柔らかな感触。過敏に反応しだした感覚に、戸惑いを隠しきれない。鼓動が体全体を揺らしてくる。ど、どうする!? は、離せばいいよな……!?  ふ、普通そうだよな!? う、うしっ! は、離すぞ!! 離すんだっ……!


 でも、緊張で強ばった右手が言うことをきかない。主の必死の命令を無視するかのように、俺の右手は、頑なに加奈の手をつないだままで。あっ―――。


 加奈と目が合った。丸くて愛らしい瞳に、見つめられる。せわしなく瞬きをする仕草や、何か言いたげでも言えない、微かに震える薄い唇が、俺の焦燥感をより掻き立てる。

  

 き、きまづい……!! は、恥ずかしい……っ。えっと、ち、違うんだ。ずっと繋いでるのは、故意ではくて……!? 


「あっ、こ、これは、そ、その―――」

「ねっ、ねえ! 太一くんっ!」

「いいっ!? は、はいっ!?」

「こ、これから! ど、どうしよっか!?」

「えっ!? ど、どうしよっかって、な、なにを!?」

「ほ、ほら! ふ、不審者さん! こ、このまま、ほっとくのは、ま、まずいと思うから!」


あっ、そういうことか!  手を繋いでることにテンパりすぎて、忘れてた。冷静に不審者への対応を考えたいが、中々心が落ち着かない。時間がほしい……。バックヤード内なら、不審者も入って来ないか。


「えっと……、か、加奈!」

「う、うん!? な、なに?」

「そ、その、もう少し、ここで落ちついてから考え―――」


「太一~! ここにいんのかぁー」


「「わわわっ!?!?」」


 いきなりバックヤード内に響いた元気な声に、2人してビックリしてしまった。だ、誰だ!? ま、まさか不審者が中に入ってきた!?

 慌てて声のしたほうに振り向いた。そこにいた人物に思わず目が見開く。なっ、なんでここに、裕介ゆうすけがいる!? 俺の友人である風間裕介かざまゆうすけが、バックヤードのドアを開けて半身をのぞかせていた。


「おっ! やっぱここにいたのか! いぇ~い、遊びにきたぜっ」

「は、はあっ!?!?」


 俺の拒否を含んだ驚きに、裕介が口を尖らした。


「おいおい~、ちょっと冷たくねっ? お前がバイト中、遊びに行くって言ってたじゃん」


 そう言いながら、こちらに歩み寄ってくる裕介。ま、まずい!! 


「ちょ、ちょっと待て!! こっち、来んなっ!!」

「おいおい、そんな拒むことかよ~。んっ……? あれ? 太一、誰かと一緒……、ななっ!?!?」

 

 薄暗いバックヤード内でもはっきり分るくらい、裕介の目が見開く。俺の額から、嫌な汗がどっと噴き出し始める。か、加奈のこと、見られた……!! 


「お、おまっ、ちょ、じょ、女子と2人っきり!? てか!?  手ッ!! 手ッ!!」

 

  裕介がそんな事を言いながら指さしてきた。俺と加奈の、互いに繋いだままの両手を、だ。俺は、慌てて口を開く。


「いやっ、ゆ、裕介、そのだなっ! こ、これには理由があってだなっ!」

「き、聞きたくない!! てか、理由なんて一つしかねえだろうがっ!! か、彼女ってことだろ!? その娘!! だから手とか繋いだりしてたんだろ!?」


「「はいぃ!?」」


 俺と加奈は、同時に驚きの声を上げてしまった。こ、こいつ、加奈を前にして、何言ってやがる!?

 俺は慌てて弁解した。


「ち、違うから!! か、彼女とか、そ、そういうのじゃない!」

「んなわけあるか!! じゃあ、な、なんで、その娘と手を繋いでるんだよ!」

「そ、それは―――、あっ!」


 店内にいる不審者のせい、と言いかけたとき、視界に映ってしまった。裕介の後ろ、バックヤードのドアから半身をだし、こちらをねめつけるように見ている、不審者を。


「あ、あれのせいなんだっ!」


 俺は思わず叫んだ。裕介が顔をしかめる。


「なんだよ! あれって!」

「いやだから、う、後ろっ! 後ろ見ろ!!」

「はあっ!? いきなり何言いだすんだ?」


 そう言って、中々後ろを振り返らない裕介。その隙に、不審者が慌てて半身を引っ込めた。あっ! くそっ!! 逃がすかっ!! 

 俺は慌てて駆け出した。


「きゃっ!」

「あっ! ご、ごめん加奈!」


 しまった、手まだ握ったままだった。慌てて離した。そして、裕介を横に押しのけて、バックヤードのドアへ。そして、店内に戻った。だが―――、


「い、いねぇ……、くっ!」


 逃げられたことに、いら立ちが込み上げてくる。


「おいおい、なんなんだよ、いきなり」


 裕介が、少し遅れて店内に戻ってきた。俺はつい、文句を言った。


「たく……、お前のせいだからな……」

「なっ!? うぅ……、ひ、ひどい……、か、彼女といちゃついてるの、じゃ、邪魔したからって、こんな仕打ちあんまりだ……」

「か、彼女じゃないって、つってんだろ!?」

「そんなウソ信じるかっ!! 太一のバカァ!! この色男野郎!! すけべっ!!  うわぁぁぁん!!」

「あっ! お、おい、裕介!?」


 何故か裕介が捨て台詞的なことを言って、走って店から出ていってしまった。俺はただ、茫然とすることしか出来なくて。

 

「…………、た、太一くん」

「いいっ!? か、加奈!?」


 背中越しに聞こえた声の方へ振り向くと、少しそわそわしている加奈がいた。薄い唇がそっと開く。


「えっと、こ、これから、ど、どうしよっか?」

「……………」


 困惑気味の加奈の顔を見つめながら、俺は思った。

 それは、俺も聞きたいよ……。


 そう思いつつも、とりあえず俺は、スマホを取り出した。そして裕介に『とりあえず戻ってこい』と連絡をしたのだった。 

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