ガブリエラと死の舞踏(4)

 シシクは扉を閉めると同時に、腰の辺りに衝撃を感じた。だが彼は一切ビクともせず、犯人の頭を撫でる。

「どうした、ガブリエラ?」

 視線を下げれば、ガブリエラが彼の腰に腕を回し、顔を埋めていた。シシクの問いに答えることはなく、ただじっとしている。大きく開いた身長差の所為で半ばぶら下がるようなかたちになってしまっているが、その両腕はしっかりと彼を捕らえて離さない。

 何かあったのだろうか。

 ふとした違和感を覚えたシシクが口を開く前に、ガブリエラは顔を上げてにっこり微笑んで見せる。

「なんでもなーい。吃驚した?」

「ん、ちょっとだけ。機嫌は直ったのか?」

「パパがいなくなったからもう平気よ」

 つくづく嫌われるエドワードに、シシクは心の中で合掌する。難しい年頃の娘とはいえ、顔を合わせる度にこんな態度では堪えるというものだ。

「それより、これを見て」

 ガブリエラはシシクから離れると、ベッドの下に潜り込み、何やら取り出した。服が擦れると嘆くシシクを他所に、彼女が広げたのはロンドンの地図だった。その一箇所にメモが二枚貼り付けられている。

「取り調べの時に聞いたの。前にもあの墓場で死体が見つかったって」

「俺も聞いた。確か、浮浪者だったとか。身元不明で処理されたらしい」

 本当はその件についても冤罪を負わされそうになったのシシクだったが、これまた黙っておく。口を滑らせれば、父親と同じく取り乱しかねないからだ。

「そうだわ、シシク。昨日までの新聞はまだ捨ててないかしら? 今日のも読ませて。被害者の顔や名前が分かると良いのだけれど……」

「三月前……確か、一八六〇年の四月一日から残してある。探偵ごっこでもするのか?」

「気になって仕方ないの。……何故かはわからないのだけど」

 自分自身で不思議がるガブリエラ。彼女の興味は底のない壺のように尽きないのだ。その身が危険に晒されないようにするのが自分の責務であり、忠義だとシシクは腹を据える。

「それにしても、骸骨に攫われて殺されたのは身分違いの人間たちか……まるで、死の舞踏だな」

「死の舞踏?」

「何百年も前に黒死病が流行ったのはお勉強しただろう、ガブリエラ?」

覗き込むように問うシシクの目は妙に優しい。少女の反応が手に取るようにわかるからだ。

「うう……、歴史は得意じゃないの」

「それじゃ、教材が必要だ。ついでに新聞も取りに行こう」

 シシクの提案にガブリエラは心を弾ませながら頷いた。

 暫くして、自室に戻ってきたガブリエラは苦々しい顔つきになる。目の前でシシクが捲っているのは黒死病に関する歴史書。紙面に綴られた厳かな文字の羅列に頭が痛くなってくるようだ。

「あった。これだ」

 彼が指差して見せたのは、見開きで刷られた挿絵だった。複数の人間が骸骨と踊りながら冥界に誘われている様子が描かれている。その人々は、老若男女、身分もバラバラだった。よろけながらも骸骨のステップに合わせている教皇の隣では、乞食が別の骸骨に抱きかかえられている。

「まったく、あれが収まるまで毎日が地獄絵図だったな」

 何処か遠い目をしながら、シシクは口々に語り出す。

「今だって流行ることがあるが……あの頃の猛威と比べたら可愛いもんさ。検疫も行われたが止められないし、そうしているうちに皆、黒くなっていく。病に蝕まれていくのが見えるのさ。それが怖くて逃れようと船を出したところで、何処に行けばいい? 罹らなかったのは奇跡としか言いようがないな」

「へぇ、シシクったらお話も上手ね。まるで、本当に見てきたみたい!」

感心するガブリエラに、シシクの眉がピクリと動く。

「そうだろ、記録を述べただけじゃつまらないからな。何の本だか忘れたが、当時の状況が生々しく描かれていた」

 彼は首元を掻きながら何処かを見つめていたが、すぐに止めた。思い出すのを諦めたのだろうか、とガブリエラは腕組みする彼を見つめる。

「シシクは読書家ね。御本も新聞もよく読んでるもの」

「あくまで言語習得のためだ。ガブリエラも少しは嗜んだら、単語のひとつは覚えられるんじゃないのか?」

「嫌よ、わたし活字は嫌いなの!」

「それは腰に手を当てて笑顔で言うことかな〜……」

 不意にノック音がし、ガブリエラは返事をした。入って来たのはメイドの一人。鋭く無愛想な眼差しが特徴的だ。しかも、シシクの姿を見つけた途端その眉間がグッと狭まった。

「あら、ごきげんようジェーン」

 にこやかに挨拶をするガブリエラとは打って変わり、メイドは表情を変えることがない。

「ごきげんよう、ではございませんお嬢様。またこの男を入り浸らせているのですか?」

 腕を伸ばし、シシクに指を突き付けるメイド。それに対しシシクはただ笑みを浮かべるだけだ。

「良いのか、ジェーン。お嬢様の前でそんな態度を取るとは」

「そちらこそ口を慎みなさい、サクラマ。それに、気安く名前で呼ばないで。貴方と私はお友達ではないのよ」

一方的に火花を飛ばす彼女に、今度はガブリエラが諭した。

「私が招いたのよ、ジェーン。それにシシクは兄代わりなの。この家に来た時に教えて貰ったでしょう?」

 ジェーンは二年前に雇われたハウスメイドであり、クロフォード家では一番の若手だ。愛想は兎も角、業務を粛々と完璧にこなす彼女の実力はマリアやエドワードの執事も認めるほどだった。

「ですが……」

 納得いかないという顔だ。年頃の娘に婚約者でもない男が付き添っていることは、彼女にとって宜しくないようだ。その考えは間違っていないとシシクも思う。何しろ、ガブリエラは主人であり妹のような存在なのだ。この先も変わる事はないだろうと、彼は誓っている。

「それで、どうかしたの?」

「ああ、そうでした。お伝えしたいことが。先程、マクナイト様がいらっしゃいました」

「マクナイトって……ジェイクおじさま⁉」

 パッと目を輝かせるガブリエラ。それとは対照的に、ジェーンは眉ひとつ動かさず頷く。先程エドワードが言っていた来客とは、どうやらマクナイトのことらしい。

「なんでも、ヒノモトから帰国されたばかりだとか。早くお会いになった方がよろしいのでは」

「うん、すぐに!」

 飛び跳ねるようにドアへと向かったガブリエラ。だがあることに気づき、「ああ、待って」とジェーンにしがみつく。

「この恰好じゃダメよ。お寝坊さんだと思われるし……お願い、ジェーン。手伝って」

「かしこまりました」

 メイドによって、部屋の奥にある扉が開かれる。そこはガブリエラの衣装部屋につながっており、彩り豊かなドレスやスカートが収められていた。

 その奥に進む二人のやり取りを聴きつつも、シシクはそっと寝室を後にした。

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