第2話 二度目の入学式 - 02 -


 ヴィンス・・・・の死因を、オリアナは知らない。


 誰に刺されたわけでも、炎に焼かれたわけでもない。

 ヴィンスは、気づいたら死んでいた。


 ラーゲン魔法学校での一大イベントである、春の中月しがつに行われる舞踏会。その舞踏会が終わって、すぐのこと。


 ――その日、二人はお気に入りの談話室で待ち合わせをしていた。


 ラーゲン魔法学校にいくつも点在する談話室。生徒同士の憩いの場に使われたり、週末にサロンを開いたり、部活のミーティングに使われているその部屋は、自由に出入りが可能で、生徒の采配で好きに使うことができる。


 ヴィンスとオリアナのお気に入りは、東棟の隅っこにある小さな談話室だった。東棟は教室の特性上、授業の時間外は人通りが少なくなる。


 そんな中で、長年使われていなかった談話室は、忘れられた存在だったようだ。

 誰にも邪魔をされない、二人だけの秘密の場所。


 その日オリアナは、教師から言いつけられた用事を済ませていたため、ヴィンスと待ち合わせをしていた談話室に辿り着くのが、約束の時間から少し遅れてしまった。廊下を走るオリアナの影が、外で轟く雷に照らされては、影を濃くする。


 通い慣れた道を行き、オリアナは談話室に足を踏み入れた。

 その日も当然のように、ヴィンス一人が談話室で待っていた。


「ごめんね。待たせちゃって」


 ヴィンスは、暖炉のそばでゆったりと一人がけのソファに座っていた。遅れてくるオリアナのために、先に火を入れてくれていたのだろう。暖炉ではパチパチと火の粉が踊っていた。

 ヴィンスはソファで瞳を閉じて、穏やかな表情をしている。


「眠っているの? 疲れちゃった?」

 オリアナはヴィンスの足元に座り、そっと膝に手を置いた。そのまま頬を寄せようとして……なんだかおかしいことに気づく。

 ズボン越しでもわかるほど、ヴィンスの体はひんやりと冷たかった。


「……ヴィンス?」


 何かが起きている。オリアナはすぐにヴィンスの頬を触った。


 その頬は、人間とは思えないほどに冷たかった。


「ヴィンス……ヴィンス!?」


 オリアナはヴィンスの頬を優しく何度か叩いた。それでも反応がなかったため、オリアナは激しく叩いた。それでも、ヴィンスの頬は赤くなることもなく、目を開くこともなかった。


 ヴィンスの体を抱え、ずるずるとしゃがみ込む。

 一体、何が起きたのかさっぱりわからなかった。


 学校は平和だった。多少の諍いや、派閥争いがあったとしても、人が一人殺されてしまうような環境ではない。


 突然の病気などで急逝してしまったのだろうか。


 それとも、オリアナが来る前に、誰かに殺されたのか。


 ヴィンスの体をあちこち見ても、刺された後も、首を絞められた後も見つからない。学生は、授業時間外は特定の魔法以外は使えない誓約がある上に、そもそも人を死に至らしめるような魔法なんか、習ったことも、習う予定もまた無かった。


 ただ穏やかに眠るような顔を浮かべているだけだ。他殺とは考えにくかった。


 冷たいヴィンスの体を抱え、オリアナはただ途方に暮れていた。


 人を呼ぶためにこの場を離れる事すらできなかった。冷たいヴィンスを、ここにただ一人置いていくことなんて、到底できない。


 たった一人で死んでいった彼を、もう一瞬だって一人にしたくはなかった。


 小さな談話室に、暖炉の炎が爆ぜる微かな音と、雷鳴が響く。

 泣きすぎたせいか、頭がふわふわとして、何も考えられなかった。嗅いだことも無いような甘い匂いが、いつの間にかオリアナを包み込んでいた。


 何度も何度も、オリアナはヴィンスの頬を撫でる。自分の頬から伝う涙で、ヴィンスの顔はびっしょりと濡れていた。


 オリアナの涙で濡れたヴィンスの唇に、唇を重ねる。

 そこで、オリアナの意識は途絶えた。




***




 何故自分だけが記憶を持ったまま、もう一度人生を始められたのか、オリアナにはわからなかった。


 ただ何故か、自分が巻き戻ったのだから、ヴィンスも同じ状況にあるのだと思い込んでいた。そう思い込むことで、聞いたことも無い人生の巻き戻りループに対する不安から、逃れたかったのかもしれない。


 ヴィンスがいるから、頑張ろうと思った。


 彼もどこかで同じ気持ちを抱えて頑張っているのだと思えたからこそ、二度目の人生に幸運と、そして時に淋しさと無力さを感じながらも、歩き続けてこられた。


 もう一度彼に会うまでは何にも負けられないと、そう思っていた。


(でも――やっと出会えたヴィンセントは、何も覚えてなかった)


 覚えていない、は語弊があるのかもしれない。きっと、時を巻き戻ったのがオリアナだけだったのだ。


 そのことに気づき、オリアナは深い孤独を感じた。

 これまで無意識に心の拠り所にしていたヴィンス・・・・を、永遠に失うなんて、思ってもいなかった。


「一目惚れだった、って。言ったくせに」


 嘘つき。


 言ってもしょうがない恨み言が口をついた。


 優しくオリアナの頬を撫でながら、まなじりを赤く染めたヴィンスは、白状するかのように告げたのだ。


(でもヴィンセントは、全く一目惚れてくれない。なんなら、一目嫌いされているくらいだ)


 冷たくされていなされて、傷つかないわけじゃない。


(でも、どうしていいのかもわからない)


 前の人生で、オリアナは掛け値なくヴィンスに愛されていた。

 正直に言えば、愛されるための努力をしたことがなかった。ただ自然なまま生きてきたオリアナにヴィンスは惚れ、愛した。


 ヴィンセントと接するまで彼に愛されるのがこれほど難しいことだとは、オリアナは思っていなかった。


 だって、覚えているのだ。


 どれほど自分が優しく愛され、大事に包まれていたかを。


(今の私は、かつてヴィンスの周りに沢山いた、彼の気を惹きたい女の子達と同じスタートライン……いやそれどころか、もっと後ろに立っている)


 高貴な身分があるわけでも、絶世の美女なわけでも、極めて優しいわけでも無い。商家に生まれ、平凡な顔と頭しか持っていない自分では、ヴィンセントの心を狙って射止めることは難しいだろう。


 だからオリアナは、目標を変えた。


(ヴィンセントともう一度、恋人になれなくてもいい。彼に生きててもらえれば、それでいい)


 いつか彼に恋人ができても、祝福できなくても、死んでしまわれるよりは、ずっといい。


 オリアナはヴィンセントから離れるつもりはなかった。今の彼は知る由もない、彼の悲劇から守ってやれるのは自分しかいないのだ。


 彼の死を避けるためには、彼のそばにいる手段を手にしなければならなかった。彼に好きと付き纏うだけでは、弱いだろう。


 勉強を励み、同じクラスメイトで居続けるしかない。ラーゲン魔法学校は実力別にクラスが別れている。学力に差がつき、違うクラスになってしまえば、日常的に顔を見ることさえ難しい。


 誰かがヴィンスを殺したのだとすれば、その犯人を絶対に見つけ出す。

 もし彼が病気なのなら、自分が必ず気付けるようにそばに居続ける。


 オリアナがヴィンセントにできることは、なんでもするつもりだった。




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