その20 最底辺から見える世界

「廊下を走るな、大垣妹」

「ごめんなさーい!」


 てへっと舌を出して俺の腕を掴んでくる。


「お兄ちゃん、帰ろうよ」

「俺はこれから……」


 まただ。

 ……ったく、何度も勘違いをしてしまう。

 生徒会に、俺の居場所はもうねえんだよ。


「分かった、帰ろう」


 巳浦に挨拶をし、職員室を後にしようと扉に手をかけた。


「大垣」

 と呼び止められて、巳浦の方へ振り向いた。


「なんですか」

「良かったじゃないか。味方がすぐ傍にいて」


 見下ろせば、俺の腕に抱きついたニヨがいる。

 ……俺が不正をして会長の席に座っていた、頭の悪いくず野郎でも、ニヨはきっと意にも介さないだろう。


 太田を自分の意思で切り捨て、学園で俺は本当に一人ぼっちになったのだと思った。

 だけど、まだニヨがいた。


「……? お兄ちゃん?」

「いや、なんでもない。生徒会がなくなって時間ができたんだ、帰りにどこかに寄って遊んでいこう」

「本当!? じゃあ行こう、早く行こう!」


 ニヨに引っ張られ、職員室を出る。

 廊下に出て、後ろ手で扉を閉めた。


 左右には誰もいなかった。

 いたとしても、たぶん俺は我慢できなかっただろう。


「……良ちゃん、わたし――」


 俺は、お姉ちゃんの体温を、全身で包み込んだ。


「えっ、はぅ!? ちょっと良ちゃん!? 嬉しい! 嬉しいけど、急すぎだよぉ!」


 さらに力を込めて抱きしめる。

 今は、こうしていないと不安で不安で仕方が無かった。


「……全部、無くなった」

「…………うん」


「今まで積み上げてきたものが、全部、崩れちゃった――」

「うん」


「みんなが俺を、嘘つきだって、裏切り者だって。……一人ぼっちになっちゃったんだ!」

「うん。知ってる。……ごめんね、すぐに駆けつけられなくて」


 恐かったよね、と頭を撫でられた。

 昔、よくこうして頭を撫でられたことがあった。

 お姉ちゃんに抱きしめられながら。

 今は俺の方が体が大きいから、こうして抱きしめているけど……やっぱり安心する。


「お姉ちゃん」

「なあに?」


「良い匂いがする」

「え!? 汗臭くない!? ここまで走ってきたから――」


「甘くて、食べたくなるような匂い」

「食べ……っ!?」


 顔を真っ赤にしてばたばたと暴れるお姉ちゃんを逃がさないよう、さらに強く抱きしめた。


「まって……! 良ちゃん、早いよ、こんなところじゃ……!」


 場所なんかどうだっていい。

 そして、待てるもんかよ。


 俺の理性が失いかけたその時、一際大きな、まるで杖を使って床を叩きつけたように響く足音が、俺たちの意識を現実に引き戻す。


 人の気配がした。


「会長……じゃないんですよね。大垣くん、なにをしているんですか?」


 声の方を見れば、立川が立っていた。

 仕事を終えた後なのだろう、各教室から集めたプリントの束を、チェックして職員室に運んでいる最中だった。


 俺とニヨが抱擁している姿をばっちりと見られている。

 これって、退学になるような行為じゃねえよな……?


「乳繰り合うのは勝手ですが、人目を気にしてください。ましてや職員室の前です。会長でなくなった途端にハメをはずし過ぎですよ、このロリコン」


 確かにニヨは見ため中学生、それ以下に見えてもおかしくはない容姿だが。


「一つ下の後輩だぞ?」

「そうですか」


 興味がないと言わんばかりに俺と目を合わせず、立川が職員室へ入って行く。

 立川にしては珍しく乱暴に扉が閉められ、廊下の空気が変わった。

 さっきと同じようにニヨを抱きしめる雰囲気ではなくなってしまった。


 ……仕方ねえか、と頭を掻き、ニヨを離す。

 そのニヨは、むー、と頬を膨らまして恨めしそうに俺を見上げていた。


「え、……なに?」

「もっと、心の準備とか、さ……急にされたらびっくりするじゃん!」

「でも、こういうのは勢いがないとできそうにないし……」

「良ちゃん、雰囲気とかに流されそうだよね……」


 それはないよ、と言っても、ニヨの疑いの視線はなくならなかった。



「ニヨ、部活の勧誘とかされなかったか?」

「されたよー。いろんなところから体験しにきてよって言われたんだから」

「せっかく誘ってくれたんだから体験してくればいいのに」

「……あのねー」


 広い学園の敷地内、下校中に隣を歩くニヨが俺の頬を指でつついてきた。


「良ちゃんがあんなことになってる中で、楽しく部活体験できるわけないでしょー!」


 ……そりゃそうだ。

 いま考えれば、休み時間中にニヨが俺の教室に突撃してこなかったのが不思議なくらいだった。

 それくらい、クラスメイトの包囲網が厚かったのだろう。


 もしかしたら、結城の手引きかもしれないが。


「なにかやりたい部活とかあったのか?」

「良ちゃんは? 生徒会をやめたなら、部活も入れるよね?」


 そうか、生徒会がなくなって、俺は放課後の予定が丸々空くことになるのか。

 すぐに帰ってもいいが、成績にも影響するし、部活をするのも一つの手だ。


 今更感もあるが、二年で新入部員というのも珍しくもない。

 ニヨで騒がれ過ぎている気もするが、一年だし、ニヨのこの容姿のせいもあるだろう。

 二年になれば転入と退学が繰り返されてドライになる。

 人の入れ替わりにあまり関心を持たなくなるのだ。


「俺は……特に。どんな部活があるかも分からないし」


 普通の学校にもありそうな部活は当然あるとして。

 かと言って暑苦しい熱血部活は遠慮したい。

 そもそもニヨがそんな部活に興味を持つとも思えないが。


「バドミントンとか、ユニフォームが凄い可愛いかったよ」

「ユニフォーム目当てじゃん」

「後は、ボーリングとか」

「そんな部活が……いやあったな。生徒会の部費整理の時に見た気がする」


 他にも射撃部やカーリング部、ゲーム部なんてのもあったな。


 しかし大会などがある部活となると、部内のレベルも高くなる。

 一応、エリート学園だ。

 実力のある生徒をスカウトもしている。

 メジャーでない部活だろうと、その実力を買われてスカウトされた生徒もいるわけだ。


 その中に混ざるのは、ちょっときつい。


 というか、悪評が立ち上っている俺がこのタイミングで部活動に入って歓迎される絵が思い浮かばない。

 ニヨの方は喜ばれるかもしれないが、俺という荷物がついてくるとなればニヨまで拒否される可能性もある。


 気になっていたが、俺の妹だから、という風評被害はなかったのだろうか?

 聞いている限りでは、仲良くしているようだけど……。


「一年生は良ちゃんにあまり興味ないみたいだよ? まだ数ヶ月の付き合いだし、あんまり人となりを知らない人も多いみたい」


 あー、そうか。

 猪上の当たりが強かったので全員がそうかと思っていたが、特別、あいつとは付き合いが他より長いだけで、普通の一年は俺が醜態を晒そうが気にしないのか。

 もはや関心は俺よりもニヨに移っている可能性もある。


 案外、一年と交流をすれば味方も作れるんじゃ……、

 そもそも悲観するほど味方がいない一人ぼっちでもなかったのかもしれないな。


「……部活はニヨが一人で入れよ」

「ええ!? なんでよ一緒に入ろうよー」

「俺が一緒だとみんなの受けが悪いんだよ。ニヨ一人なら歓迎されると思うし」

「じゃあ行かない」


 唇を尖らせ、……これは説得しても首を縦に振らない拗ね方だ。


「良ちゃんが一緒じゃないと意味ないし」

「あのな……」



「あれっ? これはこれは元生徒会長さんじゃないですか!」


 と、偶然を装って話しかけてきた男子生徒がいた。

 だが、完全に校門の前で待ち構えていたとしか思えないタイミングと立ち位置だ。

 左右から飛び出してきた人影に、ニヨが怯えて俺の背中に隠れてしまう。


「おっと、驚かせるつもりはないです、申し訳ない、大垣のお嬢」

「お前ら……ん? 先輩……?」

「ははっ、僕は同い年、しかも同じクラスじゃないですか、大垣くん!」


「知らねえよ」

「そうでしょうね! 僕は影が薄いもので、君とは真逆の席に座っているゆえにね!」


 薄い……? 

 おいおい、ジョークグッズの鼻と髭がついたメガネをかけている奴が平然と学園に通っていたら、それは薄いとは言わない。


「授業中はしていないに決まっているでしょう。先輩はこっちです」


 片方に目を向ければ、優しそうな目で俺たちのやり取りを見ていた小太りの男子生徒。

 こっちが先輩……三年生だったらしい。


「あ、どうも、先輩」


 先輩は軽く会釈をした。

 それから片手を上げ、俺たち二人へ会話を促す。


「で、なんの用だよ。これから妹とデートなんだが?」

「ちょ、ちょっとぉ!」


「ほお、仲が良さそうでなにより。……ちっ」

「舌打ち聞こえてんぞ。で、本当になんだよ。俺の公開処刑、見てたんだろ?」

「公開処刑とは。確かに、そんな感じだったな、あれは」


 くくくっ、と笑いを堪えるクラスメイト。

 蹴りを入れてやろうかと思った。


 これ以上ここで時間を潰したくないので、無視して先に進もうとしたら、先輩が体を張って進行方向を妨げてくる。

 視界のほとんどが埋まってしまった。


「なんですか……マジで」

「この時期に部活に入るより、もっと良い場所があるんだな、これが」


 こいつ、俺たちの会話を聞いてやがったか。

 ニヨ狙いなのか? 

 しかし、こいつらみたいな風貌の男子がいる部へ、ニヨが入ると思ってるのだろうか?


 どうせマニアックで根暗な部なんだろう。


「部じゃないですぜ。もっと自由度が高い集まりだよ、生徒会長」

「生徒会長じゃねえって。……なんだよ、ニヨが嫌な顔したら問答無用で殴るからな」

「無視するとか拒否するではなく!? 校内は暴力禁止だったはずだ!」


 丁度よく、校門が目の前にある。

 ちょっと出ればそこは校内じゃなくなるからな。


「ん」

 と、先輩が一枚の紙切れを渡してきた。


 部員募集中のチラシだ……いや、部ではなかった。


「同好会か……」

「わあ! 面白そう!」


 チラシを見て、ただの風景の絵だったが……え、ニヨ――本気で?


「うん! 良ちゃんも、やってみようよ。ね!」


 ……これ、がっつり体育会系じゃねえの?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る