第13話

「これは……」

 わたしの目の前には、ずらっと並んだ紫色の背表紙。マット仕様の紙質に、金色の箔押でタイトルが印字されている。それがいったい何だなんて説明するのは野暮なこと。ムジカレ全16冊が、わたしの手元にやってきた。差出人不明のダンボールはやけに頑丈で、ちっとやそっと乱暴に運送会社が扱っても本には傷がつかない梱包となっている。一番右側の「ムジカ・レトリックの園」を手に取った。この一冊は金帯で……、初版本か。『あたらしい時代につなげる物語 FE文庫創刊!』って書いてあるもの。


 辺見ユウ・作 ぽつねん・イラスト。


 背中合わせに佇むやまぶき、そしてくれない。昨晩のわたしと、ぽつねん先生のようだ。そしてそれは概ね正しい。わたしたちはこの子たちのモデルだ。

 ソファに腰をおろして、触り心地のよい表紙を撫でる。

 この本を再び読むために、それはもう恥ずかしい、恥ずかしい、恥ずかしい思いをしてきたのだ。あと怖い思いもしたし、痛い思いもした。なんて、人騒がせな小説なのだろう。でも、ムジカレを手に取ったとたん、それにまつわる怒りややるせなさも綺麗さっぱり亡くなった。だってそうでしょう? おわりよければすべてよし、って言うじゃない。

 表紙を開く。ステンドグラスだ。何かの女神……? が向かい合わせでかたどられたステンドグラスと、控えめに「ムジカ・レトリックの園」というタイトルが載っている。折返しには、辺見ユウのプロフィールも書いてあった。

 ○辺見 ユウ Yu Hemmi

 1986年新潟県生まれ。第1回芙育出版ライトノベル大賞「大賞」を本作で受賞。人生誰もがリリックを編むべし。「嫌なことから逃げたくなったとき、帰れる場所、逃げ込める場所があればいいな、と思います。人は決して強いものではないのです。でも、その帰れる場所を守るためには、人は強くなれるんだと思います。たぶん。」

 ○ぽつねん Potsunen

 1985年東京都生まれ。第8回芙育FEコミック大賞「大賞」を受賞。本作で初めてイラストを手掛ける。「お花見をしながら、桜色にもやたら幅があるなと思いました。奴らはかなりの濃さを秘めています。」


 なんだろう、ここの欄ではこの二人はこんなにもユニークなことを書いていたのか。まあ、ぽつねん先生のユニークさは十分というほど体験したけどね。

 ページをめくる。

 右側のページには制服姿のやまぶき、左側はおさげを結ぶくれないだ。

「急がないと園が閉じるぞ!」

「あーん、待って!」

 ただの学園モノにも読めるピンナップ。すでにぽつねん先生のイラストはこの時点で完成されていたようだった。

 ページをめくる。

 四人の少年少女が、一応制服とはわかるけど、下にパーカーを着たり、白衣を着たりして横並び。キャラ濃いなあ、こいつら。あさぎ、えんじゅ、なつめ、すおう。

「明日の天気は?」

「……まあ良いじゃないの」

「すおう、今間があった」

「レトリックが降らないといいけど。はぁ」

 レトリック、という言葉にだけフォントに影が入っている。が、肝心の意味はまるでわからない。

 ページをめくる。登場人物の簡単な紹介と違い、くれないを守るようにやまぶきが刀を一本だけ持って敵と思しき白い服……、ジェダイのような、と対峙していた。地面の低いところを黒い雲が流れていて、空が青緑色。遠くに月の輪郭が見える。

「貴様にはもったいない力だ、山吹悠」

「もうやめて!」

「うるせぇ! ムジカ・レトリックならいくらでも出してやる!」

 いったいどんな力なんだ、ムジカ・レトリックというのは。ゼロ年代というより、90年代のカラーページという感じもする。お色気要素、まるでゼロ。まあ……モデルわたしだしな。

 ページをめくる。

 カラーページはここまでで、目次とそのバックになにかの家紋? ロゴ? がでっかく書かれている。その手前には、はじめに、プロローグ、第一話、第二話、とサブタイトルなしのページ数がならんでいた。

 ん? はじめに、と、プロローグがあるのか? はじめからシリーズ物にするつもりだから? まあ、いいか。隣のページからは白黒印刷になり、表紙と同じフォントのタイトル、作者名、絵師名と、出版社名が書いてある。

 ここまでは、新人の書いたありきたりなラノベ、という気がする。全然、ゼロ年代のラノベとして、ハルヒやイリヤや文学少女に並ぶ要素は無いように思える。しかし、本編はそうじゃないのだろう。16冊続いて、それで完結できるだなんて。


 一度、深呼吸した。いま、再び……、でも、ほとんど初めてのようなものだが、ムジカレを読む時がやってきた。

 ページをめく…………。



  はじめに

 

 「見つけてほしい」

 私は漠然と今日まで、そう思いながら生きてきました。

 見つけてほしい、だなんて、誰に? 何を? あるいは誰を? と疑問が浮かびます。しかしその疑問すら抱かず、ぼうっと、例えば白馬の王子様や、親切な魔法使いが特別な存在たるわたしを見つけてくれる、と信じて疑いませんでした。

 そう思うのは、果たして私だけなのだろうか。と一度考えてしまうと、そればかり考えてしまいます。ハンサムで国の領主たる王子様、箒で空を飛び難敵を魔法で浮かびあげられる魔法使い。彼ら、彼女たちも同じことを考えているのではないでしょうか。見つけてほしい、と私たちのようなものがたりの読者とはまるで違う世界や階級に住んでいたって、きっと一度は考えたことがあるんだと思います。

 今、この本を手にとっているあなた。

 見つけてくれてありがとう、と心からお礼を言います。


 旋律韻律文ムジカ・レトリック、今も世界のどこかに隠されている魔法です。偶然にも私はそれを見つけて、この本に書くことにしました。ただし、ムジカ・レトリックの発動にはひとつだけ、約束をしてほしいのです。

 あなたが大切に思っているお話を、ムジカ・レトリックはどこかに隠してしまいます。それはムジカ・レトリックの栄養になるためです。あなたがこれから出会うムジカ・レトリックはかならず、あなたの大切なお話を食った奴なのです。

 ムジカ・レトリックが隠してしまったお話は、小さな声で「見つけてほしい」と言うでしょう。私たちとお話と、ムジカ・レトリックの前では変わらないちっぽけなものですから。

 心配はしなくて大丈夫。心強い登場人物がきっと、一緒に探してくれる。そして、あなたは再び大切なお話を見つけることができるから。

 準備はいいかな? うん、大丈夫みたいだね。

 それじゃあ、レッツ・ゴー!


 基本的にはムジカレは1人称寄りの3人称によって文章が進められる。個人の心情描写が地の文にもあらわれる、という奴。フルメタとかが代表的なものだろうか。

 ムジカレはシリーズを通して3度、視点をめちゃくちゃにしている。1度目は、辺見ユウによる「はじめに」。このはじめに、は第1巻「園」冒頭にしか書かれていない。

 読み始めて、1分もかからずに「はじめに」を読み終えた。するとなぜか、わたしの脳に声が響くような感覚が振ってくる。

「見つけてほしい」、なんて

「見つけてほしい」、なんて

こちらが思うだけでしょ

こちらが思うだけでしょ

ん? 今わたしは同じことを二度思考した? いや、なにかの勘違いだろうか。勘違いだろう。

 第1巻、園。

 孤児院で育った少年少女たち。一般的な家族でなくとも、彼ら彼女らの日々は幸せ、だった。だった、という理由は冒頭50ページで明らかになる。主人公である山吹悠が、孤児院の境界線で唱える「鍵」の言葉を間違えて唱えてしまったことによって、斜方次元にゲートが繋がってしまったためだ。

 世界が、終わる。世界が、歪む。

 わたしは、いったいどうなってしまうの? と本気で文庫本を強く掴んだ。武力、魔力、政治力。少年少女はそんな力を持っていない。知っているのはおまじないと、歌だけ。

 おまじない、そして歌。でも、彼らには魔力特性を持っていない。特に悠と和奏はつましく生きていこう、と幼いころから励まし合っている仲だ。1冊かけて、二人が悪意に充ちた世界と戦うチカラを手に入れるまで。

 わたしは、読み終えてなんとも言えない虚脱感を覚えていた。

「…………寝なきゃ」

 読み終えたのは23時を過ぎていた。1冊のラノベに4時間もかけるなんて、いったいいつぶりだろう。テンポも早いし、会話も多い。難しい漢字にルビをふる箇所もほぼ無いにも関わらず、どうして……。

 ただ、再読をしたことにより、わたしはムジカ・レトリックの園についての記憶をすべて取り戻した、という実感はあった。どうしてだろう。読んだから知ったのではなく、のだ。


 聖者の行進により、東京では1日あたり500人以上のコロナウィルス罹患者が発生した、というニュースがかけめぐる。知ったことか、と思いながらも、わたしは自分が大丈夫かどうか心配にはなっていた。かといって、やれることはない。


 職場への出社停止により、わたしはひたすらムジカレの再読を続けた。1冊にかかる再読所要時間は4~5時間。自分の中では2ページの見開きを1分もかからずに読んでいるつもりなのに、実際には2分も3分もかけてしまっている。きっと、1行、1文字を読む度にはじめてムジカレを読んだ記憶が溢れてきているのだろう、きっと。朝から晩まで、読む速度は上がらないため他のことにかける時間をすべてムジカレにつぎ込んだ。仕事? 休みだから知らない。1日に読めるのは4冊しかない。更に、「鍵」は2日かかった。鍵はあらゆるライトノベルの中でも屈指の奇策であり、読みにくさについては折り紙付きだ。

 金曜日の深夜、最終巻「ムジカ・レトリックの織」は分厚さ580ページの巨体をわたしの前にゆうゆうと横たえる。鮮やかな紫色の1巻からはじまったグラデーションも、最終巻になれば深い深い、ひたすら黒に近い紫色となっている。夕暮れの空から、遠い宇宙へ。これは、ムジカレのデザイナー、有無うむさんがそのラノのインタビューで以前に書いていたものであるが、第一巻の時点からここまで想定している作品なんて、なんて幸せななことだろう。はじめから最終巻までのシリーズカウントがわかっている作品なんてハリーポッターくらいだろうに。といっても、小学3年生の夏休み、わたしがはじめてハリーポッターを手にした時。小学校中学年にとってハリーポッターという挿絵の無い分厚いハードカバーは挑戦すべき壁であり、この上なく極上の読書時間だったのは間違いない。小学校2年生の時にはすでにミヒャエル・エンデの「モモ」を読んでいたくらいに読書に関しては早熟なわたしだったのだが、それでもハリーポッターは異様な、そして圧倒的な壁として立ちはだかった。そんなわたしとホグワーツの思い出はどうでもいい。どうでもいいが、わたしがホグワーツに入ったらどこの寮に入れるのかな。レイブンクローかっこいいよね、でもあの世界基本的に白人だから黒髪が似合う寮ってグリフィンドール? 赤と黄色だし。性格診断で考えれえばどう考えてもスリザリンですけどね。

 ハリーポッターが全7巻、と賢者の石の時点で発表されたように、ムジカレは1巻の時から16巻組、と言われていたような気がする。ラノベ界として異質。よく「長く続けたかったのですが、様々な事情で、この4巻で一区切りとします。応援ありがとうございます。また、次の作品でお会いしましょう!」の長くやりたかったけど打ち切りパターンか、「次が最終巻、と前回のあとがきで書いたのですが、どうも1冊では終わりませんで、次の巻が本当に最終巻のはず……です。きっとそうだといいな」という、作者が面白い話を思いついて盛り込んでしまい最終巻までなかなかたどりつけないパターンか、売れすぎてやめさせてもらえないために「これはゲームであっても遊びではない(5回め)」みたいなパターンさまざまある。長く続けてくれるのは嬉しいが、しかし続きが読みたい、でもこの最終巻に蛇足はいらない、というものが傑作になるのではないだろうか。それこそ「非実在~の会」に並ぶ10タイトルはどれも続刊が蛇足となり得る作品群である。いや、ハルヒは違うか。

 ともかく、24の伏線、8人の登場人物の生死について、4つの国の攻防、悠の選択、囚われの和奏、隣接次元をつなぐレトリックと、平均律の謎についてああもう夢で溜めるだけ溜め込んで、貯水期あるいは台風のときのダムみたいに決壊直前のわたしは、深夜でも迷わず最終巻を手にとった。

 もう、わたしはムジカレのほとんどを手に入れていたといっても過言ではない。読み進めるほどに思い出したのだから。2011年3月に開催が中止されたアニメイベントで発表される筈だったアニメ化。それを知った4月と、当時のムジカレ既刊である第7巻ムジカ・レトリックの春までを実家で一気に読んだ2011年のゴールデンウィーク。震災の傷が日本を倒しそうになりながらも、くじけず立ち上がる姿に本当に「春」はマッチして、わたしは実家で徹夜しながらこれを読み終えた。

 2011年の9月、第8巻「箱」。これは連作短編集だ。ふたつの演劇公演をおえたわたしは「箱」にモロに影響されて在学中に20もの断片的な台本を書いてはボツにする原因をつくりあげた屋台骨。もう一本の屋台骨は野﨑まどの作品群であるが。読んだのは忘れもしない。新潟大学近くのわたしのアパートのベッド上である。夜10時ころに読み始めて、夜中3時頃には台本を書こうとしていたっけ。

 2011年10月からはアニメの第一期が開始された。Fate/zeroと同クールで比較されていたが、本当に2011年は当たり年。部活内でもムジカレの話はよく出ていたっけ。わたしがくれないのモデルだと言い張っても誰も信じてくれなかったけど。

 2012年1月に出た、アニメ1期では最終エピソードである旗については、「聖者の行進」の元ネタにもなっている、ムジカレで3本の指に入る人気長編エピソードだ。といっても、長編が16作品中に9作品だけなので、そのうちの3本。だいたいの人が、「春」「旗」「織」をあげる。でも、わたしは「箱」が好きだし、「園」がやっぱり好き。初々しい辺見ユウの文章というだけではない。ムジカとも、レトリックともまだ関係ない頃の悠の幼さと葛藤、また和奏の漠然とした将来への期待と不安という感情が、中学3年生の頃の、自分は新潟高校に合格しなければ何も残らないという焦燥感と期待にモロに刺激するからである。まあ、今思えばそのあたり、わたしの実体験を聞いて辺見ユウが書いているというのであれば納得だけど。旗を読んだのは、自分が演劇研究部でわざわざ台本書き起こし、これは映像としてある舞台のセリフを全部書き起こしたものだけど、をやって、その台本が面白いから採用されたのにわたしをのけものにしたチームで新歓をやろうとした頃だ。そりゃあ、抗議もするしヘコむし、でもまだ力の無かったころ。じゃあ、やめるか、と思っていた中で、あれは部室で読み始めたんだよな。途中から照明を持って、1月の新潟の深夜、大学会館の屋上で読んだ。稀有な読書体験だったと思う。耐えて、耐えて、耐えた人たち。リリット、と呼ばれる純旋律のムジカしか使えない人々とともに、行進をしようと立ち上がる追唱の6人。もう劇場版だろこれ、と思いながら。わたしは悠や和奏が来てくれるリリットになったようで、でも自分が旗を持って立ち上がらなきゃ、それまでは部活をやめてたまるか、という意地をもった作品だ。

 そして大の問題作「鍵」である。劇研夏公演の終わった2012年7月、バイト終わりの電車で読み始めたが、100ページ読んでもさっぱりわからない。2人称という、おおよそ日本語の小説では書き表せられない、夏を費やして、ようやく自立のものがたりだと思ったのであった。

 2012年の10月である。東京でジョジョ展を見た帰りの新幹線で読んだムジカ・レトリックの夜はまさかの上下作品の上巻。いままでのムジカレは常に一冊完結、あるいは中・短編集だったため、上下巻だなんて。と韻律が崩れ、言葉の崩壊で終わる、あとがきの無い、あの幕切れは誰もが本を叩きつけたくなっただろう。しかし、下巻でもあるムジカ・レトリックの睡が4ヶ月後、2013年の2月に出てくれたのは本当にありがたい。この1冊だけ、お母さんに頼んで英進堂で買ってきてもらった。ウイルス性腸炎でうーうー唸っていたからな。あの時は稽古に参加できなくてゴメン。衣裳案をプリンタでPDFにしてそれを事前送付しながらスカイプで会議に参加したのは、あまりテレワークを推奨しない弊社よりも新大劇研チームフォルティッシモは現代的だった気もする。あの「旗」を読んだ日から、やりたいことをやるまで劇研をやめないと決めた日から、わたしは一年間がんばって、ようやくやりたいことをやれるようになっていた。誰かが見つけてくれるなんて期待はしていなかった。だから、立ち上がった。すると、それを待っていた人はまわりに沢山いて、共に手を取って進むことができる。

 わたしには、悠はいらなかったのかもなあ、と苦笑しながら番宣やPVを作った記憶が新しい。なんだか懐かしくなって、PVを見直してみた。ああ、21歳の井守千尋。ロココ風の衣裳に銀色のカツラ……、これ、台本上では金髪だったんだよね。わたしが銀髪好きすぎるんだよね。というか、ビスチェデザインよく出来てるな。後輩サリー、やるじゃねえか。

 わたしの劇の話はいい。梢が出た2013年の7月、わたしの最後の定期公演がわたし演出で大成功に終わり(少なくとも演出はそう思っているのだ)、ムジカレの映画化が発表された。中篇3本を掲載した梢が出た。バイクの話と、氷の話と、パッヘルベルの話。と共に、鍵のアニメ化は不可能だと辺見ユウがインタビューで答えたのをよく覚えている。いやまあ、そうだろうな。二人称をやるならVR、みたいな発言もその時にでていた。伊勢神宮の式年遷宮に旅行で行って、あれは早霧谷と二人でだったけど、奈良の柏原ロイヤルホテルで夜中に読んでいたな。あの旅館で、なぜかタバコを買って吸った思い出があるが、結局辺見ユウのインタビュー写真で喫煙情報があったからに違いない。まあ、本格的な原因は4年生で入った研究室がアレでアレだったからなんだけど。

 2013年10月、最後の短編集ムジカ・レトリックの琴が出た。思えば、この琴を出さないと、夢、織に続くパズルのピースが足りなかったのだろう。自動車学校の授業中に読んでいた。短編、面白いんだよなあ、と思いながらも、初期のただ面白い孤児院での話、学園での話が減りバックヤードに迫る話ばかり。キレが少なくなって、少しホラーも入っている。でも、長編中篇短編の全部あってこそのムジカレ。最近そういうラノベ減ったよな、と思う。なんでもかんでも円盤特典に短編中篇をつけるから、シリーズ中での短編中編の挿入に抵抗があるんじゃないの。ゼロ年代の特色として、たしかに長編だけじゃない作品が多かった気がする。その要因としては、ザ・スニーカー、ドラゴンマガジン、電撃hpの存在がでかいのだろう。今や、ドラマガしかないけど。電撃文庫マガジンだって休刊と言いながらその後音沙汰ないし、カクヨムや小説家になろうの存在がでかいのはあるんだろうな。短編連作ものは単行本に言って、文庫本は長編、という棲み分けが10年代後半にできてきた気もする。だから、キノの旅のような短編連作の文庫が貴重なのだ。電撃文庫で短編部門はあるけど、全然受賞者出ないしコスパも悪いのはなんとなくわかるよ。でもああいうの書いてみたいよね。ハルヒもフルメタも、人類は衰退しましたも、短編長編両方あって面白いよな、と「1軍の本棚」を見て思った。わたしの部屋の一等地の本棚だ。

 最後の短編から、3ヶ月後に夢が、夢から5ヶ月後に織が出た。

 夢は、就活の説明会の中から、というか後半はぶっちして読んだ。

 最終巻は、流石に……。

 これは、2014年に読んだ記憶をまだ思い出せない。そういう仕掛けになっているのか、ムジカレを読み返すごとに、その本にまつわる記憶がわたしに戻ってくるのだから、読めば全部思い出せるのだろう。2014年なんて碌なことの無かった年。クソのような研究室に配属されてしまい、旅行にも行けず、人生において、この1年だけは新幹線に1度も乗っていない。コロナ禍でろくでもない今年でさえ、1月からカウントすれば10回以上乗っているし、就職してから去年なんて20回30回平気で乗っていた。学生の頃だって年に何度か東京に行っているのだから、酷い年だったのである。今年もワースト候補だけどね……。

 と、各作品とともに記憶が戻りつつある。その仕掛けは、園、の「はじめに」にあった通り。わたしが自分に暗示をかけてしまう仕掛けだったからなのだ。



  おわりに


 「見つけてほしい」

 山吹悠と紅和奏がお互いに願ったものがたりは、ここでおしまいです。足かけ5年と1ヶ月、旋律韻律文ムジカ・レトリックのものがたりを十六作品書かせていただきました。はじめから考えていた世界を、余すこと無く書かせていただいたのは、読んでくれたみなさんのおかげです。

 そして、「ムジカ・レトリックの園」の冒頭で書いた文面通り、あなたの大切なお話を一つ、ムジカ・レトリックが隠してしまいました。でも、悠と和奏は取り戻してくれたので、今ここでお返ししますね。


 山吹悠、紅和奏、その他大勢が願った「見つけてほしい」は、ムジカ・レトリックの魔法によって概ね叶うことができました。そして、私が「ムジカ・レトリックの園という作品を書店にて見つけてほしい」という小さなお願いも、少しは叶ったようです。ただ、あなたは見つけてほしいと願った場所で、人に、あるいは両方で、出会うことができましたか。それができた人は、おめでとう。ムジカ・レトリックの力は関係ない、あなたの実力です。まだの人は、大丈夫。レトリック強めにいきましょう。誰かが、どこかであなたを見つけてくれるはず。

 それでは、また。

 見つけてくれてありがとう。辺見ユウでした。



 土曜日の夕方。10月10日だ。聖者の行進から1週間が経過した。わたしはついに、ムジカ・レトリックシリーズ全16冊を読破した。

 最終巻の「織」最終章「百億の昼と千億の夜」、本文庫本のおよそ半分をかけて繰り広げられる世界の謎と、追唱の6人の行方をわたしは最後まで見届けて、ただただ放心だ。気がついたら、夜になっていた。

「ああ……、そうか……、そうだったんだ」

 すべてを、思い出した。

 完璧を凌駕する完成度、すべての答えに答えたわけではない、その塩梅がすべての読者にとって最良だったかどうかはわからない。しかし、わたしにとっては最良だった。そうなのだ。わたしの欲しいものを、ムジカレはすべて文章として与えてくれた。満たされた。充たされた。記憶の欠乏があった箇所を、この一週間ですべて埋めることができた。

「わたしの記憶を奪ったのは誰?」

───ムジカレに書いてあるじゃない。大切な物語を隠してしまうって。

「わたしの記憶はどうして戻ってきたの?」

───ムジカレに書いてあるじゃない。大切な物語を最後に返すって。

「わたし以外の、非実在ライトノベルをレビューする会のみなさんはどうして、それぞれの推し作品に関する記憶を失ってしまったの?」

───それはきっと、ムジカレを冒頭から読み返そうとして、最終巻まで読んでいないから。

「どういうこと?」

───ムジカレという作品は、全部読まないと大切な物語を預けたままになる。わたしにとってそれはムジカレ。あの人たちにとってはレビューする作品そのもの。

「読めば、なおる?」

───きっとそう。作品にまつわる記憶全部。ムジカレが預かっている。

「そう……。でも、どうしてあの人たちはムジカレを読み返したのだろう」

───忘れたの? 新刊が出る。6年ぶりに。ムジカレほどの作品がそれだけの長い時間をあけたら再度読もうって思うでしょ。

「でも、最後まで読めなかったのは何故?」

───それは……。

「9人が9人ともに今も記憶を失っていて、再読の思い出しかないのは?」

───わからない。読み返せていないなにかがあるのかも。

「どうして?」

───きっと、発売日直前に織を読み返そうとしていたんだと思う。あるいは……。

「ミスリル経典テロ事件?」

───あるいは、聖者の行進。これらによって、わたしたちが彼らの再読を邪魔したのだとしたら……。

「記憶を失ったのは彼らだけだと思う?」

───1000万部のムジカレ読者のみんなが、何かしら物語を失ってしまっているんじゃない?

「もしかして……」

───ん?

「ムジカ・レトリックの園で大事な物語を預けたままの人が大勢いるんじゃ……」

───このトリックについて、辺見ユウは知っているのかな。

「トリックというか、暗示だよね」

───きっと、ものがたりが大切である人ほど、強くかかるんじゃないかな。

「わたしは、どうなんだろう」

───わたしは、どうなのか。

 そんなことは言わなくても、思考しなくてもわかる。

 大切なんだ。

 16冊の大切な思い出のアルバム、あるいは16枚の寄せ書き色紙、あるいは、16の弾き込んだピアノの楽曲。わたしにとって、ムジカレという物語は一冊一冊が同じくらいに大切で、失ってしまったことがどれだけ悔しいか。

「悔しい………くっ、……どおしてっ!!」

 どん、と拳で腿を殴る。

 聖者の行進という、ライトノベル史、日本文芸史に残るイベントの旗手をつとめたわたしは、その元になる物語を覚えていなかった。たった16冊。読めばあの場を120%楽しめるものを、その時点で忘れていた。

 あるいは、ラノベ界の「中の人たち」に近しい人達と話をするたびに、ムジカレを忘れてしまっていて言いたいことが言えていなかったのかもしれない。

 そして、わたしが何気なく高速を飛ばして早霧谷のところへ行った夜。あるいは、そこからの逃走劇。または、ミスリル経典テロ事件。そう、ミスリル経典テロ。

「ムジカレは悪くない! 辺見ユウは……! 悪くないのにっ……!」

 全部思い出した。

 上波アゲハという、各出版社と大喧嘩をしたり、アニメ会社を2つ天秤にかけて業界を追放されそうになって、様々な冒険をしながらも、最終巻まで、他の作品を全部ボツにした挙げ句ムジカレだけは守りきった、強引にも電撃作品の第二期枠を三回連続で奪い取ってムジカレ一期を3クールアニメにしたことや、辺見ユウへの心遣いから、他社ではやらない、できない「公式からの同人誌作成ガイドライン」を発表した、女三木一馬だなんて言っていた超ラジカルな担当編集者のことを。上波アゲハの制定した「同人誌作成ガイド」の第一条件として、商業ベースの作品掲載がある人間であること。また、作中のレトリックをすべて理解していること。そして、作中のムジカをすべて理解していることを挙げている。プロの作家が、20もの言語の単語をつなぎ合わせたプロトコル架空言語を理解して、更にバッハが作り上げた音楽体系に手袋を投げつけた音楽理論も理解するなんて、土台不可能だ。わたしでさえ、両方を理解するのに5年はかかっているし、作中のレトリックと、ドイツ語とイタリア語と英語しかそこそこしかわかっていない。早霧谷の手をかりてようやくだ。彼女は古代ギリシャ語を完全に理解しているし、ムジカレの解読しようぜ、って言ったらルーン文字やケルト文字も含めて協力してくれたし、あるいは中国語については友人の葦田に相談すれば教えてくれるだろう。ロシア語については、当時はちんぷんかんぷんだったが、友人の絵師さんに聞けばきっとわかってくれる。わたしの軍団を総動員すれば、よほどムジカレが好きなファンでなければ、二次創作の入り口にさえたどり着けないという仕様だ。

 有無という、ムジカレ内に出てくる英語フランス語中国語ルーン文字ケルト文字ロシア語ドイツ語ラテン語古代ギリシア語、それぞれの言語体系を完全に理解して作り上げた独自の「レトリック」。あるいはボカロからロックンロール、ブルース、ラップ、グループサウンド、宣伝音楽にラジオ、あるいはクラシック全般。そして、グレゴリオ聖歌以前の様々な音楽を元に編み出した、「カノン・コード」「カノーネン・コード」「ニッツ・カノン・コード」。コンピュータ言語としてファンが実際に運用可能な、そしてスマートで便利だからと実装が増えている「Musikare」言語、あるいはボカロの作曲で使ってみたらかつてなく耳に残る「カノーネン」「ニッツ・カノン」が世界中で使われつつあるポップ・ミュージック。そのどちらも、辺見ユウという才能に惚れ込んだ天才デザイナー。東京五輪の延期とともに、再度の開催デザインでコンペにノミネート、内定していたというニュースも報道で上がっていたっけ。市松模様をベースとした、2020オリンピックのマーク。それを越えて、招致時のサクラデザインをブラッシュアップした、五輪マークと1964東京五輪ロゴでもインパクトを残した日の丸。多くの人が上を向き、「日はまた登る 2021TOKYO」というコロナへの人類の勝利宣言を込めた素晴らしいデザインだった。ライトノベルのデザインはムジカレしかやっていない有無だが、実はあまりにたくさんの仕事を受けている。必ず1週間後には回答を出すが、絶対に受けたその場では何も回答をしない。悩んで悩んで、168時間悩んだ挙げ句最適解を出してくれる。まあムジカレはその100倍大変だったんで二度とやりたくないけど続刊にはやっぱり携わりたいと言っていたっけ。

 上波アゲハは桜木町で、有無は西船橋で殺された。

 これが、ムジカレの続刊において、どれだけ大変な損失、いや、人類にとっての、日本の創作にとっての損失だったのか、わたしは思い出した。

 わたしの思い浮かべる、黄金期のムジカレの布陣はすごいぞ。原作・辺見ユウ、イラスト・ぽつねん、デザイン・有無、編集・上波アゲハ、アニメ制作会社・アニプレックス、監督・幾原邦彦、音楽・菅野よう子、山吹悠役・白野武尊、紅和奏役・三笠晴子。

 アニメ脚本・辺見ユウ、キャラクターデザイン・ぽつねん。

 これだけのメンバーにとってもなお、辺見ユウは神様。でも辺見ユウからすれば彼らこそが神様なんだ、とヒビナと有紀子さんと今吹さんとの会食の時に聞いた。二人が死んだだなんて、辺見ユウはもう自分の半身を失ったと同じだ。もう書けないだろう……。

「続刊が出なかったらどうしよう!」

 

 その不安を胸に、わたしはムジカレの公式サイトを調べる。

「ああ、昨日だったんだな」

 禁書となったムジカレ、再度書店に並ぶことになったのは9日。つまり、昨日だ。

「ちょっと行ってみるか」

 クーパーに乗って、最寄りのまともな書店に向かう。福井にはまともな書店が無いので(少なくともライトノベルの品揃えという意味で)、富山市の文苑堂へと向かうことにした。富山までは高速道路をつかって二時間。ちょっとした旅になるだろう。一軒、大学時代の友人に連絡を入れると、着替えを入れて、カーディガンを一枚羽織って車に乗り込む。水色と白のボーダーの、膝まで丈のニットは、綺麗めなお姉さん向けのものだ。グレーのパンツはいいとしても、ワインレッドのカットソーとの相性はなんだか悪そうだし、靴はスニーカー、運転中はぺたんこ靴だからもうおしゃれなんてあって無いようなもの。

 高速に上がって、ラジオをつけた。8時のニュース。夜中の12時までやっている本屋さんというのは、非常にありがたい存在。福井にも作ってくれ、いやせめてジュンク堂規模の書店をください。

『ミスリル経典テロ事件を受け、一時発売禁止となった「ムジカ・レトリックの園」をはじめとするムジカ・レトリックシリーズの作者、辺見ユウさんが自身のツイッター上で断筆宣言を出しました。辺見さんは11月に6年ぶりの新刊を出す予定でした。出版社であるKADOKAWAは現在、失踪中の辺見さんの行方と連絡をしようと警察とともに捜査中です。次のニュース──』

 なんだって?

「次、出ねえの?」

 今のラジオニュースが、ラジオドラマのワンシーンだったかのように、わたしにはぽっかりとなにかの穴を開けられたような錯覚に陥る。しかし、その気持もわかる。上波アゲハと有無を失って、まともな精神状態ではいられない。断筆宣言だって出すかもしれない。しかし、辺見ユウってツイッターやっていたっけ。

 北鯖江SAで車を止めると、ツイッターを開いた。

「いつの間に……」

 検索すればすぐ出てきた。辺見ユウの公式アカウントだ。


  ムジカレ・辺見ユウ公式アカウント!

 2020年10月10日 12時10分

 私、辺見ユウは、今回のミスリル経典テロを受け続編が書けないと判断しました。つきましては、11月発売予定の「ムジカ・レトリックの守(仮)」の発売を無限延期とし、断筆宣言をいたします。

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  ムジカレ・辺見ユウ公式アカウント!

 2020年10月10日 12時11分

 前ツイートにおける情報について、10月31日21時より、新規開設予定のYoutubeムジカレチャンネルで生放送を行います。

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 炎上商法のつもりはないのだろう。しかし、生放送の告知のあおりのように読めてしまうのは考えすぎだろうか。辺見ユウは病んでいる? それは十分にありえること。だとしたら、実家にも話がいくのだから早霧谷から話が来てもおかしくないのに。でも、失踪中と言った。失踪? どこに。

 その情報を得ようと、辺見ユウの裏垢を開いてみた。フォローはしない。しかし、わたしをブロックすることも無いようである。ただ、最終更新が1週間前になっていた。


  雪鷺

 2020年10月3日 18時47分

くれないのパンツ見えた!

 #聖者の行進に参加します

 10リツイート 17いいね


「このッ…………!」

冗談だよな、辺見ユウがこんなことを……。そのくれないはわたしが装っていた紅和奏のことだろうから、雪鷺こと辺見ユウはわたしのパンツを見たことでツイートをしたということになる。写真が添付されていないから、本当にパンツが見えたかどうかなんて知らないし、なんだったら聖者の行進に参加したわけでもなさそう。

 なのに、どうして表向きは……。裏ではこんなバカなことを……。

 ラジオで聞いた発表を受け、果たして富山に行く必要があったのか微妙になってしまったが、それでも夜の北陸道を時速140kmでクーパーは行く。下り立った文苑堂、わたしはその店先にてムジカレが山程積まれているのを目の当たりにした。

「ひっでえアオリ帯だな」

 帯には、2020年11月、最新巻「ムジカ・レトリックの守(仮)」とでかでかとゴシック体で書いてある。これじゃあ炎上商法に思えてくるじゃないか……、と。

「ゲスね。くたばってしまえばいいのに」

『ムジカ・レトリックとミスリル経典事件』

 という、薄っぺらいムック本が出ていた。出版社や新聞社ではなく、自費出版のようなものだが、わたしの目の前で1冊売れていった。暴露本という奴で、人様にケチをつけて、あるいは虚構を並べて一時的な興味をもたせるゴシップ本だろう。売るためにままあることだけどねこういうの。

 書店を出た時、わたしは早霧谷に電話をした。

「ちぃどうしたの」

「24時から、第二回非実在ライトノベルをレビューする会を開催しましょう」

「は……?」

 やたら早口で、そのけったいな会の名前をもう一度告げたのだった。


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