第12話(上)

 雪鷺のツイートに気がついたのは、わたしが東京ステーションホテルにチェックインした直後のことだった。やまぶきの衣装を身に纏ったぽつねん先生と、くれないの衣装を着込んだわたしの写真をこの、雪鷺、というアカウントから発信されている。

 わたしのコス写真、これはぽつねん先生がKADOKAWA本社で撮影したものに間違いないだろう。ブレザーの襟、その形が新潟高校のものと若干違う。ムジカレ作品内のブレザーのほうが丸いのだ。

 もう、わたしの疑念は確信に変わった。

「雪鷺……、ゆき、さぎ。早霧谷有紀子!」

 このアカウントは、辺見ユウのもの。24日木曜日に、福井の自宅最寄りのコンビニで、わたしの喫煙写真を撮ったのも、ほぼ間違いなく辺見ユウ。だけでなく、ぽつねん先生から送られてきたコス写真だっても持っている人間など他にいないだろう。

「辺見ユウは、明日の聖者の行進に参加する……の?」

 わたしとぽつねん先生が参加するのだから、原作者の辺見ユウがいてもおかしくない。しかし、誰もが辺見ユウは失踪中という認識だ。ミスリル経典テロに覚えた恐怖、そしてマスコミに追いかけ回されたくないという想いだってある。

 それならば、どうして彼女はあの日福井にいたのだろう。わたしに会いに来た? だとしたらどうしてだ? わたしがムジカレに関する記憶を失っており、それを辺見ユウが知らないとして、わたしに会いに来るのはどうしてだ。だいたい、会いに来るとしたら、一度連絡を入れるのが常識だろう。引っ越した、という事実は妹のヒビナから聞いていたとしたっても、わたしに内緒で訪ねてくる理由は無いだろうから。

 だが、少し悪質だとは思わないか。辺見ユウというではないなりすましアカウントで、わたしの盗撮だの、ぽつねん先生とわたしのコス写真をあげるなんて……。

 手元のスマホを握りしめる。LINE、そして電話帳にも早霧谷有紀子の連絡先が入っている。数度タップするだけで、文句を言うことができる。ライトノベル作家へのホットラインだ。それをヒビナはわたしに言いはしなかったが。

 もしかすると、傍観者として聖者の行進に参加するつもりだろうか。狙われるリスクも少ないし、自分の書いた作品内の大規模イベントが東京の街中で行われる様子だ。是が非でも見たいと思うのが原作者冥利だろう。

 スマホの画面には、早霧谷有紀子の電話番号が映されている。これをもうワンタップすれば……。

「わっ!」

 スマホが鳴った。グループラインだ。グループ名は「非実在ライトノベルをレビューする会」。あのZoom会議のあと、わたしが発起人となって作ったグループであり、聖者の行進に関して何度も資料のやり取りを行った場。もっとクローズドなサーバを使わないのはセキュリティ上でどうかとは思うが、オタク特有の作品内擁護ばかりが行き来しているし、詳細はパスのついた.zipファイル内の資料で確認できるのでやたら指示語とオノマトペだらけのタイムラインとなっている。

「こんばんはーっ!」

 元気よく第一声を挙げたのは、ベータさん。涼宮ハルヒばりのエネルギッシュさが、それだけでわたしに元気をくれた。

「井守さん、調子はどうですか?」

 パイクさん。すごく意気揚々とした声。

「明日に備えて、今チェックインしたところです」

「こちらは準備OKです」

 杉山さんが真面目そうな、声を出す。

「こっちもだ」

 ロマンスグレーのハルミさん。イリヤの空UFOの夏におけるキーパーソン、水前寺邦博のモデルだとあとから教えてくれた。冷静であり、とても「おっくれってるぅーっ!」からりっ、と窓を開けて叫ぶヤベェラノベ的な人物とは思えないのだが。

「人間分はなんとか……、いや、見た目人間分は、ですけど」

 しゅんぎくさん。田中ロミオがかつてゲーム会社に属していた頃の友人で、喧々諤々口論が耐えなかったというが、作中の主人公の無二の友人「Y」のモデルらしい。

「今回呼びかけたら世界中から手が挙がって大変でした。選抜は九里が」

 ズコーさん。この人はSAOやアクセルワールドの作者・川原礫をかつてのPNである九里史生と呼ぶ。

「同じくこっちも川上さんに手伝ってもらいましたよ」

 堀さん。終わりのクロニクルや境界線上のホライゾンの作者川上稔の友人で、いつもコミケのサークルで手伝いをされているそうだ。

「ノリノリでビラ作ってくれましたね」

ロス子さん。キーリのラジオこと兵長のモデルとなったコミュニティFMのDJさんだそうだ。

「案外10年前でも服装揃うものですね」

「根強いファンがいるもんだって、喜んでいましたよ」

 文学少女シリーズ、井上ミウのモデルである田上さんと、生徒会の一存シリーズ、杉崎のモデルである杉山さん。二人とも準備オッケーだという。

「みなさん、本当にありがとう。でも、ごめんなさい。わたしはムジカレにつながりがなくて」

「それなら大丈夫!」

 グループライン、「非実在ライトノベルをレビューする会」の参加者人数が11人に増えていたことに、わたしは気が付かなかった。見知らぬ人間がここに混じるのはあまりよくないと……。

「ちぃ! あんたの記憶がどうこうなんて関係ないから! お姉ちゃんの関係者に片っ端からあたっているからね!」

「ヒビナ! どうして」

「しーっ、私は辺見ユウの妹の辺見ナツだから!」

 グループライン参加者には確かに、辺見ナツの名前が入っていた。

「ぽつねん先生から、KADOKAWA経由で話が来たんです。井守さんに負担が大きすぎるから、別の人間が集めてくれるって。私達の誰よりもスマートにやったよね」

 ベータさんが早霧谷をほめちぎる。そういえばこいつ、渉外とか営業とかめちゃくちゃすごい奴なんだっけ。

「褒めてよねちぃ。ファンクラブと、声優事務所と、元編集と全部話つけたよ。まあムジカレ、公式で同人誌を禁止していたからさ、ファンクラブの会頭に話つけるだけで、もう準備はできているっていうからそんなには大変じゃなかったよ」

「ありがとう、ヒ……、ナツ」

「それでよろしい!」

「じゃあ、みなさん、明日の準備は大丈夫、っていうことで!」

 ベータさんが音頭を取った、かに思われた。

「井守さん、〆てください」

 へっ!?

 いきなり話を振られてしまった。どうやって〆よう。少なくとも、このグループは最高潮にある。それを壊さない魔法のことば。なんて都合のいいものは。

 ──あるじゃないか。

「聖者の行進に、涙はいりません。みなさん、明日は共に参りましょうっ!」

「「「おおおおぉぉーっ!」」」

 割れんばかりの怒濤を、スピーカーは拾いきれなかった。


 荷物は最小限だ。下着、肌着、スマホの充電器、財布とかパスポートとかもあるが、それはたいしたものではない。明日の夕方、あるいは夜。再びこの東京ステーションホテルに、GoToトラベルを使っても一泊24000円という高級ホテルに泊まらねばならない。外の気温はそこまで低くもないな、と東京駅の丸の内口を利用したホテルである立地を活かして、駅前広場に散歩に出ることにする。


 金曜日の夜だった。ここから真正面には皇居。様々なカップルがデートなのかゆっくりと歩いている。失われた人の波。活気。自由というものが、徐々に失われていっているように錯覚してしまう、静かな光景だ。春先からは終電の繰り上がりもあり、更に人の活気は失われてしまうのだろう。コロナの収束とともに戻ってくればいいが、それとは全然関係ない創作の自由が失われることなど、決してあってはいけないのだ。と、東京駅を見ながら思う。

 わたしは、スマホをタップし、それを右耳にあてた。四度ほど呼び出し音が鳴ると、相手の応答は無いが通じたようだ。

「ねえ、明日、わたしは紅和奏になるよ」

「全部、忘れてしまったけれど、わたしの愛した作品なんだよ」

「たくさんの人の支えがあって、今ここにいるんだよ」

「うまくいくかな……。わからないよ」

 皇居の外周に向って歩く。思ったことを少しずつ、言葉に編んでいく。

「でも、禁書にするだなんて、多くの人がこれ以上寂しがるのはうんざり」

「だから、わたしにやれることはやるつもりだよ」

 相手は一向に、返事をしてくれない。電話口にいるかもわからなかった。

「ねえ、

「どうして、わたしから、レビューをするみんなから、大切な作品の記憶を奪ったのかな」

「わたしは、もう一度、ムジカ・レトリックの園を読みたい。ただ、それだけ」

「見ていて」

 しばらくの沈黙。早霧谷有紀子に充てた選手宣誓、決意表明だ。大好きな作品の作者に、ファンができることなんてたかがしれている。百冊買うとか、1000通のファンレターを送るとか、10000人に勧めるとか。そういった実にわかりやすい作家の収入につながる行為でも無い限り、迷惑千万なことだってある。

 聖者の行進だって、出版社の発案。辺見ユウの意思がどうであれ、日本の出版を護るためのデモクラシーだ。ただ、わたしの性格上伝えたくてたまらなかった。頑張るから、見ていてね、と。あなたの信じたヒロインのモデルは、ヒロインのように生きているからね、と。

 通話時間は三〇分を越えていた。もう千鳥ヶ淵まで歩いてきている。ここから更にアップダウンが続いて帝劇の方まではマラソンのコースとして有名だ。事実、数人のランナーが夜遅くにご苦労なことで、走っていった。

 返事はない。辺見ユウは、わたしのことなど体の良い広告塔のようにしか考えていないのかもしれない。客寄せパンダ。それでも上等だ。

「じゃあ……」

「ちぃちゃん、ありがとう」

 ぷつっ、と辺見ユウのほうが通話を切った。その直前、たった一言、ありがとう、と言って。

 なんだかこのあと自殺でもしかねない! と何度も何度もリダイヤルするが、ついぞ辺見ユウが電話に出ることはなかった。


 さて、ついにやってきた。2020年10月3日土曜日。見事な日本晴れ、でも気温は最高でも21度。遊びに行くには最高の天気だが、昨日の東京都内のコロナ新規感染者は196人、と能天気に出かけられる状況はまだまだ先のことだろう。

「おはよう」

「おはよう、お母さん」

「千尋、がんばって。無理しないで、コロナに気をつけて、と言いたいけど、あなたの気持ち、とっても大切だから、がんばって、とだけ言うよ」

「うん!」

 心配性の母だが、表現規制については非常に否定的なので、このイベントについては早い段階から興味を持ち、わたしが旗手をつとめることを喜んでくれた。応援するからテレビのレコーダー買ったから、という電話も来たが録画なんてするんじゃない。

『パイセンしっかりね!(マスカラを)』

 朝イチで小沢からコスのメークについてLINEが入っていたのには苦笑だったが。他にも友人知人会社の人たち、50人近くにのぼるが、応援のメッセージが入っていた。なんだか、甲子園出場の野球部員とか、オリンピック選手とか、あるいは国際ショパンコンクールファイナリストになったような気分だ。いずれも箸にも棒にも引っかからないどころか考えたこともない世界ばかりであるが。

 自室で豪華な朝食を食べると(実はこれは豪華クルーズトレイン「四季島」のブレックファーストメニューだという。わたしが本名で予約をしたら折返しの電話で、希望は全部可能な限り叶えるというので、じゃあ四季島のご飯を食べてみたいといったら作ってくれた)、最低限のメークと身だしなみを整え、結婚式等で着るノースリーブのパーティドレスに着替える。持っている服で一番の正装がこれだから、という理由だ。くれないのコスに着替える際には下着から一式着替える必要もあるけれど、心構えは大切である。地模様のある藍色のドレスの上から、白と紺色のボレロを羽織って、瑠璃色のカチューシャ。イヤリングは、無し。KADOKAWA本社に忘れてきても悪いし。靴もわざわざドレスに合わせたネイビーのパンプスで、もう今から結婚式! といった様相だ。そんなわけないけれど。

 もう一拍するからチェックアウトの必要はなく、従業員が心なしか大勢ならんでお辞儀をしてくれるカウンター前を通り、タクシープールに向かう。傍目からみても結婚式に行く人、だ。

「おお……、本当に止めるのか」

 丸ノ内線乗り換え口のところに、東京メトロ銀座線、都営地下鉄新宿線、浅草線の時間運休看板が出ていた。本当に止めるつもりか。理由としては大規模イベント開催のため、とある。さまざまなメディアで聖者の行進についてすでに十分なほど取り上げられており、デジタルサイネージには東京ビッグサイトの画像と「きょう「聖者の行進」」と書かれてある。まるで国民的ビッグイベントだ。

 タクシープールに到着すると、たくさんの黒いタクシーが止まっていたので、それに並ぼうとした時。送迎車の車列に見覚えのあるBMWが割り込んできていた。相手が相手だけに、タクシーも強気には出られないのだろう。わたしはBMWに駆け寄っていくと、右側のドアから助手席に滑り込んだ。

「おはよう、千尋ちゃん」

「おはようございますぽつねん先生」

 タキシード姿のぽつねん先生が運転席でにこやかに笑っている。この人も、別に示し合わせたわけではないのに最正装でやってきたというわけか。

「準備はどう?」

「覚悟は決めてきたつもりです」

「僕も、だよ」

 嘘だ。覚悟なんて最後まで決まらない。怖いもの。

「やるだけやってやります」

「その意気だよ。僕も、がんばるから」

 信号待ちの時、右拳だけわたしの方に向けてくる。だから、左拳を当てて互いにエールを送るのだ。


 土曜日朝の道路は空いていて、十五分もかからずKADOKAWA本社に到着できた。入り口には今日も徹夜明けなのか疲れた顔の藤澤さんが待っている。

「おつかれさまです、山吹悠さん、紅和奏さん」

「はいはい、よろしくね藤澤さん。今日はどうされるんですか?」

「このあと仮眠とって、僕も参加するから。会場までの案内は、警視庁がやってくれるよ」

 どうりで、ビルの横に一台黒塗りのスカイラインがあったわけだ。あれが覆面パトカーというやつか……。

「じゃあ、あとで」

「はい」

 わたしとぽつねん先生は別々のフロアの更衣室に通される。六畳ほどの更衣室には、畳まれたくれないの制服。やたら厚みがある。持ってみたら普通のブレザーの倍どころが、すぐには持ち上がらない重さだ。スカートも同様。ブラウスはそのままだが、一枚肌着のようなものが置いてあり、これが防弾用だろうか。総追加重量十一キロ、と聞いている。ヘルメットなんかは用意できなかったが、胴体はこれで防弾仕様となるのだ。わたしはメークに入ろうとした。と、ドアがノックされる。

「どなたですか」

「メイクはいかがですか?」

 女性の声だ。わたしは警戒しながらドアを開ける。と、スタイリストだと名乗る女性が入ってきた。

「素人が付け焼き刃でやるよりもいいかな、と藤澤さんに言われまして」


 三十分後。鏡に映った自分の顔に驚いていた。プロのレイヤーさんにありがちなメイクができあがっているではないか! ごめん小沢、プロにはかなわないよ。

「がんばってくださいね」

 メークさんは、制服を着てバランスを見たあと出ていった。しっかりと栗色の髪はうしろで2つのおさげにしてある。メガネは外して色付きコンタクトも入れた。完璧だ。

 制服、重いけど全体シルエットは全然変わらない。どうしてかと気になったが、防弾防塵素材は防弾肌着に磁力によって吸い付けられるために膨らまないシルエットになっているようである。ラノベの女の子にありがちな、やけに身体に制服がフィットしている状態である。この10日くらいで、何度わたしは高校生の制服を着ているのかわからないが、ふとあの頃は楽しかったね、と思ってしまうのだ。黒いソックスや、ローファーを見る度に自分の青春時代を思い出す。甘酸っぱいというか発酵するくらい酸っぱいのだけど、それでも大切なもの。ムジカレが青春とともにあったのであれば、いや、高校時代にはまだムジカレとは出会っていなかったけれど、その青春は取り戻さなければいけない。

 時間は11時半を過ぎていた。もうお昼ごはんを食べる時間はないが、とテーブルの上にロケ弁が置かれている。なんとまあ、万カツサンドに、浅草龜十のどらやき。わたしの好物じゃないの。これは食べないともったいないわ、と一つずつとって、もしかしたら最後の晩餐ともいえる食事をする。ああ、おいしい。


 そして、KADOKAWA本社玄関ホールにわたしとぽつねん先生が時間をほぼ同じくしてやってきた。髪をアップにして、傷跡ややけどのメークもしっかりといれているやまぶき仕様のぽつねん先生。コスプレというか、2.5次元ミュージカルチックでかっこいい。剣道四段というのは本当なのか、重量は本物の日本刀と変わらない「時雨」「氷雨」二振りを慣れたように腰に下げている。

「写真いいですか?」

「ええ」

 わたしは旗を持って、ぽつねん先生は鍔を押さえながら、決め顔で写真に写る。いったいどこの報道に写るのかは知らないが、これから衆目にさらされるのだからもう気にしたものではなかった。ばっちりメークをしているから、遺影とかにしてもいいかもね、だなんて不謹慎なことも考える。

「井守さん!」

 入り口から、藤澤さんが叫んでやってきた。

「あなたの差し金ですか! 武道館大変なことになっています!」

「は?」

 やりやがったか、とわたしは思った。内心大笑いだ。

「20万人、来ています。うち500人は、イリヤ、ケントラル、終わクロ、キーリ、ハルヒ、人退、文学少女、生存、アクセルワールド、そしてムジカレのレイヤーですおっそろしくクオリティの高いレイヤーが武器やらなんやらもって来ています。作者も絵師も演者も出版関係者もめちゃくちゃ来ています。一般人の数なんてもう全然わかりません。スニーカーの編集者が音頭を取ったんだって大モメですよこれ!」

「20万はすごいですね」

 ぽつねん先生も全部知っているくせににやけ顔だった。

「これで大規模クラスタが発生したらどうするんです! レイヤーさんマスクしていませんよ!」

 一蓮托生でいいじゃない、とは言えなかった。わたしもまさか20万人もいるとは思っていなかったから。


 わたしが「非実在ライトノベルをレビューする会」各メンバーにお願いしたのは、その作品の関係者と、登場人物のレイヤーを集められるだけ集めて、クローズドなイベントである聖者の行進にゲリラ的に参加せざるを得ないようにしてくれ、というものだった。角川の公式でハルヒレイヤーを探していたのもその一環というわけ。でも本当にくるとは思わなかった。

「まあ、聖者の行進についてリークしたの僕だからね」

「は!?!? ぽつねん先生が?」

「うん。だって、作中の聖者の行進は15万人だからね。数百人じゃ全然足らないと思って」

「あんたねえ!」

「藤澤さん、じゃあ、どうすればいいんですか」

「じゃあって」

「帰れって言うわけにはいかないでしょ。ぞろぞろと後ろからついてきてもらいましょうよ。ビッグサイトなら20万人入るでしょ?」

「まあ……、入りますけど」

 ようやくデモらしくなってきたな、とは思う。ちょっとその狼狽具合を見て申し訳ないなとは思ったが、そうか、最初にぽつねん先生が考えてばらまいたのか、と聞くとなんだか納得する。辺見ユウとともにムジカレを作り上げた創造主だ。さぞ心をいためているのだろうわたしには到底考えられないような深い次元で、だ。

「まだ出かけるまで時間ありますか?」

 ぽつねん先生が問うた。30分くらいはあるという。

「じゃあ、一服してきます」

「わたしも」

 藤澤さんは一瞬ぎょっ、とした表情をみせたが、わたしのバズった写真を思い出したのだろうか。はいはい、と言って突き当りのトイレの隣、と喫煙所の場所を教えてくれた。

「昨夜、辺見ユウに電話をしましたよ」

 火を点けて紫煙を吐き出すとわたしはそう言った。

「……なんて?」

「ありがとう、とだけ」

「そう。僕にも同じことをひとことだけ言ったよ」

 それ以上の会話は続かなかった。ぽつねん先生はさっさと吸い終えると、10本近く残っていたたばこをゴミ箱に放り投げる。

 わたしが吸い終わるのを待って、再び玄関ホールに向った。そこには、制服姿の警察官が二人、敬礼をして立っていた。


 日本武道館。その周囲はとうに交通規制がされていたが、人、人、それに次ぐ人の波。全部、聖者の行進のために集まった「一般参加者」だ。公式に参加を認められたマーチングバンドは朝から武道館の中で最終調整をしているらしい。護送のようにわたしとぽつねん先生を乗せたスカイラインは、まっすぐ会場内に入っていくが、とりかこむ人々はコミケの待機列のように統制の取れた行列を成していた。地下鉄を使わずに、JRの各駅から歩いてきたんだろう、とぽつねん先生が教えてくれる。

「昨日からSNS上で呼びかけがあったんだ。クラスタ形成は絶対に避けよう、って。対策は全部やる、ってことみたいで、マスクしていなくてもフェイスガードは絶対だって。今日、僕と千尋ちゃん以外は全員マスクかフェイスガードだよ」

 玉ねぎ型の屋根が特徴的な巨大なホール。黒いスーツ姿のマーチング・バンドが音出しをしていた。自衛隊音楽隊がこのような格好をしているのは非常に珍しいな、と思う。

「作中では軍楽隊は出ていないからね。それの配慮なんだと思う」

「なるほど」

 12時15分。わたしは滑り止め付きのグローブをはめて旗を持って、歩く練習を始めた。これが結構むつかしい。2メートルの高さの旗を胸の高さにあげると先端は3メートル以上になって、結構揺れるから、歩調を一定にすると腕に力を入れなくてはいけない。これを数時間続けなければいけないのか!

「首に、このマイクを装着してください」

 ネックピローのように首にかけるマイクを渡された。制服とおなじ色なので、遠目からではまるで目立たない。

「テステス……、おお、音が出ている」

 武道館内のスピーカーから増幅されたわたしの声が流れてきた。かなり高性能のマイクのようだ。

「聖者の行進が開始されたら、このマイクと、そこから繋がったイヤホンで連絡を取り合います」

「了解です」

 警視庁の人と話をしていると、南側の入り口にスーツ姿の、結構な年配の人たちが旗を持ってわたしと同じように歩く練習をしていた。

「あれは?」

「各出版社の偉い人達だね」

 順番で言えば、わたしとぽつねん先生の後ろを歩く人達だ。

「20人以上いるなぁ。年寄り大丈夫かな」

「情熱に年齢は関係ないですよ」

「あ、またくれないみたいなことを」

 どうやら紅和奏はナチュラルボーンわたしらしい。なんてこった。


 12時45分。わたしとぽつねん先生を先頭に、旗を持った偉い人達。そして音楽隊がきれいな隊列を組んで、武道館を出た。目の前の靖国通り中央に、およそ40メートルに渡って列を作る。そこから靖国神社側、50メートルをあけて警官隊によるバリケードがあって、神社方向に向けて人の波が……、すげえな地平線まで人しかいない。武道館を囲んだだけでなく、道路いっぱいに人がいたとは。

『井守さん、ぽつねん先生、聞こえますか?』

 藤澤さんの声がイヤホンからした。

「はい、聞こえますよ」

『聖者の行進に集まった、20万人ですが』

「はい」

『13時15分から、あなたがたに続いて行進します。僕の判断です』

 その声は力んだ、芯の通ったものである。悩んでくれたのだろう。かけあってくれたのだろう。それがあってなお、独断で決めてくれたのだろう。

「藤澤さん、いいんですか」

 ぽつねん先生が、心配そうに言った。

『いいんです。どうか、みなさんと一緒に、無事に行ってきてください』

「ありがとう、藤澤さん。……あの、このマイクの声、あの人達に聞こえるようにできますか?」

『それは、できますねぇ。しちゃいますか?』

 わたしが提案すると、嬉しそうに聞いてくる。

「お願いします」

『はい、できましたよ。では健闘を祈ります。』

 もう、わたしたちの声は、彼らに届くのだろう。


 ──悠は、まっすぐと伸びる街道を見定めた。距離にして40km。王門までの行進はただ二人でするものだと思っていた。ジーメオン、リシャール、フラン、オーリガ。四人はあの先でレトリックを待っている。王門の向こう側で、紫雲の旗が見える時を今か今かと、失いそうな意識の中待っているはずだ。

「やまぶき、どうだ」

「なつめ、ばっちりだよ」

 世太はニヤリと笑って大きな旗を肩に背負う。

「えんじゅも、ね」

 紅緒はふふっ、と微笑んで小さなアドバルーンの紐を握る。

「すおう、逃げることはない」

 叶葉は震えながらなんどもうなずいた。

「あさぎ、しんがりは頼むぜ」

「わかっているって」

 麻音が高く手を挙げた。

「行こう、悠」

「ああ、行くぞ!」

 和奏が高く旗を掲げ、悠は氷雨を抜いて道の先へと狙いを定める。

「痛くないか?」

「聖者の痛みに比べれば、ぜんぜん」

 昨夜受けた頬の傷から、またつう、と血が垂れてくる。和奏は高揚してしまったのか傷口が開いてしまった。その表情は、とても澄んだ色を湛えている。

「だから、みんな」

 和奏は後に続く者たちを聖者と呼んだ。頬の傷がズキズキ痛み、寒風がふわりとおさげを揺らす。

「聖者の行進に涙はいりません!」


 ぽつねん先生が、片方の刀を抜いて、靖国通りを神田方面に向けて指し示す。わたしはその光景を見て、なにか似た光景を思い出した。

 涙が出そうなほど、潔白な明るさを思い浮かべ、わたしは自分が紅和奏になるために必要な儀式を思い出す。ぽつねん先生が持っている日本刀、刃は潰されていても鋭さは持っている。脇からわたしが奪いとるだなんてこれっぽっちも思っていなかったんだろう。鞘の方から掴むと、するり、と抜き取ることができた。

「千尋ち……」

 刀身を両手で握っても、指が切れるということはない。波紋まで綺麗に打たれた日本刀。もはや芸術品で何時間でも眺めていたい衝動にかられる。が、わたしはきれいな弧を描く先端を右の頬に当てると、目の下から右耳にかけて、5センチばかり滑らせる。

 ちくっ、とした痛みが走る。強く掻きむしったあとに来るような痛み。尖った刀身がわたしの頬に傷をつけていく。もういいだろうか、右手でさわってみたら、鮮やかな緋色の血が付着した。

「なにやってんの!」

 とっさに刀は奪い返される。しかし、わたしの顔をみて、血を拭い去ろうとはしなかった。聖者の行進の先頭に立つくれない、ここに完成だ。

「聞こえますか。聞こえますか!」

 わたしがマイクに向って呼びかける。隊列に沿って「おおおっ!」と勝どきが伝播していく。

「来てくれて、ありがとう。わたしは、紅和奏です。そして、井守千尋です。みなさんと一緒に、奪われたものを取り返し、悲しみを終わらせるため、前に進みたいと思います。わたしは……もう、立ち止まって泣いたりはしない。みなさんにも、そうあってほしい。聖者の行進には、涙はいりません」

 考えていた原稿などすべて忘れてしまった。かわりに、思ったことを喋った。声は震え、何度もつかえそうになりながらも、紅和奏の大切なセリフまでつなげることができた。そして、紫雲の旗を高く高く掲げる。ぽつねん先生が、わたしの頬を傷つけた刀を旗に交差するように掲げる。

 そして、割れんばかりの歓声が上がった。大太鼓の音が鳴り渡り、東京の秋空にラッパの音が響き渡った。ムジカレのアニメサントラに使われた曲である。曲名はそのものズバリ、「聖者の行進」だ。

 そして、ゆっくりとわたしは歩き始めた。

 

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